3. 江戸時代のカタストロフとしての明治維新
(1)日本が間もなく迎える「カタストロフ」
★基本的な視点
ここでは日本が迎えるであろうカタストロフにおいて、何が変わり、何がかわらないかを考えてみたい。
そのために、まず過去に日本が経験した次の3つのカタストロフを取り上げる。
(1) 江戸時代のカタストロフとしての明治維新
(2) 明治・大正時代のカタストロフとしての昭和大恐慌
(3) 昭和戦前時代のカタストロフとしての敗戦
以上、3つの過去に経験したカタストロフを踏まえて、最後に、これから我々が迎えるであろう「戦後高度成長時代のカタストロフとしての平成大破綻」の検討を試みてみたい。
これらのカタストロフにおける時代の本質的な変化を捉えるために、できるだけ巨視的視点から単純化して話しを進めることにする。
★平成大破綻の予兆―完全に行き詰まった日本の借金財政
「どこへ行く日本」を書き始めた頃には、まだ平成不況からの脱出と日本経済の再生に対して若干の可能性と希望をもっていた。本稿でも日本の国家債務について何度も取り上げてきたが、それでも2005年頃に債務残高が1000兆円を越えると予想して、それまでに何とか打つ手を模索してきた。
最近、政府系の特殊法人の債務残高は既に500兆円に達しており、政府、地方、特殊法人の債務残高を合わせると、現状時点で日本国の負債算高は既に1,200兆円に達していることを知った。この債務の額は、現在の日本のGDP500兆円の1.4倍であり、国民一人当たりにすると1千万円という巨額になる。
4人家族の家庭ではなんと4,000万円の借金をしていることになる。これに住宅ローンや消費者ローンなど、個人の負債を加算してみるともはや日本国民の返済能力を遥かに超えた額になっている。
日本国民は、気が付いたら軒並み1億円の借金を背負わされて、これから10年先に人類がかって経験したことのない世界一の高齢化社会へ向けて坂道を登り続けることを余儀なくされている。
この借金残高は、かって国民からの借金で世界を相手に戦った太平洋戦争の終了時の負債水準を既に上まわり、もはや返済不能な額に達したことが明らかである。
これらの債務は、日本が戦後にとった「土建国家」ともいうべき経済政策の結果として生じてきたものである。その意味で戦後「昭和時代のカタストロフ」として考えられる。この借金による日本の財政危機は、間もなく、現在の「ゼロ金利政策」が行き詰まり、金利が上昇局面に入った段階から急激に表面化してくると思われる。
★カタストロフとは?
「カタストロフ」(catastrophe)とは、突然我々の生活に降りかかってくる大惨事や大災害そして破局などを意味する言葉である。そこでは今まで続いてきて、明日も続くと思われていた社会生活が突然中断され、その時点から世界は全く違った次元にはいる。そのような事件のことをカタストロフといい、いわば一つの世界の終焉を意味する言葉である。
基礎科学の世界では、フランスの数学者ルネ・トムが、1972年にカタストロフは、7つの形になることを証明した。しかし残念ながら社会科学の世界では、カタストロフの一般理論は、まだ作られていない。
日本がこれから経験する大変動は、まさにこの「カタストロフ」に相当すると思われる。そしてその予兆は年金制度、健康保険制度など経済的な制度をはじめ、日本の政治、経済、教育などの到るところで破綻現象として現われ始めている。
この歴史的大変動は、過去に日本が経験した明治維新、昭和大恐慌、そして敗戦に匹敵する深刻なものになることが予想される。
そこで、我々が近い将来に迎える大変動を考えるために、過去に日本が経験した大変動において、何が変わり、何が変わらなかったかを考えることから始めてみよう。
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