8.北朝鮮による拉致事件とは何であったのか?
(1)はじめに −朝鮮現代史から見た「拉致事件」
前回、7.金大中事件と朴政権において、97年に韓国政界の政治家でその後に大統領にまでなった金大中氏が白昼、日本のホテルからKCIAにより拉致された事件を取り上げた。
このような重要人物の拉致でさえ、それに国家組織が絡んでいたために、その事件の責任は当時の韓国政府と日本政府との間の「政治決着」という形で、ウヤムヤにされてしまった。
この金大中事件から数年を経た70年代後半から80年代にかけて、今度は北朝鮮の工作員により、日本の各地から一般市民が拉致される事件が頻発するようになった。
今でこそこの拉致犯人は、北朝鮮政府が派遣した工作員であることが分かってきたものの、それが「拉致事件」として認定されるようになったのは、事件から20数年をへた2002年以降のことである。
しかも、いまなおどれ程の人数の日本人が北朝鮮に拉致されたのか? その概数すら分からないというのが実情である。
2002年まで、これらの事件は公式には、原因不明の失踪事件として片づけられていた。そして北朝鮮政府は、いまなおこれらの事件は一部の工作員がからむ「日本人の行方不明」事件であるとしており、必ずしも「拉致」を認めていない。それのみか、数家族の帰国により拉致事件は既に終了したものとしている。
これらの事件が、北朝鮮の工作機関により拉致された疑いがあるとする記事が、はじめて「サンケイ新聞」に掲載されたのは、1980年1月のことである。
それからなんと拉致事件のうやむやな状態は、20年も続いてきている厄介な問題である。
その拉致事件が北朝鮮国家によるものと認定されて、日本を揺るがす社会問題になったのは それから20年を経てからのことであった。
2002年9月17日に小泉首相が北朝鮮を訪問し、その首脳会談の席上で金正日労働党総書紀は、日本人の「拉致」をはじめて認めて謝罪した。
それから拉致事件の一部のケースが、ようやく公式に話題に上るようになった。 そしてその日からは、この拉致問題は、連日、日本のマスコミで取り上げられない日がないほど社会的関心が高まった。
ところが拉致事件の解決のほうは、2004年に数家族が帰国して以来、完全に出口が見えない袋小路に入り込んでしまった。そして事件の全貌も解決の糸口も、全く闇の中にあるのが現状である。
この北朝鮮による拉致事件の本質を、北朝鮮の現代史の中から考えてみようというのが、本稿のねらいである。
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