11. 迫る東京・横浜大地震 ―その世界経済への影響を考える!
(1)自然災害に対して世界一危険になってきた日本
阪神・淡路大震災から10年を迎えようとしていた2004年から2005年にかけて、世界中を大規模な自然災害が襲い始めた。2004年の暮れも押し詰まったとき、スマトラ沖で発生したマグニチュード9という巨大地震による大津波がタイ、インドネシア、インドなど一帯の国々を襲い20万人近い死者が出る大災害となった。
更に、2005年1月に入ると、北欧、イギリス、アメリカなどにおいて集中豪雨による洪水で大災害が発生した。日本でも2004年には新潟地方が大地震に見舞われており、このところ自然災害は世界中で相次いでいる。
そのような状況の中で、2005年1月、ドイツの再保険会社は、東京・横浜をダントツで世界一の自然災害の危険がある都市に認定し、保険料の引き上げを行なった。そこで、ここではまず現在の東京、横浜が特に大地震に対して、どの程度、危険な都市であるか? を考えてみよう。
●近世の関東大地震
まず、近世に関東を襲った大地震を挙げて見ると次の表になる。
図表-1 近世以降の関東大地震
西暦 |
邦暦 |
マグニチュード |
鎌倉の震度 |
記事 |
1525 |
大永5.8 |
6.6 |
5.3 |
鎌倉由比ガ浜の沼が埋まり、平地になる |
1590 |
天正18.5 |
7.2 |
5.9 |
川越城破壊落城、関東大津波? |
1605 |
慶長9.12 |
7.9 |
5.4 |
東海、南海、西海道、房総半島東岸4キロ干潟となる |
1616 |
元和2.8 |
|
|
江戸強震? |
1630 |
寛永7.6 |
|
|
江戸大地震? |
1633 |
寛永10.1 |
7.1 |
6.5 |
小田原城、箱根山崩壊、小田原人家全壊,死者150、熱海に津波 |
1635 |
寛永12.1 |
|
|
江戸大地震、被害程度不詳 |
1647 |
正保4.5 |
6.8 |
5 |
江戸城城壁及び馬入川渡川場破壊,東叡山金佛の頸落ちる |
1648 |
慶安1.4 |
7.1 |
6.4 |
小田原城崩れ,壊家多し。江戸で屋根瓦落ちる。 |
1649 |
慶安2.7 |
6.5 |
5 |
江戸城はじめ建物被害大、川崎で人家100棟倒れる |
1650 |
慶安3 |
|
|
江戸大地震? |
1670 |
寛文10.6 |
6.4 |
5 |
相模大住で10戸つぶれる |
1693 |
元禄10.12 |
7.2 |
6.9 |
鎌倉特に特に強く,堂社破損、八幡宮鳥居倒れ、民家つぶれ、江戸城壁崩れる |
1697 |
元禄16.11 |
8.2 |
7.3 |
関東諸国被害大、小田原強く、大津波、三浦房総半島隆起 |
1703 |
天明2.7 |
7.3 |
6.5 |
相模、武蔵、小田原潰家1000余、津波あり |
1782 |
文化9.11 |
6.6 |
5.2 |
神奈川、品川、潰れ家多し。 |
1812 |
嘉永6.2 |
6.5 |
5 |
相模、伊豆、駿河,潰れ家多し |
1853 |
安政1.11 |
8.4 |
5.4 |
小田原潰れ家あり、箱根宿9分潰れ、江戸城石垣崩れ、長屋つぶれる。津波江戸で1メートル |
1854 |
安政2.10 |
7.5 |
5.9 |
江戸大地震 |
1855 |
安政3.6 |
7.5 |
6.2 |
伊豆大島、家屋被害あり |
1905 |
明治42.3 |
7 |
5.1 |
強震2回、東京湾沿岸多少の被害あり |
1909 |
大正11.4 |
6.9 |
6.3 |
横浜、東京にて煉瓦造破壊、死傷あり |
1922 |
大正12.9 |
7.9 |
7.6 |
関東大震災、鎌倉にて全壊2102戸、堂社被害大、津波あり |
1923 |
大正13.1 |
7.2 |
5 |
相模中部、全壊1273戸、死者14 |
1930 |
昭和5.11 |
7 |
5.4 |
伊豆地震,住家全壊2141戸、死者249 |
(出典)河角広「地震の69年周期」(「大地震マグニチュード7.9」、全国加除
法令出版局、昭和46、所収)に「江戸城史」記載の史料を付加して作成。
上表の原表は818年から作成されているため、100年間に一度も大地震がない年代もいくつかある。それは地震がなかったのではなく、記録が欠如していると考えるのが自然であろう。そこで、ここでは1500年以降の記録を一応信頼できる範囲と考え、1500年以降に修正して上表を作成した。
1500-1900年代の500年間において、大地震は25件発生している。平均してみると100年に5件の割合である。その中で、1900年代には5件発生しており発生頻度の平均値に近い。
ところが1930年を最後にして、ここ74年間は大地震が一度も起こっていない。これから先、20-30年間、大地震がないとすると異常な100年になるわけであり、近々関東で大地震がおこる可能性は極めて高くなってきている。
●河角教授による関東大地震の周期計算
東京大学教授・河角広氏は、上表の歴史的地震に対してフーリエ級数の当てはめを行い、関東地方における地震の周期性の計算を試みた。
その結果は、平均周期69年、標準偏差13.2年という関東における地震の発生周期の推定値が求められた。
