アラキ ラボ
脳卒中の記録
Home > 脳卒中の闘病記1  11  12  13  14  15  16  17  18  19 
  前ページ次ページ
  (18)再発?余病?
★再発?
 2003年が無事に暮れようとしていた。年末にはいつも東京西部の高尾山の先にあるお墓の掃除に、息子と2人で行くのが歳末行事の一つになっていた。しかし2001年に脳卒中に倒れてからは息子が1人で行ってくれていた。しかし、今年は気分転換に一緒に行ってみようということになり、車で出かけた。

 歳末ではあったが、暖かい日差しの午後、久しぶりのドライブで1時間ぐらいはいい気分であった。しかしそれから30分くらい立つと、心臓がだんだん苦しくなってきた。健常者であった頃には、ほとんど1日中、車に乗っていて平気だったのに、すっかり弱くなっていた。
 脳卒中症を病み、麻痺した足を装具で固定して狭い車内に閉じ込められていると、多分、1時間半くらいで「エコノミー症候群」?の恐れが出てくるのかもしれない。
 エコノミー症候群になれば、再び脳血管障害を惹き起こすことはほぼ間違いないであろう。

 かろうじて墓地につくと、私は車椅子を歩行器にして、墓地の端から端まで何度も往復した。30分くらい歩いたら、体中の血行が回復して気分がよくなってきた
 帰りは再発するのが怖いので、中央高速道路を利用して家まで帰った。所要時間は行きが1時間半以上かかっていたのに、帰りは1時間で無事に家につきほっとした。
 
 12月31日、大晦日の夜の12時頃、1年の仕事が終わり、ほっとして寝ていた。脳卒中の発作は、このような時が最も危険である。案の定、真夜中に再び気持ちが悪くなって目が覚めた。
 血圧を測ってみると160-90程度になっていた。通常の夜中であれば、高くても130-80程度である。明らかに異常な数値であった。右側の手足は、緊張でカチカチに硬直し、痛いくらいである。

 意識の方は大丈夫であるが、脳卒中の発作の始まりの危険性が高い。大晦日の夜に救急車のお世話になるのは申し訳ないし、新年早々、また1週間も入院して点滴を受けるのも嫌だなー!と思う。

 脳梗塞の再発であれば、多分、血圧がまだ上昇するであろう。妻は入浴中であったので、子供にいざとなったら救急車を呼んでもらうよう頼んだ。しばらく安静にしていて、血圧を測ると、140-80に落ちていた。一過性の脳卒中の発作であったと思う。気分の悪さも次第に取れてきて、無事に2004年の新年が明けた。

 12月31日は、フラワー・パーク「アンジェ」は休日であり、リハビリで歩く時間がいつもの日より少なかった。運動量が少ない上に、1年の終わりでほっとした気分になった時が、脳卒中の発作が最も起こりやすい日であることが分かった。日ごろ、自分の血圧の記録が詳細にとってあることが異常を発見するのに非常に役立った。

★余病?
 2004年2月2日は月曜日で、東京は朝から雨が降っていた。布団の中で目を覚ました時、体の左側を下にして寝ていた。仰向けになって天井を見上げたら、左目から見る天井は、丁度、糊づけの紙をはがしたガラス越しに見るようにボロボロに見えた。驚いて目をパチパチ開け閉めして見たが、その状況は変わらなかった。

 左目は、麻痺側ではない。右脳にも異常が出てきたのか、それとも眼の病気なのであろうか?その日は雨なので、しばらく様子を見ることにした。ボロボロに身える状況は午前中で消えて、普通に見えるようになった。

 翌日の朝、目をさますと、やはりボロボロが見えた。そこでいつも行く調布病院の脳外科に行って相談してみた。私は眼底出血を疑っていた。2,3日前の寒い日、左の目じりから血が出ていて、自分では自覚がなかったが、家族が気付いた。
 そのときは、寒さで目じりが切れたと思っていた。脳外科の先生の診断では、もし眼底出血であれば、ボロボロに見える状態が消えるということはないから、むしろ網膜はく離の恐れがあるのですぐ眼科の診断を受ける方がよいといわれた。

 調布駅の北口の眼科病院は、あいにくその日は手術日で診察してもらえなかった。網膜はく離では、失明の恐れがあるので一刻も早く診断を受けなければと非常に心配であった。

 翌日は、朝目を覚ました時、ボロボロは消えていたが、左目は非常に気持ち悪かった。朝一番で眼科病院へいくと、開院の30分前にも拘らず前日に手術を受けた人々で廊下まで溢れていた。病院の検査と診察は、非常に懇切丁寧で、午前中一杯かかった。目の写真をとってみると、左目の眼底が出血していた。眼圧は20と高く、緑内障の恐れがあると言われた。
 
 眼底出血は、脳出血の一種である。私は左脳が脳梗塞になり、右脳が脳出血になったわけである。脳梗塞の場合は、その再発を防ぐために、血液を固まり難くするバッファリン系の薬を常用する場合が多い。もしこの薬を飲んでいて脳出血を起こすと血が止まらなくなる。小渕首相の場合は、これで亡くなったと思う。
 幸い私はそのような薬を飲んでいなかった。そのため眼底出血は、その後も進行していないようであり、その後、毎月1度、眼科病院で検査・診察が続いている。
 




 
Home > 脳卒中の闘病記1  11  12  13  14  15  16  17  18  19 
  前ページ次ページ