(2)金大中拉致事件の政治決着 ―北朝鮮による拉致事件決着の原型?
ここ数年来、北朝鮮による民間日本人の拉致事件が日本のマスコミを賑わすようになった。しかしそこで問題になる北朝鮮による拉致事件は、既に20年以上も前に起こっているものであり、当時から北朝鮮の関与が囁かれていたものでもある。
それらは、すべて日本政府のデッチあげによるデマとして放置されてきた。
金大中事件の場合でも、もし被害者である金大中氏が殺害されていれば、その犯人は勿論、死体も出ない失踪事件として迷宮入りしていたと思われる。
しかし金大中の場合は生きて自宅に戻ったため、拉致の方法やそれに関わった犯人たちが、否応なしにあぶりだされて、韓国の国家権力が全面的に関わった事が暴露された。
このように国家の闇機関が関わった犯罪において、その内容が明らかになる事は、ほとんど稀有の例であるといえる。
民主主義国家の最も重要な使命は、国民の生命、財産の安全を守る事である。その国土の中で、国民の生命、財産が他の国家により脅かされたら、自衛のための戦争につながるほど重要な事件になる。
つまりある国家が組織的に他国の国民を拉致したら、それは国家間の戦争に発展してもフシギでないほど、国の主権を脅かす行為になる。
しかし日本の場合、20年以上前から始まった北朝鮮による拉致事件を、深刻な国家主権の侵害であるにも拘らず、ウヤムヤなまま放置してきた。
その理由は、一体、何であろうか? 私は、長い間、このことを非常にフシギに感じてきた。
しかし今回、韓国による金大中の拉致事件を取り上げてみて、北朝鮮による拉致事件における処置の原点が、金大中事件にあることが分かってきた。
金大中は、71年の大統領選挙において朴大統領に僅差で敗れた隣国の大政治家である。そのVIPが、日本の国土の上で白昼、拉致されるということは、日本国に対する明白かつ深刻な主権侵害であった。
それにもかかわらず金大中事件の結果を見ると、日本政府はそのような抗議は殆どしないまま、韓国政府といっしょになって大きな国際問題になる事を回避してきたようにみえる。
それは北朝鮮による拉致を国家主権の侵害とする主張を、極力回避する現在の日本政府に限りなく似ている。その意味において、金大中事件は、北朝鮮による拉致の源流をなしているといえる。
そのような国家の主権侵害の主張を回避する方法が、「政治決着」である。
北朝鮮は、小泉訪朝のあとで数組の日本人家族を帰国させて、「政治決着」がついたと主張している。その事を見ても、「政治決着」の意味がよく分かるであろう。
●金大中事件の第1次政治決着
政府機関が関わる2国間にまたがる拉致事件解決の国際慣例としては、通常、(1)陳謝、 (2)再発防止のための措置、 (3)犯人の処罰、 (4)現状回復の4項目が必要とされている。(古野喜政「金大中事件の政治決着」、151頁)
日本では法眼外務次官が、73年10月17日の外信記者クラブにおいて、このことについて明確に話している。
金大中事件における「現状回復」とは、本来は、金大中を日本に戻すことである。
しかし韓国の朴政権は、もし金大中を日本にもどして再び民主化運動を始められると、最早、国内では政権が維持できないほど、韓国内における民主化の圧力が高まってきていることを怖れた。
それに対して日本政府の「現状回復」の見解も、金大中を日本に戻さなくても、韓国内での金大中の自宅軟禁を解けば、それを「現状回復」と認めるとする見解が強くなってきていた。
そしてこの線に沿って、73年10-12月にかけて第1次の政治決着が図られた。
まず73年10月25日深夜、金大中の自宅監禁は解除され、それまで同氏宅を監視していた私服たちはすべて姿を消して、26日には金大中氏による記者会見が行なわれた。
11月2日には、金鐘泌・韓国首相が陳謝のため来日し、田中首相と会談した。そして12月3日に、朴大統領は、李厚洛中央情報部長を更迭して内閣改造を行い、再発防止の措置を取った。これにより、第1次政治決着は形式的には終了したことになる。
●第2次政治決着
上記の第1次政治決着により、韓国政府は金大中事件における日本に対する問題は決着したと考えていた。しかし日本側は、マスコミも国民もそれで決着がついたと考えることはできなかった。
なぜなら金大中が、その後も事実上、朴政権の下で自由を奪われている事は明白であるし、ホテルの部屋から指紋が検出された金東雲書記官に対する取調べも行なわれていない。これでは日本側として事件に決着がついたとは、とうてい言えない。
そのことは北朝鮮の政府が拉致家族の数世帯を帰国させただけで、拉致問題はすべて終了したと主張している現在の状況に、限りなく類似している。
このような状況の下で、74年8月15日に、在日韓国人の文世光が朴大統領を狙撃し、その流れ弾により大統領の妻の陸英修女史と女子学生が死亡する事件が起こった。その犯人は日本の旅券を持ち、凶器のピストルは、大阪府警で盗まれたものであった。そのため、今度は日本政府が韓国から責任を追求される立場に立つことになった。
75年7月22日、韓国は日本大使館に2通の口上書を提出した。1通は金東雲に関するもの、いま1通は大統領狙撃事件に関するものであった。つまり韓国政府は、この2つの事件をセットにして金大中事件の決着を図ろうと考えた。
口上書では、金東雲については、捜査の結果、容疑事実の確証が得られず、不起訴となったが、公務員としては不的確なので解職したこと。
また朴大統領狙撃事件については、日本政府が椎名特使を通じて約束した、韓国政府の転覆を意図するテロ活動の防止に関して、日本政府が取った措置とその報告を求めてきた。
つまり金大中事件と朴大統領狙撃事件をセットで取り上げ、双方の政治決着を一括して求めてきたわけである。
口上書をめぐって7月23-24日、ソウルで日韓外相会議が開かれた。出席した日本側は、宮沢喜一外務大臣である。そこでは金大中の現状復帰については全くふれられず、金東雲は犯行現場から指紋まで検出されているにも拘らず、「公務員としての地位を喪失させた」という回答で外交的には決着することになった。
これが「第2次政治決着」と称するものである。
この第2次決着を行なった三木内閣の宮沢喜一外務大臣の措置は、国家主権の侵害であるとする声が日本側では強く、そのように思う日本人は多い。
しかし最終的な決め手を欠いている以上は、外交交渉にならざるをえないわけであり、金大中事件で動かない証拠に欠けていた、と述べられている。
つまり、国家機関が関与したという証拠がないというわけである。
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