(11)クリントン政権の誕生―「変化」の時代へ。
★巨大財政赤字によるジョージ・ブッシュ大統領の敗北。
1992年の大統領選挙で、12年続いた共和党の政権はおわり、民主党のクリントンが大統領になった。ブッシュ政権は、わずか4年の間に湾岸戦争などにより、レーガン政権の8年のそれに近い1兆ドルを超える財政赤字を出し、累積赤字は4兆ドルを超える状態になっていた。湾岸戦争の直後には無敵の大統領といわれていたブッシュであったが、実際の大統領選挙では、第3の候補者であるペローの出現と、彼の財政危機への攻撃により、結果的に国内経済の強化をうたったクリントン政権への道を開いたように見える。
ちなみにブッシュ政権下でのアメリカ経済のファンダメンタルズを見ると、実質経済成長率は、年平均0.9%でケネディ政権以来の最低の伸びであり、レーガン政権下で一旦良くなりかけた労働生産性の上昇率も、ブッシュ政権下で再び鈍化。失業率も92年には7.4%に上昇していた。インフレ率は、92年に入り、3%で落ち着いていたが、財政赤字の幅は拡大傾向お示していた。
★クリントンによる財政赤字の削減
クリントンの政策は、「レーガノミックス」に対して、「クリントノミックス」と呼ばれる。1993年1月、大統領に就任したクリントンは、2月に上下両院の合同会議で演説を行い、アメリカ経済再生のための包括的経済政策を明らかにした。その「目玉」は、増税により5,000億ドル(翌日、3,250億ドルに修正)という過去最大の赤字削減の公約であった。同時に総額3,000億ドルの景気刺激政策を行い、50万人の雇用創出をはかるとした。
長期的対策としては、4年間で総額1,600億ドルの経済基盤強化投資を行い、96年までに合計800万人の雇用を創出するとした。
このクリントン演説の特徴は、従来の共和党政権が政策の中心においてきた外交政策がないことや、減税をアメリカ経済再興の鍵としたレーガノミックスに対して増税を明確に打ち出すなど従来の共和党政権の政策を180度転換するものとなっていた。
1983年8月に議会にかけられた包括予算調整法の主軸をなす税制改革では、レーガン政権が高額所得者の減税を行ったのに対して、増税といいながらも年収2万ドル以下の低所得層は減税となるようにつくられた。年収5万ドルまでの中産階級も増税とはいえ現行税額の0.02%から0.39%の増におさえられた。この税制改革で増加する政府増収分の8割は、アメリカの総所帯の1.2%でしかない年収20万ドル以上の超富裕層から徴収された。これはレーガン減税の全く逆の発想であり、そのため増税といいながら、中産階級以下の層ではむしろ減税であり、これが90年代の消費ブームを支え、アメリカの繁栄の原因の1つとなった。
★クリントノミックスの財政思想
レーガノミックスの時代、これを支えたフリードマン、フエルドスタイン、そしてサプライサイド達の新保守主義者の思想は、国富を作り出す道を、市場メカニズムの自由な機能、言い換えれば、政府介入が少ない「小さな政府」に求めた。そのために、所得税を削減し、政府規制を緩和しながら、余剰な市民福祉サービスを削減した。つまりレーガン時代は、「減税と行革」が、財政政策の中軸となった。
クリントノミックスでは、この新保守主義者の立場を拒否し、むしろ巨額の財政赤字を生み出した張本人こそ市場万能主義的な「新自由主義」であると考えた。したがってアメリカ経済再生への道は、高額所得者への減税や規制緩和ではなく、
(1) 政府の介入と公共投資の積極的出動によって、変貌する産業構造の要請にこたえた労働の質を確保し、社会、経済、技術の基盤の強化をはかること。
(2) 疾病や失業や犯罪の激増からくる「忘れられた普通の人々」の不安を除去し、働きに応じて市民が報われること、そのとき、経済の蘇生と社会の再生はコインの裏表になる。
(3) アメリカの繁栄がグローバル化した世界経済に強く依存し、政府の積極的てこ入れなしに国富の増大ははかれない。したがってアメリカも、アジアや日本のように産業政策を導入し、貿易赤字を削減しながら、「世界市場の開放」に力をそそぐべきである。
以上の3点が、クリントン政権による「変革」のための課題であった。(進藤栄一「アメリカ 黄昏の帝国」、岩波新書、198-199頁)
★クリントンの政策の結果
