17.歴史はミステリー(その12) −鎌倉時代は思想の花園(1)―明恵、泰時、法然
(1)鈴木大拙氏の「日本的霊性」
鈴木大拙氏の名著「日本的霊性」(大東出版社)の初版が出たのは、太平洋戦争も最終盤となった昭和19(1944)年12月1日のことである。
その頃、日本の敗戦は残すところ半年という秒読みの状態に追い込まれていた。
その国家存亡の危機の中で出版されたこの著書の中で、鈴木氏は日本人の思想の原点を鎌倉時代に求められた。
鈴木氏は、日本の禅の思想を世界に紹介したことで知られる仏教学者である。しかしこの本の中では禅思想だけではなく、日本的思想の原点となっている鎌倉時代の浄土思想やその庶民への定着などに広く求められ、それまでの外来思想の内在化を「日本的霊性」と言う言葉で表現された。
表現が少し難しいが、そこには次のように書かれている。
「支那の仏教は因果を出で得ず、印度の仏教は但空の淵に沈んだ。日本的霊性のみが、因果を破壊せず、現世の存在を絶滅せずに、而かも弥陀の光をして一切をそのままに包披せしめたのである。これは日本的霊性にして初めて可能であった」(同書、107頁。)
そのようなことを可能にしたのが鎌倉時代であり、そこにおいてインドに起こり、中国で育った仏教は、まさに末世の時代に入った日本で花開いたといえる。
それが鈴木氏により「日本的霊性」とよばれたものである。その思想は幕末から明治にかけて仏教を排除した偏狭な「国学」思想とは大きく対立するものであり、鎌倉時代のほうが明治より遥かに伸縮性に富んでいるように思われる。
鎌倉時代の日本には、他の時代に類例を見ないほどの夥しい数の思想的巨人が登場した。それは世界の歴史にも珍しい盛況といえる。
その代表的な思想家を挙げて見ても、図表-1のように絢爛たるものである。
図表-1 鎌倉時代の思想家たち
姓名 |
生没年 |
記 |
空也 |
903-972 |
民間浄土教の始祖 |
源信 |
942-1017 |
鎌倉仏教の先駆者 |
法然 |
1133-1212 |
浄土宗の開祖 |
栄西 |
1141-1215 |
臨済宗の開祖 |
親鸞 |
1173-1262 |
浄土真宗の開祖 |
明恵 |
1173-1232 |
華厳宗中興の祖 |
道元 |
1200-1253 |
曹洞宗の開祖 |
日連 |
1222-1282 |
日連宗の開祖 |
一遍 |
1239-1289 |
時宗の開祖 |
鈴木大拙氏の著書では、これらの思想家のうちから浄土思想の法然、親鸞と念仏思想の「妙好人」、金剛経などを取り上げられた。
そこでここでも、これらの思想家を輩出した鎌倉時代とは何であったのかを追いながら、そこから生まれてきた「日本的思想」を考えて見たい。
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