アラキ ラボ
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  (22)介護保険、腱鞘炎の発症と早朝高血圧

★無責任な介護保険認定
 2006年の夏も終わりに近づいたころ、フラワーパーク・アンジェに車椅子で来られる女性のNさんが、介護保険認定で「要介護」から「要支援」にランクを落とされたと聞いた。
 Nさんは私よりも足のダメージがひどい。かなり前にはアンジェのリハビリで1本杖歩行をされていたこともあるが、今では車椅子が必要不可欠である。
 介護保険の認定が「要支援」になると、通常では車椅子の「介護保険」によるリースが受けられなくなる。一体、市の介護保険・認定は、何を見て保険認定のグレードをきめているのか?と怒りがこみあげてきた。

 そうしたらNHK・TVが最近の「介護保険」の認定更新において、「要介護」の認定を受けてきた在宅介護の患者が、続々と「要支援」に落とされている、と報道していた。
 そうしたら私のところにも2006年9月6日づけの介護保険の認定通知書で、「要支援2」に下げるといってきた。やはり市の委員会は、介護保険の費用を切り下げるために、無差別に「要介護」を「要支援」に切り下げているのは本当であった。

 その書類の内容は、信じ難いほど無責任なものであった。私の場合、半年前に「要介護1」であったものが、僅か半年の間に、「要介護2」から「要支援2」に3段階も認定が切り下げられたことになる。その「理由」としては、「要支援状態」にあるから、と書かれている。
 しかもその変更に関する「審査会意見」欄は空白である。何故、私の評価がこのわずか半年の間に、3段階も変更されたのか、全くその根拠は示されていない。
 要するに、貴方は「要支援状態」にあるから、「要支援」と認定する、というマカフシギな書類が送付されてきたわけである。

 認定通知書は、市長名で出されているので、早速、市長あてに配達証明つきでこの無責任な認定制度に対する抗議文を送った。それとともに、市の介護認定係あてに、審査会の認定根拠について質問状を送付した。また担当のケアマネさん宛にも、そのような質問状を出した事を連絡した。

 その結果は、審査委員会からは何の説明もなく、また市長からも何の反応もなかった。昔、私の住む調布市の本多市長の時に、税金の申告の事務手続きで抗議文を送付したことがある。本多市長は、中央高速道路の建設の際、自ら建設反対運動の先頭にたった人であった。驚いた事には、早速、本多市長から謝罪の電話があり、私の方が驚いた。

 今回は、市長に介護制度の不備を進言しているわけである。市政における重要度は税金の事務手続きに比べて遥かに高い。
 それにも拘らず、市長からは何の反応もなかった。市政の無責任さと頽廃を痛感するとともに、本多市長のころには、戦後民主主義が地方行政の中に生きていたことを痛感した。
 介護保険は、市民の保険料が加わって作られている制度である。それが今、音を立てて崩壊しつつあることを感じた。

 しかし個人的には、地域包括支援センターの介護支援専門員とケア・マネージャーさんのご努力により、再度の認定審査を受けることができて、「要介護1」の認定に戻った

★腱鞘炎を発症
 丁度、認定審査でごたついていたある日、私は少し厚めの本を麻痺側の右手で持って、左手でパソコンのキーボードを叩いていた。興にのって、その時間は1時間以上になった。その日の夜、肩や腕の筋肉が痛くて腕が上がらなくなった。
 早速、その翌日、PTの梅津先生に相談して、肩や腕にシップをした。そのおかげで、1週間もすると痛みも消え、腕もあがるようになった。

 その翌週、歩行距離を伸ばすために、私は多摩川の河原を車椅子を押して歩いていた。その日は、かなり長いスロープの坂道を上がり下りした。その時は何の自覚症状もなかったが、夜、フロをあがった頃から、右肩と右腕の筋肉が痛み始め、夜は布団の中で寝返りを打つだけでも、強烈な痛みを感じるようになった。

 右の肩や腕が痛むと、それがそのまま右足の緊張を引き起こして歩けなくなる。足が歩けなくなると、それが更なる右肩、腕の緊張を引き起こす、という悪循環に巻き込まれた。早速、病院の整形科で診断を受けると「腱鞘炎」といわれて、シップ薬を山のようにもらった。シップは一時的には効果があるが、病状は全く改善されず、12月に入ると、ふとんの重さが痛みを引き起こし、寝たままで血圧を測定することも出来なくなった。

