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(3)ブッダの教説とは何であったのか?

 ブッダは、80年の生涯のうち、45年という長い時間を人々への説教に費やしたといわれる。しかし現在に残る経典の量は、それを遥かに超える膨大な量であり、実際にブッダが行なった教説がどのようなものであったのか?が非常に問題になる。
 中国の天台宗の開祖・智顗(ちぎ:538-597)が、このブッダの生涯の教説を5つに分けて、五時教判という説を出した。
 

●天台・智顗の五時教判と日本のいろは歌
 
智顗によると、ブッダは次の順序で経文を説いたという。ただし、この順序は経典の成立の順序とは、必ずしも一致しない。
  1. 華厳経(けごんきょう)
  2. 阿含経(あごんきょう)
  3. 方等(ほうどう) ―無量寿経、観無量寿経など
  4. 般若経(はんにゃきょう)
  5. 法華経(ほけきょう)、涅槃経(ねはんきょう)

 第1の段階は、華厳時である。華厳経は、ブッダが菩提樹の下で実現されたさとりの世界を、そのまま現そうとしたものであるという。そこではブッダの悟りの場が中心舞台となり、その世界の描写にかなりの力が注がれている。
 さらに盧舎那仏に支えられて、利他の願いを持って悟りの世界へ歩みを進める、菩薩の実践が説かれており、大乗仏教の基本精神を示した経典である。ちなみに盧舎那仏は、奈良の東大寺の大仏として誰でもが知る巨大仏である。

 そこではブッダが菩提樹の下で悟りに至る展開が、8つのステージで示されており、最後は祇園精舎を理想化した重閣講堂会で終わる。つまり「華厳経」は、「悟り」を根本テーマとする雄大な宗教歌劇であり、それが五時教判の最初にくるのはきわめて妥当なものであったと思われる。
 しかしその内容があまりにも幽玄で高度なため、弟子たちは理解できず、ブッダはそのための方便として、第2の教えを説くことになる。

 第2の段階は、鹿苑時(ろくおんじ)である。そこでは阿含経が説かれた。阿含経の「阿含」は、サンスクリット語の「アーガマ」(伝承された教説)からきており、ブッダ入滅後に弟子たちにより最初に纏められた教典である。
 その後は、小乗系の経典として伝えられたため、大乗系仏教が主流である日本には、奈良時代の具舎宗などを除いて殆ど普及しなかった経典である。その内容は、ブッダが弟子たちに語った教義のすべてがそこにあり、最近になりその重要性は大きく見直されている。

 第3の段階は、方等時(ほうどうじ)である。ここでは戒律などの形式を重視し、個人の救済を目的とする小乗の教えと、人間全般の救済を目的とする大乗の教えが説かれる。大乗系の経典としては無量寿経、観無量寿経などが説かれた。
 無量寿経は、アミダ如来による浄土系の経典であり、仏国土の美しさを誰にも体感させようという経典である。

 第4の段階は、般若時(はんにゃじ)である。そこでは般若経が説かれた。般若経は、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を説く経典である。完全な智慧を完成させる、般若波羅蜜(般若波羅蜜多)を説く多数の経典を総称した呼称であり、一般に「空」を説く経典とされているが、同時に呪術的な面も色濃く持っている。密教経典群への橋渡しとしての役割を、無視することはできない。

 第5の段階が、法華涅槃時(ほっけねはんじ)である。そこでは法華経(=妙法経)と涅槃経(=大般涅槃経)が説かれた。法華経は28品からなり、比喩やたとえを多く取り入れ、一仏乗による一切皆成仏の思想をうたった、大乗仏典の最も重要な法典である。
また涅槃経には、大乗、小乗の2種があり、小乗の「大般涅槃経」は、ブッダがクシナガラで入滅されるまでの3ヶ月にわたる最後の旅をつづった記録である。また「大乗涅槃経」は、般若、法華、華厳の大乗の仏教思想の延長線上に位置する経典である。
このHPの「日本人の思想とこころ」「15.歴史はミステリー(その10) -空海「いろは歌」のナゾ」にあげた、戦前の国語教科書の「いろは歌」の話は、この大乗涅槃経における「雪山童子」の「雪山偈」の話である。それはブッダの前世の話として語られているものであり、そこであげた「雪山偈」の言葉を次に再掲する。
  1. 「諸行無常」は、天上へ上る智恵の橋、阿含経の思想である。
  2. 「是生滅法」は、愛欲の河をわたる般若の船、大般若経の思想である。
  3. 「生滅滅己」は、剣の山を越える宝車、華厳経の思想である。
  4. 「寂滅為楽」は、浄土に参る八相成道の義果、涅槃経の思想である。

