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日本人の思想とこころ
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  (3)「いろは歌」に秘められた暗号

●とかなくてしす
 習字の練習のためとはいえ、短歌を7文字づつ無意味なフレーズに区切って書くということ自体が、考えてみると妙なことである。
 図表-1の右の列を見てみると、図表-5の赤字のように「咎なくて死す」と読めるのである。
図表-5 とかなくてしす −暗号1
   

 「いろは歌」は、無実の罪で死罪になった人が、それを世に伝えたいとして遺した歌である可能性が出てきた。それはいったい誰なのか?

 人形浄瑠璃の竹田出雲は、「菅原伝授手習鑑」(初演1746)の中で、「咎無くて死す」のモデルに菅原道真を設定したといわれる。また、同じ竹田出雲の浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」(初演1748)では、赤穂義士47人に、いろは47文字を当てはめ、さらに「咎なくて死んだ47人の義士」を当てはめた。
 つまり18世紀中葉には「いろは歌」の「咎無くて死す」は、既に、江戸の人々の常識になっていたと思われるのである

 大正時代に字母歌の本格的な研究を行なった大矢透氏は、「咎無くて死す」を「罪科もなく、清らかに死んでいく」という風に解釈し、仏教思想の理想的境地を表現した言葉と解釈した

 最近では、詩人の篠原央憲(ひさのり)氏が、著書「いろは歌の謎」(カッパブックス)の中で、万葉の歌人・柿本人麻呂が無実の罪で処刑されるときに、暗号として残した歌であるという説を出した。
 それは私の手元に、現在、篠原氏の本がなくて確かめられないが、梅原猛氏が「水底の歌」で柿本人麻呂の水死説を取り上げた後であったように記憶している。
 しかし柿本人麻呂の歌が、七五調で登場することは、一寸考えられない。

●かきのもとひとまろ
 ところが作家・井沢元彦氏が、「猿丸幻視考」という作品においてはからずも人麻呂を再度、発掘した。
 この井沢氏の作品も発表と同時に読んで非常に面白かったが、残念ながら、それも今は手元にない。井沢氏はそこで図表-6に示すような人麻呂の名前を見つけ出した。

図表-6 かきのもとひとまろ −暗号2
 

 図表-6の赤字で示すように、対角線に沿って柿本(かきのもと)の文字が明らかに読み取れる。更に、外側の角の字を読むと、「ひと□ろ」となる。□に「ま」を入れると、「ひとまろ」になり、「かきのもとひとまろ」という文字が隠されている事が分る。

 万葉の詩人 柿本人麻呂が「いろは歌」の作者とする説がある。しかしそれは現実的には考えられない。それはこの歌が七五調を基調として作られていることにあり、そのような七五調が、短歌の世界を風靡するようになるのは、平安朝の中期以降と考えられるからである。それについては後述する。

 したがって、「かきのもとひとまろ」という隠し言葉は、それに仮託して、同じように無実の罪を着せられて亡くなった人を記憶してほしいというメッセージと考えられる。問題は、その人は誰か? ということである。
 鯨統一郎氏の「いろは歌に暗号」(祥伝社)という推理小説には、今ひとつの面白い「いろは歌」が紹介されている。

 推理小説の筋を紹介するのはまずいので、ここでは、その歌だけを紹介させていただき、内容については「まんだら探偵 空海」の原作をお読みいただきたい。

図表-7 「まんだら探偵 空海」のいろは歌
   
(出典)鯨統一郎「いろは歌に暗号」(祥伝社)235頁

 鯨氏は、平安朝の初期の平城上皇と嵯峨天皇の権力闘争であった「薬子の変」(809)が「いろは歌」の背景にあると想定されている。
 嵯峨天皇は、名を「神野」(かみの)といい、「かみのあやつり」とは、「薬子の変」が嵯峨天皇の陰謀であった事を示している。
 つまり図表-1と図表-7のいろは歌が、対になって「薬子の変」によって滅ぼされた平城上皇と薬子や藤原式家の一族の悲劇を、空海が歌に残したというのが「まんだら探偵」の推理である。






 
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