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  (3)不良債権処理を放置した連立政権―高くついた政治の季節

 自民党の宮沢政権に代わり、細川連立政権、村山連立政権と、自民党以外の政権が続々と誕生して、日本列島はかってない政治的に高揚した季節を迎えた
 しかしその一方で、地道な日本経済の再建や、特に焦眉の急を要するバブルの後遺症としての「不良債権」問題や構造改革問題などは、90年代の前半5年間、すべて先送りされた

★細川連立政権の功罪(93.8.10−94.4.8)
 1993年8月10日、38年にわたる自民党1党支配に代わって、社会党、新生党など7党による細川連立政権が、国民の絶大な期待を受けて成立した。

 細川首相は、政・官・業の癒着打破と「生産者本位」の経済社会を「消費者・生活者本位」に改革するというスローガンを掲げ、政治改革を最大の課題に位置づけた。ところが、その政治改革の内容は、小選挙区・比例代表並立制の導入であった。

 連立政権は、この改革によって自民党の政治基盤を崩すことは出来なかったのみか、逆に官僚支配をより強めることになってしまった。
 
 その象徴とも言える事件が、国民福祉税の導入宣言であった。
 94年2月3日、午前0時50分、武村官房長官を従えた細川首相は、突然、6兆円の減税と、消費税を廃止して7%の国民福祉税を実施することを発表して全国民を驚嘆させた。

  驚いた記者たちが、「なぜ7%なのか?」、「なぜ急に国民福祉税などというものが出てきたのか?」と質問しても、首相には満足な回答ができず、寝耳に水の社会党は連立を離脱するとまで言い出した。
 結局は、8日夕方になって、首相がおわび会見をするという結末になった。

 この国民福祉税騒動の結果として、所得税と住民税を一律20%カットする減税を先行させ、その財源は必ず94年中に手当てするという実質増税案が決まった。更に、94年11月25日、税制改革関連法が参議院で成立した。所得・住民税の減税を96年まで継続する一方で、現行3%の消費税を97年4月から5%に引き上げるという増税に道を開いた。つまり折角、自民党政権が交代したのに、日本の財政構造のムダに切り込むこともできず、自民党に代わる新しい景気対策も打ち出せなかった

 細川政権は、政権にも国民にも準備や心構えなどないままに登場してきた。そして、それによる無理が最後まで祟った。最後は、佐川急便からの1億円借用事件という細川首相自身がかかわる疑惑により、94年4月8日、あっけなく幕を閉じた。

★村山政権の誕生(94.6.29−96.1.5)
 94年4月25日の衆参両院でポスト細川を決める首相指名選挙が行われ、新生党党首の羽田が首相に選ばれた。その直後に、非自民8党派の連立政権から社会党が離脱して、その社会党が、自民党と組んで連立政権を作るという前代未聞の事件に発展した

 社会党が政権を離脱したため、羽田政権は短命に終わり、2ヵ月後の94年6月29日に自社さきがけ連立による村山政権が誕生した。いま考えて見ると、政権の座を失って瀕死の状態の自民党を社会党が身を挺して救ったとしか思えない。
 55年体制において常に野党として自民党を支えてきた社会党にできることは、今一度、自民党を政権の座に戻すことでしかなかったのであろうか?

 村山首相は、95年12月、できうる経済政策をすべてやったにも拘らず、日本経済が依然として盛り上がらないことの原因は、村山首相に信用がないからだ!と思っていたといわれる。そこで自民党の橋本首相に政権を譲ることが最善の「景気対策」になると考えた。(塩田潮「一龍の歯軋り」)

●村山政権は、住専問題も未処理のまま政権を投げ出した。
 村山政権を含めて、90年代前半期の政権は、すべて平成大不況とバブルの遺産としての不良債権の本質を全く理解していなかった。そのため最も焦眉の急を要する不良債権は、バブル崩壊後、5年間も放置されたまま無為にその額を増やし続けていった。そして村山政権の95年になり、ようやく不良債権処理の第1号として「住専問題」が登場したが、村山首相は、この問題でさえ未処理のまま、96年1月5日に政権を投げ出した。

 村山政権の後を受けて、96年1月11日、橋本内閣が3年ぶりの自民党中心の連立政権として発足した。バブル崩壊後、不良債権問題は既に5年間、手付かずで放置され、増え続けていた。
 そして橋本政権の最初の仕事が、大蔵省がからむ不良債権の「住専問題」の処理になった。しかし、この不良債権の処理に財政資金を投入したことが、国民からの非常な反発にあった。そのおかげで公的資金による不良債権処理は、日本ではタブー視されることになり、不良債権処理は更に大幅に遅れることになった

 不良債権の処理を、公的資金の投入なしで解決することは不可能である。そして出来る限り早く不良債権の全貌を明らかにし、公的資金を投入して早期に処理することが最も公的資金の節約になる。この不良債権問題のこわさと本質を、90年代の日本政府の首脳は、ほとんど理解していなかった。
 
 バブル崩壊からようやく5年をへて取り上げられた住専問題から述べる。




 
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