 これを見ると日本の「いろは歌」は、見事に「五時教判」に対応していることに驚かされる。

●衆生済度と悉皆成仏 ―誰でも仏になれるか!
 仏教の目的は、「衆生済度」(人々を生老病死などの四苦八苦から済度すること)、「悉皆成仏」(すべての人々を悟りの境地に導くこと)である。しかしこの世の苦しみを乗り越えて、悟りの境地に達することは、普通人にとっては容易なことではない。
 そのためには、ブッダの教説の仏典を読み、修行を積んだ高僧の話を聞き、さらに、座禅、托鉢から断食などの修行を重ねる必要がある。それでも悟りが開ける保証はなく、とても普通の人々がブッダが到達した悟りの境地に到達することは、不可能である。

 事実、日本においても仏教は、平安朝の中期までは基本的には貴族を対象した宗教であった。そこでは庶民を対象にした「衆生済度」、「悉皆成仏」を考えることは、きわめて困難であった。
 ところが日本において平安朝の中期から始まった浄土信仰は、鎌倉期に入り、一遍上人の他力念仏の導入などにより、一挙に民衆に広がり、さらに法然、親鸞につづく民衆仏教を作り出した。

 そこでは膨大な仏教の教義は、「南無阿弥陀仏」という6文字の「念仏」に置き換えられた。そして親鸞の「歎異鈔」の冒頭に言うように、念仏の心が出来ただけで悪人でも済度されるという「易行」が、そこにおいて確立した。
 この浄土真宗の大きな流れは、現代の日本人の仏教思想にも大きな影響を与えている。そこには考えてみるとフシギなことがいろいろある。

 たとえば仏教の経典は、日本人に理解できない漢文や梵語のままで僧侶によって読み上げられる。しかもその経文は、通常は、死者を弔う儀式において読み上げられる。死者に対する仏説の講義にどのような意味があるのであろうか? しかも生前、仏教とは全く無縁な生活をおくっていた人でも、亡くなると「仏様」として祭られる。それは宗教に若干でもかかわりのある人々から見ると、殆ど理解できないことである。
 このような不可解な風習から、ニホンの仏教は「葬式仏教」とまでいわれるようになった。宗教は、勿論、死者への儀式も含むものの、基本的には生者のためのものである。その観点から見ると、現代の日本仏教には不可解なことが多い。

 つまり日本の仏教は、「誰でも仏になれる」という宗教の大衆化には成功したものの、「死」によって「生」を問うという最も重要な観点が脱落したのではないか?と思われるのである。
 そこでその点を、日本においてはあまり読まれてこなかった「阿含経」により、ゴータマ・ブッダの「生」を振り返えることにより結びとする。

●ブッダの悟りとは何であったのか?
 
ゴータマ・ブッダには、アーラーダ・カーラーマとウドラカ・ラーマプトラという宗教上の2人の師があったことが知られている。ブッダは、カーラーマ仙人からは無所有処(むしょうしょ:ものにとらわれない境地)、ウッダカ仙人からは、非想非非想処(ひそうひひそうしょ:非想;ものを考えずにあらず:非非想;ものを考えていないにもあらず)という、ものを考えるにも考えないにもとらわれない、自由自在の境地を学んだといわれる。(金岡秀友「生とは何か「阿含経」集英社、84頁」

  この2人の師の実在性には疑問があるが、その思想の前提となる「ものは一切空であり」、「人間のこころは偏ってはいけない」という思想は、上記の2つの境地と組み合わされて、密教のマンダラの最外院の修行者として描かれるようになる。

  ブッダの修行の最初は、山林における「ダルマ・ヨーガ」の座禅による苦行から始まり、それは6-7年続いたと思われている。その苦行は、ブッダの生命を脅かすほどのものであり、その中でブッダは「7年間慈心」(慈悲の心、メータチエッタ)を修めたといわれる。最終的に、ブッダはそのような苦行林の空しさを知り、「出山」する。

  苦行林をでたブッダは、前正覚山(悟りを得る前の山)を経て、梵志村(バラモンの村:ブッダガヤー)のピパパラ樹の下を最後の禅定の場所に定める。ここで21日間の座禅修行の結果、仏教の根本の教えに到達した。それが3法印(ほういん)と呼ばれるものである。

  つまり「諸行無常」(すべてのものは、移ろい変る)
     「諸法無我」(ものには実体性がないから、一つ一つに固執しない)
     「涅槃寂静」(そのことにより最終的な静けさ(ニルヴァーナ)に到達できる)である。

