(6)リハビリ専門病院。
2001年も残り少なくなった日、私は山梨の新しい病院に移った。その朝、寒い曇空の東京を離れて陽光の中央高速道を走り、白い雪をかぶり始めた富士の姿を見ながら、新しく美しい病院に到着した時の気持ちは本当に嬉しく、気分は最高に高揚していた。
しかし血圧は200を超えていて院長さんを驚かせてしまった。イヤー!大丈夫です。10年間200を越えていたのですから!といって病室へ案内してもらった。
病室の窓は広く明るく、4人部屋ではあるが、それぞれに十分なスペースと生活に必要な設備が備えられていた。ベッドに寝て仰向けになると左側には山梨の山々と青い空、そして白い雲がまるで川原に横たわっているようにベッドの上にあった。
年末ぎりぎりであったが、早速、その日からリハビリが始まった。このリハビリ専門病院では、大体、午前と午後に40分ずつPT(理学療法)とOT(作業療法)が先生と患者の1対1で行われていた。リハビリ室は、PT,OT共に明るくて広く、まるで休日であるかのように静かにリハビリが行われていた。
私は、発病からほぼ1ヶ月半、失われた右半身の機能をあきらめて、左半身だけで生活に対応していた。それが間違いで、そのために正常であった左半身の緊張は、その頃、もはや限界にきていた。自分でもそのことに気付いてはいたが、どうしようもなかった。血圧の高いのもそれと無関係ではなかった。そのため年内のリハビリは、臨界にきていた緊張を取ることについやされた。
年末から年始にかけて病院も休日になった。生まれて初めて病院で迎える新年である。31日の深夜、トイレへ起きたら、宿直の看護婦さんにより新年の飾りつけが行われていた。日常の見慣れた食堂の壁側は、デパートのショウ・ウインドウのように美しくなっていた。
素人離れした初春の造形をほめたら、集会室の方も見てください、といわれた。見ると廊下の端の集会室の方も、すっかり新年の装いになっていた。
年末・年始は入院の患者さんも帰宅する人が多く、病院はいつもより少し寂しくなっていた。正月の朝は、看護士さんたちによる心づくしのお雑煮が出て、残留の患者さんたちは、みんなで2002年の新年を祝った。
(7)温泉病院
山梨の病院は温泉地に建てられていた。そのため脳卒中の患者も、入浴可能になると聞いていた。東京の病院ではお風呂は許可制であり、よほど体の自由な人を除いてほとんどの人はお風呂に入れない。お風呂に入って肺炎などになられては病院も困るからであろう。私は、発病から2ヶ月の間、入浴したことはなく、ベッドで体をふいてもらっていた。
うわさ通りこの病院では、週に2回入浴が出来た。入浴方法は介助浴と自由浴の2つの種類がある。介助浴とは、看護婦さんの介助により入浴する方法である。自分で風呂に入り、洗うことの出来ない人のための入浴方法である。
ベッドに寝たまま、体を洗ってもらい、そのまま湯船につかることが出来る。私は、1度も経験しなかったが、寝たままなので、慣れないと口や鼻にお湯が入ったりすることがあるようである。私は、同じ介助浴でも幸い自分で体が洗えるので、椅子に座ったままで檜風呂にはいる入浴方法であった。
普通病院から来た私は、入浴後はまさに天国にいるような幸せな気持ちになった。
自由浴は、介護なしで入浴できる人のためのものである。ここでは朝から夜まで、掃除の時間を除けば、いつでも利用可能である。湯船も広くすいていて、自分の好きな時間に何回でも入浴できる。まるで温泉旅行に来ている気分で療養ができる。
私は、退院する前にしばらく、浴室の出入りのみ若干の介護をしてもらう自由浴が許可になり、利用させてもらった。これが退院後、自宅の風呂を利用するのに非常に役立った。
(8)リハビリ
この病院では、月曜日から土曜日まで、1日2回40分ずつベルタ・ボバースの思想に基づいたリハビリが行われていた。ボバースの考え方は、脳に残る潜在的な機能に着目し、麻痺側の能力を引き出そうというものである。私は、この病院に来るまで麻痺した右半身の能力を見捨てて、残る左半身のみを頼りにしていた。その結果、左半身のストレスのため、寝ても緊張で背中がベッドから浮き上がっているほどであった。
年末のリハビリでこれらの緊張をとってもらい、正月はゆっくり休んで、2002年の新春から、ボバース流のリハビリが始まった。私が指導を受けたのは、理学療法が福富先生、作業療法が高橋千恵子先生で、共にベテランの療法士の先生であった。
特に作業療法は初めてなので期待していた。私が想像していた作業療法は、折り紙を折ったり、字を書いたり、ビー玉を箸でつまんだり、といったものであったが、ここではPTとあまり違わない方法のように見えた。つまり上肢や下肢を曲げたり、伸ばしたりして、その機能を回復する方法である。
高橋先生のリハビリは、特にその終わりの5分ほどが非常に私は楽しみであった。まず装具もなしに直立する。からだの調子は日によって違うし、大体は自分の体重が、直立すると麻痺した足には重く感じられる。あまり長くは立っておられない。
先生の手が肩などに少しふれて微妙に調整がなされる。右足が下がっていると、少し前に出してください、といわれる。この間の時間は多分2-3分と思われるが、不思議に心が落ち着き、重かった体が急に驚くほど軽くなってくる。次に体の重心を先生の指示に従い、右足、左足、前方、後方に移していく。それが終わると、いよいよ始まりである。最初の頃は、先生が前になり肩と手を借りる。ちょうど、ダンスでも踊る格好になり、いよいよリハビリ開始である。
左に体の重心が移り、右足が軽くなった時、その足を1歩前に出す。次にその右足に重心を移して、左足を前に出す。すると麻痺した足があたかも魔法にかかったように軽くなり、広いリハビリ場の中を先生にリードされてすべり始める。はるかかなたに私の車椅子が置かれている。そこは装具なしで到達できる距離ではない。それがあっという間に目の前にきてリハビリが終わる。その間の時間はおそらく5-6分であろう。
最初は先生が前に立ってリードしてもらうが、しばらくすると先生が後ろになり、更には後ろで指がふれるだけになる。しかしその先生の指が私に触れている間は、私の体は夢の中にいるようにリハビリ場の中を滑って行く。それは、全く現実から離れた幻想的な感覚であり、私はそれを「空中散歩」とか「天国散歩」とか呼んだ。
ある時、先生のリハビリで、私の麻痺した足がつま先で立っていた。後から考えてもどうしても現実とは思えない。たしかに麻痺した足がつま先で立っていたのである。それで次のとき、先生にそれを確かめてみた。先生は、いとも簡単に「ああ、そうですよ!」
「あなたは、麻痺した足でつま先たちしていました。今日もやってみましょう。」その日も、つま先立ちができた。しかし今でもそれが現実とは思えない。
私は、コンサルタントで能力開発の指導などをしてきた。そこで先生にいった。「先生のリハビリは、体の能力開発ですね!」。「能力開発とは、よい言葉ですね!」と笑っていわれた。
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