2. 失われた90年代―日本の「シンス・イエスタデー」
世界史的に見ると、1980年代の終わりの89年に、古い大きな政治・経済のしくみが崩壊し、90年代には21世紀を予告する新しい動きがいろいろ始まった。
89年の崩壊の一つが、「ベルリンの壁」であり、これによって東西冷戦が終結し、そして今ひとつが日本の「バブル経済」である。これによって我が国は1000兆円にのぼる巨額な資産を一瞬に喪失し、膨大な不良債権が残った。
それより一時代前にさかのぼる。1920年代のアメリカは、史上かってない繁栄の10年であった。その時代のはじめに、アメリカは第一次世界大戦に参戦し、そこで大勝利を収めることにより、国際的な檜舞台に登場した。
しかし、このアメリカの輝かしい年代も、1929年11月13日の大恐慌の発生という劇的な年で終わる。この間の10年を、F.L..アレンは、名著「オンリー・イエスタデー」(邦訳、研究社、ちくま文庫)に鮮やかに描き出した。
それに続く次の1930年代は、大不況とニューディールの改革によるアメリカの非常に苦しい10年となった。このアメリカの苦悩の時代を、アレンは引き続き「シンス・イエスタデー」(邦訳、ちくま文庫)という著書にまとめた。
ベルリンの壁が崩壊する前の1980年代、日本は経済的にアメリカを抜いて世界一の座を獲得し、「Japan
as No. 1」といわれて、かって想像もしなかった10年を経験した。それは、いまでは「バブル(泡)」よばれているが、その時代、日本は、一瞬、世界の中で輝いたように見えた。しかし89年に、その「バブル」が崩壊してから、日本には、迷走と苦悩の日々が21世紀の今に到るまで続いている。
この日本の90年代と、アメリカの30年代の違いは、そこに、アメリカのルーズベルト大統領のような国民と一体になって国家的危機を切り抜けようと努力する優れた政治家がいなかったことにある。しかしそのような優れた政治家を作り出さなかった日本国民にも、より大きな責任があるであろう。
1990年代の日本では、ルーズベルトのニューディールのような過去のしがらみから脱却する大改革は何も行われなかった。若干の改革への努力は行われたが、それらはすべて失敗に終わり、新しい国際社会への準備が全くできないまま、21世紀に入ってしまった。
これから先の10年は、日本にとってどのような年になるのであろうか?それを合わせて考えてみたい。そのために、「失われた日本の90年代」を、今一度、振り返ってみよう。
|