この興味ある推計は、1965年から始まった地震予知計画の動機付けになった有名なものである。しかしその地震予知は、この後の30年の間いろいろ努力を重ねた結果、1997年になって、警報が出せるほどの精度での地震予知は不可能である、とする結論を出した。
地震の発生については、発生のおそれがある確率を求める事はできるが、それが100%になる特定日を数学的・物理的に推定することは理論的に不可能である、ということである。
河角氏によるフーリエ級数の当てはめは、過去の地震の発生周期に数式を適用したに過ぎないし、その方法による周期性、バラツキの数学的検証には問題があるにしても、この試算によって導かれた数値は、従来の民間伝承による常識的な発生周期に近似していて現在でも現実性をもつように私は思う。
河角モデルにより導かれた関東において巨大地震が発生する平均周期とバラツキをもとに、1923年の関東大震災を基点として次の大地震の発生時期と確率を計算した結果を図表-2に挙げる。
図表-2 河角モデルによる次の関東大地震の発生確率
上図を見ると、2005年までに関東に大地震が発生する確率は84%であった。しかし実際には起こっていない。そのことは今後10数年の間に関東を中心にした大地震が発生する確率が非常に高くなってきていることを示している。
上図では、なんと2018年までに発生する確率は98%であり、今から10数年の内に関東大地震はほぼ確実に発生することを示している。
●関東における大地震の発生間隔
図表-1に示されている大地震の発生間隔を16世紀から20世紀末までの500年間について調べてみると図表-3のようになる。
図表-3 関東における大地震の発生間隔(1500−2004年)
発生間隔 |
頻度 |
30年未満 |
20 |
30年-60年 |
3 |
60年-90年 |
2 |
90年以上 |
0 |
計 |
25 |
(平均間隔=17.3年)
図表-3を見ると、大地震の発生の間隔にはかなり顕著なクセがあることが分かる。つまり平均的には17.3年とかなり長い時間間隔があるものの、一度大地震が発生すると短い間隔で何度も巨大地震が起こる。そして安定した状態になると、その後はかなり平穏な期間が長く続く、ということである。
2005年は、関東大震災から82年目にあたる。その間、幸いにして関東地方は巨大地震に襲われなかった。しかしこのことは500年にわたる関東地方の地震史からみると非常に稀有なことであることが分かる。
あと10年間、巨大地震が関東を襲わなかったとしたら、地震史に新しい記録が達成されたことになる。つまり東京・横浜大地震は、もはや秒読みの段階に入っていると考えられるのである。
●大地震に対して東京・横浜は耐えられるのか?
現在、日本の国家機能は極度に東京周辺に集中している。この状況のなかで東京、横浜が大地震に襲われたとき、日本がどれほどのダメージを受けるかは想像を超えている。
今では東京、横浜には関東大震災の時に存在しなかった高層ビルが林立し、高速道路は縦横にはしり、地下には無数の地下鉄道をはじめ電気、水道、情報回線が張り巡らされている。そして時速200キロを超える速さで新幹線が走っている。その上、マンションという中空に浮かぶ住居が、特に市内にはひしめいている。
これらは関東大震災以降、初めて大地震の洗礼をうけるものばかりである。
それらの建築物が巨大地震に遭遇したとき,一体どうなるのか?現在の段階では殆ど分からないのが正直なところである。
たとえばニューヨークのテロ事件のように超高層ビルが全面崩壊するということは考えにくいとしても、計算上では、超高層ビルには大地震の際には重力加速度を超える加速度が横方向にかかってくることが分かっている。
つまり高層ビルでは、地震で内部の机,家具,人間が外に投げ出される可能性が高い。またその外装のガラス類は縦に割れて殺人凶器として人間に降りかかると思われる。そのことは既にロサンゼルス地震において実証されている。更に、仮に大地震を生き延びたとしても、そのあとの都市は生活可能なものに復旧できるのであろうか?
大地震は、建物の基盤である大地が大きく動くことである。このとき、その下を通る地下道や地下鉄はどうなるのであろうか?
関東大震災が起こった当時、東海道線の丹那トンネルの掘削工事が行なわれていた。このトンネルの中を関東大震災のエネルギーが通りぬけたことが記録されている。そのときトンネルの中では落盤と思われる巨大な音響がしたが不思議に被害はなかった。
地震のエネルギーは、トンネルの中で音のエネルギーに変わり、地震の揺れは全く感じられなかったのである。阪神淡路大震災でも三宮の地上ビルは倒壊したが、地下街の被害は少なかった。案外に地下の被害は少ないかもしれない。しかし地下街は、火事や水には弱い。いずれにしても次の関東大地震が人類の想像を超えたものになることは十分に予想される。
このような危険な東京、横浜に対して、極度に政治、経済、交通、通信の機能を集中した国つくりが明治以来行なわれてきた。いまから考えてみるとそれはあまりにも国家的なリスクが大きいものであった。
しかし今となっては、残された10数年でこれらを抜本的に改善することはもはや絶望的である。今はできるだけ災害が少なくなるよう祈る以外にない。
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