 幸い、近くに整形外科の医院があるので、毎朝、右肩と腕に電気治療をしてもらうようになり、シップと電気治療を併用するようになった。現在、治療を始めて半年が経過したが、幸い、布団の重量に耐えられないほどの痛みはなくなった。しかし、肩、腕を動かした場合の痛みは残っており、手足の不自由さは脳卒中を発症した初期に戻ったような気がする。

★気になる血圧の上昇と対策
 肩と腕の痛みが足の緊張を引き起こし、足の緊張が肩と腕の痛みに跳ね返るという悪循環は、歩行距離の激減という悪い結果を引き起こした。従来、最低1日に2キロメートルは歩いていたのに、一時は、100メートルを歩くのも痛みと緊張で難しい状態になった。
 その後、痛みが少し改善されて、1日、300メートルくらいは歩けるようになった。それも連続して歩行できるのは、150-200メートルくらいである。
 12月には5年間続けた1日4回の血圧測定も出来なくなったが、07年1月から、血圧測定は再開した。丁度、半年を経過したので、統計をまとめてみて愕然とした。その状況は図表-1から明らかなように、07年前期は血圧が異常に上昇している。

図表-1 血圧集計表
血圧 高
前期1−6月 後期7−12月
血圧 低

脈拍

 図表-1を見ると、左側の月別グラフの数値が、07年に入って異常な状況を示していることがわかる。それは右側の6ヶ月の平均値が、07年前期において異常な上昇を示している事から、さらにはっきりと分かる。これはこの6ヶ月の歩行距離が、1日2キロから、2-3百メートルに減少したことからきていることは明白である。
 しかも血圧の上昇は、特に起床時の早朝の高血圧が大きく貢献している事が分かった。
 そこで07年7月10日から15日まで、血圧を下げる実験をしてみた。

★早朝の高血圧を下げる実験 ―水1杯で血圧(低)が20低下
 夏の暑い夜に汗をかき、トイレへ行っても、水分を補給していない場合が多い。それが早朝に血圧の上がる原因ではないかと考えた。そこで起床してすぐ血圧を測定した後、コップ1杯、100cc程度の水を飲み、10分後にもう一度測定してみる実験を試みた。
 その結果は、図表-2のようになった。

図表-2 早朝の高血圧を下げる実験
第1回実験
  高−(1) 高−(2) 低−(1) 低−(2) 脈拍−(1) 脈拍−(2)
7月10日 146 142 103 77 76 70
7月11日 138 157 102 85 77 61
7月12日 154 150 100 82 95 74
7月13日 144 137 102 86 81 74
平均 145.5 146.5 101.75 82.5 82.25 69.75
標準偏差 6.608076 8.812869 1.258306 4.041452 8.770215 6.130525
第2回実験
  高−(1) 高−(2) 低−(1) 低−(2) 脈拍−(1) 脈拍−(2)
7月14日 143 134 94 91 88 76
7月15日 135 136 95 93 83 89
7月16日 131 127 93 86 73 66
7月19日 126 130 91 85 78 73
平均 133.75 131.75 93.25 88.75 80.5 76.0
標準偏差 7.182154 4.031129 1.707825 3.86221 6.454972 9.626353
(注) (1)起床時の測定値、 (2)100ccの水を飲み10分後に測定
   第1回実験は、夜中に水を飲んでいない。第2回は夜中に水を飲む。

 図表-2の結果は、非常に面白い。 まず第1回実験では、起床後にコップ1杯の水を飲むと、10分後に血圧(高)の値は変わらないが、血圧(低)は20近く低下し、脈拍もかなり落ちて正常値に近くなっている事が分かる。
 また第2回実験は、夜中に水を飲んで起床時に測定すると、既にその時点で血圧(低)は大分低下している。そこで起床時にコップ1杯の水を飲むと、さらに低下してその2回分の低下による合計値は、第1回の実験で起床時に水を飲んで低下する値にほぼ等しい。

 分散分析を行なってみると、血圧を低下させる効果は何が大きかったかを知る事が出来る。最も変動値が大きく効果が大きかったのは、起床時にコップ1杯の水を飲むことが血圧(低)を下げる効果である。ついで夜中に水を飲むことが血圧(高)の低下に与えた効果である。夜中に水を飲んで、起床後に水を飲んだ効果は、あまり効果が認められない。
 この分散分析の効果は、上記のデータから得られる常識的な見方に一致している。ただし効果が大きいから朝、水を飲むよりは、夜中に水分を補給しておくほうが、脳梗塞の予防の観点から望ましいことは、言うまでもないであろう。
                                                    (つづく)





 
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