13.歴史はミステリー(その8) −日本の女性天皇
(1)禁断の領域であった?「女性天皇」
日本の歴史では、最初にナゾのヤマタイ国の女王ヒミコが国際舞台に現われ、さらに飛鳥、奈良の時代を通じては、6人の女性天皇が登場する。
さらに、それから長い空白の時代をへて江戸時代になって2人の女帝が登場し、重祚をいれると合計10人の女性天皇が現われたことになる。
何故、女性天皇はこのように古代と近世に現れたのか? そして何故、それ以外の時代には現れなかったのか?それらについて過去に論じられたことは殆どない。
それらはおそらく日本歴史において、あまり触れられたくない禁断の領域であったと思われる。
小泉内閣は、2006年春の国会に皇室典範の改正案の提出を予定していた。しかし、その改正案に対しては、三笠宮など皇室をはじめ自民党の中からも慎重論が出ており、もし提出されればかなりの紛糾が予想されたと思われる。
ところが、突然、秋篠宮妃のご懐妊の情報が流れて、ひとまずこの国会における改正案の提出は見送りとなった。しかし秋には、ふたたび、皇室典範の改正案が登場すると思われる。そこでここでは、日本歴史に登場する「女性天皇」を、できるだけ史実に即して取り上げてみる。
●日本史における「女性天皇」
わが国では、歴史的に10人の女性天皇が記録されている。そのうちの2人は重祚(=ちょうそ:同一の人が2回、即位して天皇になること)であるため、実際の女帝は8人である。
その天皇の一覧表を、まず図表-1にあげる。この表から、わが国では6-8世紀にかけて8人の女性天皇が登場し、その後江戸時代まで飛んで、2人の女帝が登場したことになる。
図表-1 日本の女性天皇
天皇名 |
即位 |
退位 |
在位年数 |
天皇とのかかわり |
父方 |
母方の父 |
推古天皇 |
592 |
628 |
36
|
敏達天皇の皇后 |
欽明天皇 |
蘇我稲目 |
皇極天皇 |
642 |
645 |
3
|
舒明天皇の皇后 |
敏達天皇の孫の皇女 |
吉備姫王 |
斎明天皇 |
655 |
661 |
通算9年
|
皇極帝重祚 |
同上 |
同上 |
持統天皇 |
690 |
697 |
7
|
天武天皇の皇后 |
天智天皇 |
蘇我遠智姫 |
元明天皇 |
707 |
715 |
8
|
文武、元正天皇の母、草壁皇子の妃 |
天智天皇 |
蘇我倉山田石川麻呂 |
元正天皇 |
715 |
724 |
9
|
元明天皇の皇女 |
草壁皇子 |
天智天皇 |
孝謙天皇 |
749 |
758 |
9
|
聖武天皇の皇女 |
聖武天皇 |
光明皇后 |
称徳天皇 |
764 |
770 |
通算15年
|
孝謙帝重祚 |
同上 |
同上 |
明正天皇 |
1629 |
1643 |
14
|
後水尾天皇の皇女 |
後水尾天皇 |
東福門院和子 |
後桜町天皇 |
1762 |
1770 |
8
|
桜町天皇の皇女 |
桜町天皇 |
青綺門院舎子 |
図表-1において、父方はすべて天皇であるが、母方は蘇我氏など、有力氏族から皇后が立てられている。このように父方が天皇であることが、「男系」の条件である。従って、上表の女帝はすべて「男系の女性天皇」ということになる。
今上天皇は第125代であるが、上記の10代の天皇を除けば、わが国では、原則として「男系の男性天皇」によって天皇位が継承されてきている。
これに対して、今回の皇室典範の改正案は、「女系」の天皇を認めるものであり、これは日本史上に例がない。従って、そのまま実施されると問題も大きいと思う。
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