(9)漂流する大国ロシアー「ペレストリカ」は、「カタストロイカ」になった!
1990年、ゴルバチョフはサンフランシスコにおいて、米国のマスコミから「社会主義市場経済」は成功すると思うか?という質問をうけたとき、日本がその成功例だと答えた、といわれている。 戦前、戦後を通じて、日本の産業は、そのほとんどが箸の上げ下ろしにいたるまで、官庁行政の指図を受けて運営されてきた。それは、「資本主義」というよりは、ほとんど「社会主義」というべきものであった。
事実、戦後の日本も、国家社会主義者であった北一輝が戦前に書いた「日本改造法案」に描かれた国家に非常に似ている。
「官僚制」というのは、実は、民主主義、自由主義とは、極めて馴染み難い制度であり、資本主義よりは社会主義のほうが、遥かに馴染みやすい。官僚制は、絶対的な権威に基づいて業務を執行することが好きである。戦前、日本の高級官僚は天皇に任命されたし、戦後も国家行政の長である大臣は天皇による認証を受ける。
ソ連の社会主義では、この国家権威の拠り所がイデオロギーであり、共産党の組織であった。
デュカという人の曲に「魔法使いの弟子」というのがある。ディズニーの映画「ファンタジア」に使われて有名になった。魔法使いの弟子がお風呂の水汲みを、習いたての魔法をかけて、箒にやらせる。只、水汲みを止めさせる術をまだ習っていなかった。
お風呂は一杯になり、溢れ始めたのに,箒は更に、どんどん水を入れ続けた。この話しは見事な官僚制に対する批判である。つまり官僚制がうまく機能するのは、お風呂の水が一杯になるまでのことであり、その後は逆に其れを止めることが非常に困難になる。日本の道路公団がどんなに赤字が累積しても、勝手に道路を作り続けようとする論理と同じである。
官僚に指導された日本の社会主義が、極めて上手く機能したのは高度成長期であった。それは日本における「社会主義市場経済」の成功ではなく、成長期には官僚の主導が経済の方向や足並みを揃えるのに大きな効果を発揮したにすぎない。
つまりソ連でも経済が絶頂期にあったフルシチョフの時代に、続いてペレストロイカをやっていたら、そこそこに成功を収めたであろう。しかし官僚制は、本質的に「改革」を嫌う。昨日やっていたように、今日も明日もやりたいのが官僚たちの特質である。
フルシチョフは無能なブレジネフに失脚させられたのではなく、ソ連の特権官僚(ノーメンクラツーラ)によって失脚させられたということが、1980年にヨーロッパでベストセラーになったヴォスレンスキーの大著「ノーメンクラツーラ」に書かれている。今回のゴルバチョフのペレストロイカの失脚も、実はフルシチョフの場合に非常に類似している。つまりゴルバチョフを失脚させたのは、フルシチョフの場合と同じノーメンクラツーラ達であった。
8月クーデターの首謀者たちは、ソ連のノーメンクラツーラの最高首脳部であることが、その顔ぶれからわかる。フルシチョフの時も、休暇中にひっそりとしたクーデターで失脚させられ、無能なブレジネフが擁立された。ノーメンクラツーラたちにとって、トップは無能な方が仕事がやりやすいのである。しかし今回は、フルシチョフの時と異なり、ペレストロイカの中で、「民主派」が育っていたことが、誤算であった。その結果は、かれらのよって立つ政治的基盤であるソ連共産党の消滅という思いもよらぬ結果を招いてしまった。
しかし民主派のメンバーも、ソ連社会で育ってきたノーメンクラツーラであった。官僚制の弱点は、停滞した時期,先行きどちらへ行ったら良いか判らない時期には、よほど個人として優れた官僚がいた場合を除いてほとんど無力化する。なぜならば、そこには方向を決めるための前例もないし、その中で、新しく方向を決めれば自分で責任を背負い込むことになる。
官僚たちは、口先で改革を唱えるのは大好きであるが、本音では、自分の身に降りかかる改革など間違ってもやりたくない。ゴルバチョフのペレストロイカの時代を通じて、夥しい書籍が出版され、激しい議論がいたるところで行われたが、そのほとんどが空論であった。それはロシアにとって、革命のときに匹敵するほどの大変な時代であった。しかし、その結果、ソ連は崩壊して、民主化され、資本主義に戻った。しかしロシア革命からの74年のソ連社会の中で、観念としての資本主義はともかくも、その資本主義の経済的基盤は全く失われていたのである。
アメリカ的資本主義の立場以外、知識も経験もないIMFの学者やスタッフに、社会主義経済から新しく資本主義経済への移行の指導が出来るわけはない。その結果、ペレストロイカの崩壊が「カタストロイカ」の始まりになり、大国ロシアの漂流がはじまった。
2003年の現在も、大国ロシアの行方は混沌としている。94年2月に、エリツィンは「強力なロシア国家建設」をうたい政局の安定を図ろうとした。2000年5月にロシア大統領に就任したプーチンも、「強いロシア」をスローガンに掲げた。ロシアが、「強い国家」を強調して、アメリカに対抗する世界的な大国に戻ろうとする意識が強いのは当然であろう。
しかしロシアの2000年の国民総所得は、2,410億ドル、大体、スウェーデンと同じらいの経済規模にまで落ち込んでいる。しかも産業の生産設備の更新投資を長い間、行ってきていないので、2003年には設備の多くが耐用年数の限界を超えてしまった。
いわゆる「2003年ロシア経済危機説」である。政治的にもCISを構成する国々は、過去の共産党への回帰を目座す勢力と、更に強いロシアを目指す新しい勢力の間で大きく揺れ動いている。ロシアの行方は、残念ながら混沌としている。
本稿には、多数の文献を利用しているが、特に事実関係の流れについては、旧東ドイツ出身のロシア・ウオッチャーであるヴォルフガング・レオンハルトの「大国ロシアの漂流」(邦訳:NHK出版)に大きく依存している。
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