1993-2000年のクリントン政権下のアメリカ経済は、中産階級の減税と貯蓄率がマイナスなる消費ブーム、そして長期にわたる株高に支えられて、非常に繁栄をした。
その原因は、単にクリントンの経済政策の効果のみでなく、それ以前のレーガン、ブッシュの時代に双子の赤字は積み上がったものの、ドル本位制と世界一の軍事力に守られている安心感から、世界中の資金がアメリカに集中し始めたことが大きく貢献しているといえる。
クリントンの時代、アメリカ経済は非常な繁栄をとげ、それによる税収の増加が増税の効果が加わり、アメリカの財政赤字は劇的な減少をとげた。その状況を次に挙げる。
アメリカの財政収支と長期債務残高(10億ドル)
年次 |
政権 |
財政収支 |
長期債務残高 |
1990 |
G.ブッシュ |
-221 |
3,206 |
1991 |
-269 |
3,600 |
1992 |
-290 |
4,079 |
1993 |
クリントン |
-265 |
4,544 |
1994 |
-203 |
|
1995 |
-164 |
|
1996 |
-107 |
|
1997 |
-23 |
4,706 |
1998 |
69 |
4,883 |
1999 |
124 |
4,998 |
現在のブッシュがクリントンに代わって政権の座についた途端に、再び財政収支は悪化し始めている。
予定としては、2003年から、財政収支は改善されることになっているが、2003年は、春からイラク攻撃が始まることが危惧されており、そうなれば財政収支は更に悪くなるであろう。
(12)アメリカ経済の罪と罰
カール・マルクス流の比喩でいうならば、いま、世界には「グローバル化=超市場主義」の妖怪がさまよっている。その妖怪は、1971年8月15日に生まれた。それを妖怪と知らずにこの世に送り出した親は、アメリカ大統領ニクソンである。
それはドル・金の交換停止というごく普通の顔をして生まれた。妖怪が誕生したとき、人々は先行き人類の生存を脅かす恐ろしい存在になるとは、夢にも思わなかったし、日本の政治家などは、なんのことか分からなかったほどである。
第2次大戦後の復興援助から始まり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、東西冷戦で、膨大なドルがアメリカから外国へ流出した。そのドルは、アメリカ以外の国々で通貨として流通し始めた。それらの国々で通用し始めたドルは、1オンス=35ドルという法定の価値をもって世界の国々で通用していた。ところがこの71年頃には、あまりにドル紙幣を発行しすぎたために、もはやドルの価値を裏付ける金がアメリカに無くなっていた。つまりただの紙切れになったわけである。
しかしアメリカは、世界最強の軍事国家として存在し、世界最大の国内総生産(GDP)を産出している国である。そのアメリカの国家が発行している紙幣の価値を、自国の紙幣の価値と自由な相場をその都度、設定してよい、というのが「変動相場制」である。上記の妖怪の正体がこれである。なぜこれが妖怪になったかを述べる。
71年当時、アメリカの統制を離れてヨーロッパで自由に活動していたドル(これを「ユーロ・ダラー」と呼ぶ)は、3,000億ドルといわれる。このアメリカ本国の統制を離れた浮遊するドルが、現在では紙幣からも開放された抽象的な投機資金となり、1日1兆ドルから2兆ドルという巨大な規模になって世界中を彷徨つている。この資金は、その規模、性格ともに、アメリカの連銀の統制からも離れて、1国の経済を危機に追い込むほどの規模に達した。
この妖怪は、すでに70年代の石油危機のときから活躍をはじめ、1987年のブラック・マンデーでは、アメリカ経済を脅かした。その被害は、90年代にはロシア、タイ、インドネシア、中南米の国々で猛威を振るったが、21世紀には、新しい国際通貨ユーロの誕生ととに、更に大きな投機市場を求めて、アメリカ、日本、ヨーロッパを投機対象とする時代になる公算が強くなってきた。
無能、無思想、無責任の3拍子そろった政治家、官僚、財界人が食い物にしてきた日本国の経済は、ここ20年にわたる失政、無為、無策の連続により、すっかり衰弱してきている。
21世紀には、最も妖怪の餌食になりやすい条件ができたように思われる。
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