(1)はじめに
脳卒中には、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血の3種類がある。私は、2001年秋、左前頭葉の脳梗塞によって突然、倒れた。現在、発症から丁度1年すぎた新米の患者である。
脳卒中という病気が普通の病気とまったく違う点はいくつかあるが、その一つは、この病気を境にその人の過去の経験がほとんど役に立たなくなることである。昨日まで立って、歩いて、しゃべって、食べていた人が、突然、それらの機能のいくつかが、まったくできなくなる。いわば赤ん坊の時代に、ある日を境に戻ってしまうのである。場合によっては、赤ん坊のようにミルクを飲むことや発声することもできなくなる。症状は人によってすべて違う上に、通常の病気では入院や手術で機能が回復する可能性があるが、この病気では失われた機能は基本的には元へ戻らないという厄介な病気である。
ところが人により病状が非常に多様でありながら、一方では妙に共通点がある。人の病気への取り組み方に教えられることも多い。私は入院中、昔、毎日新聞に連載されていた記者の方の闘病記を読み非常に参考になった。
しかしこの病気にかかった人たちの闘病のケース・スターディは個人のプライバシーに関わるので、病院でもリハビリでもまったく教えてもらえない。患者は自分の経験の中から学びとっていくしかない。そこでここでは私自身の病状と闘病を出来る限り詳細に記録し、もし役に立つ点があれば利用していただくとよいし、また良い知恵やご意見があればらくがき帳に書いていただきたいと考えた。
(2)発症
2001年9月、ニューヨークの貿易センタービルに飛行機が突っ込んで倒壊するという衝撃的な事件がおこった。その時には、それと同じようなテロ事件が、1ヵ月後に自分の体の中で起こるとは、私は夢にも思っていなかった。
ただ何となく夏の終わり頃から自分の体になにか起こりそうな漠然とした予感のようなものがあった。そのため私は今まで真正面から考えることのなかった「死」を見つめようと、日本人の死後世界への思想を歴史的にまとめた「日本人と死後世界」という本を書き始めていた。10月20日には、その原稿も主要部分が完成して、ワープロで清書したプリントを読み終わったのは、夜の10時半頃であった。
翌週には毎年、3日間、大阪で行われる日創研の社長セミナーが予定されていた。肉体的にも精神的にも大変な仕事なので、今日は早めに寝ようと思って立ち上がった時、一寸と足元がふらついた。疲れているな!と思い、2階へ上がって寝た。夜中の3時半頃に起きてトイレへ行ったら、また足元がふらついたので、救急車で病院へ行った。
病院では、血圧が260-210で血圧計は測定する時、ごぼごぼ音をたてていた。10年ほど前に血圧降下剤で死ぬほどひどい経験をしたので、ここでまた急激な血圧降下剤を投与されると大変と思い、その時のことを医師に話したことが薬剤拒否に受け取られたようであった。その時は足も歩けたし、手にも麻痺はなかった。CTスキャンをとると、真っ白でなにもでないので、医師は単なる高血圧と思い、しかも血圧降下剤の投与を拒否されたのでは、処置の仕様もないとして点滴を1本ぶら下げただけで処置室に放置された。
不幸にしてその日は土曜日であり、通常の日に比べて病院は特に忙しかった。早朝の4時前に運びこまれたのに、午後の3時頃まで医師の往診もないので、問い合わせると、もう退院しても良いという返事である。しかしその時には、もはや歩くことも、立つことも出来ない状態になっていた。それから再度、CTスキャンをとったが、依然としてなにもでない。ようやくMRIをとった時には、秋の日はすでに暮れていた。
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