5.歴史はミステリー(その1)−日本は、いつから「日本」になった?
(1)歴史を「ミステリー」として解読する
古代から日本は自然の要害である海に四方を囲まれ、外国からの攻撃を受けにくいラッキーな国である。しかし九州や北海道のすぐ先は朝鮮半島とロシアであり、そこから先は陸続きで中国、東南アジア、さらにはヨーロッパにつながっている。
つまり日本も古代からすぐ鼻の先には外国があった!つまり国際的な影響を免れない辺境の国であったのである。
このテーマの発端は、教科書問題などで始まった外国との歴史認識の違いを、史実を通して検討することにあった。しかし古代史を一寸調べると、驚いたことに、歴史認識の違いは既に千年以上も前から存在していた!
しかもその内容は、政府が考えるように、専門家に集まってもらって解決できるほど単純ではない。
そこで、むしろそれらを「歴史のミステリー」として、面白く、楽しく考える方が有意義であると考えてこの主題に変更した。
●「日本国」のミステリー やまと、ひのもと、ニホン、ニッポン?
「日本国」ができてから既に千数百年たつが、「日本」を「ニホン」と読むのか、「ニッポン」と読むのか日本人自身にもよく分らない。それどころか7世紀には、驚くべきことに「日本」と書いて「にほん」とは読まなかった。
日本書紀に夥しく登場する「日本」という漢字は、太陽が昇る本地という意味であるのに、それとは全く無関係に「ヤマト」と読まれた。
太陽が昇る「日本」(にほん)という言葉が、国号として使われたのは、「日本書紀」にたった2か所しかない。これはまさに「ミステリー」である!
日本人は、島国特有の良さと悪さを持っている。その問題の一つに思考の情緒性がある。本居宣長は、それを「もののあわれ」といった。
つまり重要なことでも、それをあまり突き詰めず、ファジーなままにしておくのである。つまり思考方法が、西欧の人々のようにデジタルではなく、アナログ的なのである。
千数百年を経て1970年頃、佐藤内閣のとき、「日本」を正式には「ニホン」と呼ぶべきか、「ニッポン」と呼ぶべきか? 突然、問題になった。
わが国の「日本」という名称が正式に登場したのは、7世紀中ころである。それから1200年の間、日本人は「ニホン」でも「ニッポン」でも、どちらでもいいじゃないかとファジーに考えてきた。
同じ「日本橋」でも、東京では「にほんばし」といい、大阪では「にっぽんばし」という。これは日本人の極めて「情緒的」な一例である。
じゃあ「日本国憲法」はどうなっているの? 驚くべきことに、英訳文に「日本国」の正式な読み方がない。なんと「ジャパン」という西洋人が日本につけたニックネームになっている。現行の日本国憲法にも、正式な日本国の呼び名がないとは、まことに驚きである。
日本人の思考方法がアナログでもデジタルでも自由であるが、憲法の内容がアナログなのは困る。
日本銀行、日本放送協会は、「ニッポン」と読み、日本国有鉄道もニッポンであった。どうやら、戦前の日本の官僚機構は「ニッポン」を使用したらしい。
大日本帝国憲法も、「ダイニッポンテイコクケンポウ」であった。
それなのに日露戦争では、「ニホン海カイセン」と呼ぶ。まことに一貫しない。
1970年7月14日、政府は「日本」の正式呼称を「ニッポン」とすることに決定した。ところが最近、「ニッポンカイ」ではなく、「ニホンカイ」で国際問題が発生した。
韓国が海図にある「日本海」という名称を、韓国の名称である「東海」に統一すべきであると、国際水路機構IHOにクレームを申し立てた。
そこで国際水路機構は、海図から日本海という呼称を削除することを決定した?
日本の西の海を「東海」と呼ぶと、それは将来、確実に「歴史のミステリー」の一つになるであろう。
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