4. 中国の政治・経済の行方(2) −ケ小平とその時代
(1)大転換 ―毛沢東体制からの脱却
★ケ小平時代のはじまり
毛沢東がケ小平のことを「党内で資本主義の道を歩む実権派」と呼んだのは、65年のことであった。ケ小平は、文化大革命の中では当然、失脚させられていたが、既に70年代初めに復活し、73年4月からは副総理として復権していた。このことは、毛沢東思想一辺倒のように見えながら、一方では毛沢東に対する根強い批判と抵抗勢力が存在していたことを示している。
毛沢東路線は、76年10月から最高首脳部の中の極左グループであった「4人組」を排除した国家主席・華国鋒が、王東興(党副主席)のような毛沢東支持者や、葉剣英(全人代常務委員長)、李先念(党副主席)など長老組の力を借りて継続していたが、70年代末から80年代初頭にかけて、急速にケ小平路線に置き換えられていった。
ケ小平は、74年春には国連資源特別総会では「第3世界」擁護の基調演説を行い、75年には金日成、レ・ジュアン、キッシンジャーなどとの会談を仕切り、中国外交の第一線に進出していた。75年1月の第4期全国人民代表大会からは、党と軍における「現代化」を推進する有能な官僚として、外交・内政ともに周恩来の後継者と見られるほどの活躍を始めていた。
しかし76年1月15日の周恩来追悼式において参加者を代表して世紀の宰相周恩来の生涯を追悼したことが、毛沢東一派の逆鱗にふれた。彼は第一次天安門事件の黒幕として、党籍だけを残してすべての職務を剥奪された。しかし毛沢東の死によって、ケ小平は77年7月の党3中全会において3度目の復帰をはたす。しかも党副主席、国務院副総理、開放軍総参謀長という文革期前の要職をすべて回復した。
1978年12月にケ小平の主導の下で開催された中共第11期中央委員会第3回総会(11期3中全会)は、新しい中国への大転換への画期的な出発点になった。そこでは75年末以来の「右からの巻き返し風に反撃する運動」、ならびに第一次天安門事件を反革命と認定した決議を誤りとして取り消し、彭徳懐(74年死去)らの名誉が回復され、陳雲、胡耀邦をはじめとするケ小平の支持者が要職についた。そこでは文革による死者が40万人、被害者は1億人に上ったことが非公式に発表され、文革は決定的に否定された。
同会議のコミュニケでは、内政的には中国の「4つの現代化の実現には、生産力の大幅な向上が要請され、また必然的に多方面から生産力の発展に照応しない生産関係と上部構造を変え、照応しないすべての管理方式、活動方式、思想方式を変えることが要請され、したがってそれは幅広い、深刻な革命である」とした。このことは、従来の中国の政治・経済がいわば「現代」の要請に適合していないため、「幅広い、深刻な革命」が必要であることを確認したわけである。そこで会議では経済管理体制の過度の集中化、権限の分散、行政機構の簡素化、企業としての公司への権限委譲、また農業における生産力の向上・発展などが提言された。
この路線は、翌80年2月の党第11期中央委員会第5回総会において更に発展し、胡耀邦を中央委員会総書記、趙紫陽を中央政治局常務委員、万里、胡喬木、胡耀邦、吊姚依林、などを中央書記局書記に選出した。そして劉少奇の名誉を回復し、実事求是を旨として、4つの現代化の偉大な事業にまい進することを明示した。
★政治の季節から経済の季節へ −中国の80年代
毛沢東の死によって、中国の政治の季節が終わり、ケ小平による経済の季節が始まった。ケ小平の言葉を借りれば、「黒猫であろうと、白猫であろうと、鼠を取る猫が良い猫」なのである。毛沢東は、「豊かな資本主義より、貧しい社会主義の方が良い」といっていたが、中国は、「貧しい社会主義」ではなく、「豊かな社会主義」に向かって進み始めた。
そのために「走資派」のケ小平は、中国の国家経営に資本主義的市場原理を大幅に採用しようとした。しかしそこには大きな矛盾があった。共産党独裁の下で統制された経済自体が、民主主義的・自由市場の原理とは基本的に相容れないメカニズムなのである。
この矛盾が、80年代の末に、第二次天安門事件となって、中国政治の根幹を揺るがすことになった。そして今、中国は共産党独裁下での市場原理の導入という管理体制自体に大きな矛盾を抱えたまま21世紀に突入している。
11期3中全会から、特に現代の中国につながる最も大きな路線変更は、イデオロギー重視の政策から、実務的な経済重視の政策への切り替えである。しかし党内にはイデオロギー重視の思想も根強く、ケ小平は、79年3月に、党の理論工作研究会の演説で、次の「4項目の基本原則」を堅持することを明確にしている。即ち、(1)社会主義の道、(2)プロレタリア階級独裁、(3)共産党の指導、(4)マルクス・レーニン主義、である。
しかし、その後のケ小平の実際の政策の中で、(2)、(3)はともかく、(1)、(4)の言葉の内容は全く不明確のままである。
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