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どこへ行く、世界
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1. アメリカ経済の行方―ドル本位制の終焉

11. 戦争ゲームを考える −フォン・ノイマン仮説の破綻
12. 21世紀の世界はどこへ行く?(その2)
13. ロシアの政治・経済の行方(2) −ロシアにおける市場経済化の軌跡

14. 中国の政治・経済の行方(3) −ケ小平・21世紀の夢!
(1)「豊かな社会主義」への歩み−高度経済成長への30年
(2)1980-2000年の経済政策
(3)21世紀のケ小平の夢 −中国は世界一の超大国になるか?

15. 大国インドの登場 −変貌する21世紀世界の勢力地図
16. 世界経済の興亡(1)(18-20世紀)−ポンドとドルの時代
17. 世界経済の興亡(2)(20-21世紀)−ドルの次の時代?
 
  14. 中国の政治・経済の行方(3) −ケ小平・21世紀の夢!

(1)「豊かな社会主義」への歩み−高度経済成長への30年
●中国経済の危機と「市場経済」への大転換
 党主席になった華国鋒が、1976年10月に文化大革命で登場してきた『4人組』をようやく排除した段階で、毛沢東による『文化大革命』の下にあった中国経済は、「殆ど崩壊寸前」といえる危機的状況に陥っていた

 1950−60年代における「毛沢東の中国」は、その頃、「世界で初めて社会主義から共産主義への第1歩を踏み出した」と認識していた。人民公社や鉄鋼増産は、まさにその時代における認識を背景にした政策であった。
 しかしそれから20年を経た中国経済は、ほとんど危機的な状況に陥っていたが、毛沢東はそれでもなお「富める資本主義よりは、貧しい社会主義を選択する」として「文化大革命」に踏み切った。

 この中国の危機的経済状況を真に憂慮していた有力政治家は、周恩来であったと思われる。彼は毛沢東に代わる政治家としてケ小平を影から支えてきた。ケ小平は毛沢東により3度も失脚させられたが、そのつど周恩来はケ小平を復活させて、最終的に70年代末に毛沢東に代わるケ小平体制への大転換を成功させた
 これほどの筋書きを実行できた人物は、周恩来を除いては考えられない。

 1975年1月に開かれた第4期全人代第1回大会がその出発点になった。
 「全人代」とは全国人民代表大会のことである。それは中国の1院制の立法機関、つまり中国の国会に相当する機関であり、議員の任期は5年で解散はない。
 この大会において、周恩来資本主義国の設備や技術を導入することにより、『4つの現代化』つまり中国の農業、工業、国防、科学技術を、20世紀中に現代化した社会主義の強国として築きあげる方針を提起した

 毛体制からケ体制へ明確に状況が転換したのは、更にそれから4年近い歳月がたった1978年12月の第11期3中全会以降のことになる。
 この会議において華国鋒が主席に就任し、「洋躍進」(=外国からの大型プラント導入による急速な近代化)の方針を示すとともに、事実上、ケ小平が主導権をとって、新しい中国の改革・開放への大転換の1歩が始まった

 さらにこの会議において、75年以来の『右からの巻き返し風に反撃する運動』や天安門事件を反革命と認定した決議は誤りとして取り消され、彭徳懐らの名誉回復も行なわれた。
 そして陳雲、胡耀邦などケ小平を支持する人々が要職に配置され、それまで勢力をもっていた毛沢東一派はその勢力を失い、明らかに毛沢東時代の終焉をつげる会議となった。

 さらに80年代に入ると、毛沢東に代わってケ小平体制を確立する過程において、在来の「社会主義計画経済」に対して、新しく「社会主義市場経済」を導入する試みが始められた
 1987年10月25日の中共第13回全国大会では、「社会主義市場経済」という言葉はまだ使われなかったものの、その第1歩となる重要な大会となった。
 中共全国大会とは、「中国共産党全国代表大会」のことである。この全国大会は5年ごとに開催され、党中央委員会がこれを召集し、党の重大問題の討議、党規約の改正、中央政治局員、中央委員の選挙などが討議される場となる重要な大会である。

●中国における高度成長経済の軌跡
 中国がケ小平の新体制により、毛沢東の「計画経済」から「社会主義市場経済」という人類未経験の新しい実験的経済政策へ移行を開始してから既に20数年がたった。
 その間に中国経済は、予想を超えた目覚しい発展を遂げた。そこでまずその発展の軌跡を眺めてみよう。
 80年代初頭における価格自由化から始まり、社会主義市場原理に基づく高度成長政策を成し遂げた中国の24年におよぶGDP(国内総生産)の5年ごとの軌跡を図表-1に示す。

図表-1 GDPの推移(単位:億元)

 図表-1における中国のGDPの推移を見ると、その出発点となった1980年のGDPはわずかに年間4,470億元であった。それが24年後の2004年にはGDPが30.5倍の13兆6,515億元にまで増加する目覚しい高度成長を成し遂げたことになる。
 この間の平均年成長率は、なんと15.3%という驚異的な高さになる。

 この間、日本経済も80年代後半には大バブル景気を経験したことが記憶に新しいが、80年を起点にした日中経済の伸びの差がいかに大きかったか図表-2からわかる。

図表-2 日本と中国における80年代以降のGDPの増加比較(1980年=100)

 この間の中国における5年ごとのGDP平均成長率の推移を図表-3にあげる。

図表-3 中国のGDP成長率の推移(%)
 

 図表-3を見ると、中国の社会主義市場経済は、1980年代にかなり顕著な高度成長を示し、90年代初期にピークを迎えている。そしてその高い成長率は95年以降、若干の衰えを見せたとはいえ、かなり高い10%前後の成長率を維持しつつ、21世紀には安定軌道に乗ってきた状況が見られる。そこで1980年代以降、どのような政策により、これらの高度成長経済が達成されてきたかを次に眺めてみよう。




 
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