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日本人の思想とこころ
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1.日本の首都はどこへ行く?−東京の改造と遷都問題の行方

11.歴史はミステリー(その6) −奈良時代の伊勢神宮と東大寺造仏のナゾ
12.歴史はミステリー(その7) −長岡京・平安京遷都のナゾ

13.歴史はミステリー(その8) −日本の女性天皇
(1)禁断の領域であった?「女性天皇」
(2)推古天皇 ―日本で最初の女帝
(3)皇極天皇 ―重祚により斎明天皇
(4)持統天皇 ―アマテラス大神のモデルとなった女帝
(5)元明、元正天皇 ―聖武天皇へのピンチ・ヒッター
(6)孝謙天皇 ―重祚して称徳天皇
(7)明正天皇と後桜町天皇

14.歴史はミステリー(その9) −日本的仏教の誕生
15.歴史はミステリー(その10) −空海「いろは歌」のナゾ
16.歴史はミステリー(その11) −庶民における地獄・極楽の誕生
17.歴史はミステリー(その12) −鎌倉時代は思想の花園(1)―明恵、泰時、法然
18.歴史はミステリー(その13) −鎌倉時代は思想の花園(2)―禅宗の成立
19.歴史はミステリー(その14) −元寇と日蓮の予言
20.歴史はミステリー(その15) −歴史の中の未来記
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  13.歴史はミステリー(その8) −日本の女性天皇

(1)禁断の領域であった?「女性天皇」
 日本の歴史では、最初にナゾのヤマタイ国の女王ヒミコが国際舞台に現われ、さらに飛鳥、奈良の時代を通じては、6人の女性天皇が登場する。
 さらに、それから長い空白の時代をへて江戸時代になって2人の女帝が登場し、重祚をいれると合計10人の女性天皇が現われたことになる。
 何故、女性天皇はこのように古代と近世に現れたのか? そして何故、それ以外の時代には現れなかったのか?それらについて過去に論じられたことは殆どない。
 それらはおそらく日本歴史において、あまり触れられたくない禁断の領域であったと思われる。

 小泉内閣は、2006年春の国会に皇室典範の改正案の提出を予定していた。しかし、その改正案に対しては、三笠宮など皇室をはじめ自民党の中からも慎重論が出ており、もし提出されればかなりの紛糾が予想されたと思われる。

 ところが、突然、秋篠宮妃のご懐妊の情報が流れて、ひとまずこの国会における改正案の提出は見送りとなった。しかし秋には、ふたたび、皇室典範の改正案が登場すると思われる。そこでここでは、日本歴史に登場する「女性天皇」を、できるだけ史実に即して取り上げてみる。

●日本史における「女性天皇」
 わが国では、歴史的に10人の女性天皇が記録されている。そのうちの2人は重祚(=ちょうそ:同一の人が2回、即位して天皇になること)であるため、実際の女帝は8人である。
 その天皇の一覧表を、まず図表-1にあげる。この表から、わが国では6-8世紀にかけて8人の女性天皇が登場し、その後江戸時代まで飛んで、2人の女帝が登場したことになる。

 図表-1 日本の女性天皇
天皇名 即位 退位 在位年数 天皇とのかかわり 父方 母方の父
推古天皇 592 628
36
敏達天皇の皇后 欽明天皇 蘇我稲目
皇極天皇 642 645
3
舒明天皇の皇后 敏達天皇の孫の皇女 吉備姫王
斎明天皇 655 661
通算9年
皇極帝重祚 同上 同上
持統天皇 690 697
7
天武天皇の皇后 天智天皇 蘇我遠智姫
元明天皇 707 715
8
文武、元正天皇の母、草壁皇子の妃 天智天皇 蘇我倉山田石川麻呂
元正天皇 715 724
9
元明天皇の皇女 草壁皇子 天智天皇
孝謙天皇 749 758
9
聖武天皇の皇女 聖武天皇 光明皇后
称徳天皇 764 770
通算15年
孝謙帝重祚 同上 同上
明正天皇 1629 1643
14
後水尾天皇の皇女 後水尾天皇 東福門院和子
後桜町天皇 1762 1770
8
桜町天皇の皇女 桜町天皇 青綺門院舎子

 図表-1において、父方はすべて天皇であるが、母方は蘇我氏など、有力氏族から皇后が立てられている。このように父方が天皇であることが、「男系」の条件である。従って、上表の女帝はすべて「男系の女性天皇」ということになる。

 今上天皇は第125代であるが、上記の10代の天皇を除けば、わが国では、原則として「男系の男性天皇」によって天皇位が継承されてきている。
 これに対して、今回の皇室典範の改正案は、「女系」の天皇を認めるものであり、これは日本史上に例がない。従って、そのまま実施されると問題も大きいと思う。




 
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