20.公的年金制度の危機を考える −その暗澹たる未来!
(1)地獄の釜の蓋が開くとき!―公的年金は事務、組織、制度の全面的危機に突入した
●「公的年金」とは?
「公的年金」とは、国がすべての国民を対象にした保険者となり、老齢者、障害者、遺族に対して年金を給付する社会制度である。その原資は、20歳から65歳までのすべての国民による拠出と、国家、企業の拠出により賄われている。その制度が今、全面的な危機に晒されている。まずその基礎知識から述べてみる。
公的年金のシステムは、職業などに応じて、図表-1のような3階建ての建物のかたちで構成されている。
図表-1 公的年金のシステムの概要
3階 |
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厚生年金基金 |
共済年金地域加算 |
2階 |
国民年金基金 |
厚生年金 |
共済年金 |
1階 |
国民年金(基礎年金):20歳以上の全国民が対象になる) |
加入者 |
個人事業主、無職者及びパート、アルバイト等、厚生年金加入基準を満たさない給与所得者 |
第2号被保険者の被保険配偶者 |
民間サラリーマン |
公務員等 |
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第1号被保険者 |
第3号被保険者 |
第2号被保険者 |
また、公的年金給付の種類は、図表-2に示す3種類がある。
図表-2 公的年金給付の種類
給付の種類 |
給付の条件 |
内 容 |
老齢年金 |
老齢(65歳)になったとき支給 |
老齢基礎年金、老齢厚生年金、退職共済年金、特別支給の老齢厚生年金など |
障害年金 |
障害の状態になったとき支給 |
障害基礎年金、障害厚生年金、障害共済年金など |
遺族年金 |
死亡したとき支給 |
遺族基礎年金、遺族厚生年金、遺族共済年金など |
●公的年金制度の歴史
わが国の公的年金制度は、明治時代の軍人恩給から始まり、大正時代には公務員全体を対象にした恩給制度に拡張された。この公務員を対象にした年金制度は、戦後に共済年金制度となり、公的年金制度における大きな柱の一つとなって今に至る。
昭和に入ると民間の船員保険が加わり、さらに昭和17年に労働者労働保険法が制定されて、民間企業を対象にした、その後の厚生年金制度に繋がる公的年金の制度となった。
戦後の昭和34(1959)年に国民年金法が制定され、自営業者、学生、主婦などを含む「国民皆保険」の考え方に基づく年金福祉制度が作られた。そこでこれまでの公的年金制度の歴史を、簡単な年表にまとめてみると、図表-3のようになる。
図表-3 公的年金制度の歴史
西暦 |
邦暦 |
事項 |
1923 |
大正12 |
恩給法制定 |
1939 |
昭和14 |
船員保険法制定 |
1941 |
昭和17 |
労働者年金保険法制定 |
1944 |
昭和19 |
厚生年金保険保険法に名称を変更 |
1945 |
昭和20 |
戦争終結、戦後の始まり |
1947 |
昭和22 |
日本国憲法公布 |
1954 |
昭和29 |
年金支給年齢55歳から60歳に |
1959 |
昭和34 |
国民年金法制定、無拠出の福祉年金実施 |
1961 |
昭和36 |
国民皆年金、拠出制国民年金の保険料徴収の開始 |
1962 |
昭和37 |
社会保険庁発足 |
1973 |
昭和48 |
月額5万円、物価スライド制 |
1985 |
昭和60 |
基礎年金を全国民(主婦を含む)に適用、65歳から支給、2階建て年金制度ができる |
1989 |
平成元 |
基礎年金額引上げ、完全物価スライド制、20歳以上の学生強制加入 |
1994 |
平成6 |
公的年金の一元化へ |
2000 |
平成12 |
基礎年金額引き上げ、支給年齢65歳に、国庫負担率引き上げ |
2001 |
平成13 |
厚生年金の定額部分の段階的廃止へ |
2004 |
平成16 |
基礎年金の国庫負担率引き上げ、厚生年金の保険料率引き上げ |
2007 |
平成19 |
年金の不祥事が続き、社会保険庁を解体。2010年に非公務員型の公法人・日本年金機構を設立。公的年金に係る財政責任・管理責任は引き続き国が担うことを閣議決定する。 |
●公的年金制度の危機とその表面化
公的年金制度は、その歴史からも明らかなように、きわめて複雑な背景をもって作られてきた。そのため無理があった部分の財政赤字から、年金制度の危機が始まった。
公務員を対象にした共済年金制度の赤字は、はるか1970年代の初めに遡ると思われる。それが1985年以降は、厚生年金制度の赤字に拡大した。
さらに、この頃から、日本社会における少子化が問題になり始め、加えて、年金制度が「積立て方式」を「賦課方式」に変更したため、日本の年金制度は少数の若年世代が、多数の老人世代を支えるという暗澹たる未来社会の構造を作り出した。
つまり財政危機と少子化が、公的年金制度の深刻な危機を作り出したといえる。
わが国における公的年金制度の危機がいわれ始めて、既に久しい。しかしその内容が複雑であるため、その重大性にも拘らず、国民的な話題になることがなかった。
しかし2004年に基礎年金番号が一本化され、制度の整備が進み始めてから、逆に制度上の重大な欠陥や不具合が次々に表面化し始めた。
最初は、2004年3月の国民年金・保険料の未納問題から始まり、政治家の年金未納が一斉に明らかになった。そして夏から秋にかけては、さらに、社会保険庁の職員の不当閲覧や収賄罪による不祥事に発展した。
そのため政府は2004年の年金法の改正にともない、社会保険庁の組織のあり方を検討し、同庁の業務の抜本的改革に取組まざるを得なくなってきた。
2006年3月には、年金事業機構の法案の審議中に、国民年金の不正免除問題が明らかになり、審議は中断されて法案が廃案になる事態に発展した。そこでは最終的に不正免除の件数は222,587件にまで達しており、社会保険庁の事務機構の構造的欠陥は、もはや誰の眼にも明らかになり始めた。
2007年になると、さらにひどい状態が明らかになってきた。2月17日には、納付者を確定できない国民年金や厚生年金の納付記録が、5095万1103件(60歳以上が約2850万件、60歳未満が約2215万件、生年月日を特定できないものが約30万件)もあるということが、民主党の指摘で明らかになったのである。所謂、消えた年金問題である。
そしてこの公的年金の危機は、単なる事務機構の不備にとどまらず、年金制度そのものが深刻な危機を迎えていることを露呈し始めた。
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