  ブッダは、21日目の朝、3つの区切りを通して、徐々に静けさを深めていった。そして「四諦十二因縁八正道」の教理に到達したといわれる。

  ブッダは、初7日が過ぎると、菩提樹の下を出て、結跏趺座の場所をいくつか変えながら、説法の準備に入る。そして10日後、悟りの地ブッダガヤーから200マイル離れた聖地ペナレスの町にいたり、「初法転輪」とよばれる説法を開始した。

  ブッダの説法は、5人の弟子たちに対して行なわれ、その内容は簡潔で身近なものであったと思われ、「五蘊皆空」、「苦集滅道」など、四諦十二因縁八正道以前の、五蘊と四諦の理が述べられたと思われる。

  この後、ブッダはいろいろなところへ説法行脚を為されたと思われ、戒律関係の説法も多くなされたようである。
 智顗の五時教判は、ブッダの教説に対する論理的な構成を与えるものとして非常に面白い。この教説の期間は、キリストのそれが非常に短いものであったのと対照的に、45年もの長期にわたった。「阿含経」からもその多様性を知ることができる。

●ブッダの入滅 ―人は死ぬと仏になる?という教義の原点
  ブッダの入滅は、涅槃経に語られている。涅槃経には、西暦紀元前に造られた小乗系の経典と、紀元後に作られた大乗系の2種類の経典があり、その内容は全く異なっている。

  小乗系の経典は、ブッダの弟子たちにより編纂された教典であり、パーリ語でかかれていて、「原始涅槃経」ともいわれる。その内容は、鷲の峰(霊鷲山:りょうじゅせん)から始まり、クシナガラの沙羅樹林における臨終場面に至るブッダの最後の遊行の旅を記述しており、ブッダの過去を回想するかたちをとっている。

  これに対して大乗系のそれは、創作された教典としてサンスクリット語で書かれている。その内容は、同じブッダの涅槃でも数人の弟子が付き添うだけの静かな死ではなく、多くの仏国土の菩薩、天上の神々をはじめ餓鬼・畜生までが集い悲しむ情景が描かれる大舞台になる。
 さらにブッダはそこで死を迎えたわけではなく、そこから高い三昧の境地に入り、永久に生き続けるその出発点になるという設定になっている。

  思想的にも両者はきわめて対照的であり、原始教典では諸行無常、一切皆苦、諸法無我を説いているのに対して、大乗経典では、常住(常)、安楽(楽)、実在(我)、清浄(浄)という仏性が説かれる。ここで初めて「仏性」(ぶっしょう)という言葉が登場してくる。

  この「仏性」という言葉のサンスクリットによる原語は、その原典が失われていてよくわからないが、ブッダダーツ(buddhadhatu)と推測されている。それは「ブッダの素質」という意味であり、ブッダとは「目覚めた人」、ダーツとは「土台、基盤」を意味しているといわれる。(田上太秀「涅槃経を読む」講談社学術文庫、83頁)

  前節にあげた「衆生済度」と「悉皆成仏」において、人間は死ねばすべて「仏」になるという現代仏教の思想の原点は実はこの「仏性」にあったと思われる。
 「仏性」
の漢訳四十巻本「涅槃経」における原文をあげると、次のようになる。

「復有比丘説仏秘蔵甚深経典。一切衆生皆有仏性。以是性故断無量億諸煩悩結。即得成於阿耨多羅三藐三菩提。除一闡提。」

(読み下し文)
「復た比丘有りて、仏、秘蔵の甚深経典を説く。一切衆生は、皆仏性有り。是の性を以つ故に無量億の諸煩悩の結びを断つ。即ち阿耨多羅三藐三菩提において成るを得。一闡提を除く。」(如来性品第四の四(大正蔵経十二巻404頁下)(田上太秀「上掲書」86頁から再引)
  また別のところには、「如来常住即名為我、如来法身無辺無礙。不生不滅。」(獅子吼菩薩品第十一の六(大正蔵経十二巻556頁)と書かれており、ブッダの法身は永久に不滅であり、融通自在であることがわかる。

  この2者は、涅槃経の中で結合して一般化され、「一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変異」(一切の衆生は、仏性を有し、如来は常住にして、変異あることなし)という経文になる。この経文は、そのまま観阿弥の謡曲「白髭」において近江の白髭明神の縁起を述べるくだりに取り入れている。

  大乗のブッダは永遠の生命を得ると同時に、「仏」は一般化されて、一切衆生も死ぬと「仏」になるという仏教の新しい教義が出来上がった。現在の日本の仏教の大きな部分は、この論拠の上に成立していると思われる。私は、最初、人は死ねば、すべて「仏」になるという教義は、きわめて無責任な理論であると思っていた。

  しかしよく考えて見ると、人は生まれてくる以前は「空」である。そして死んだ後は再び「空」に戻る。そして生きていたことも、空であった。その意味では、「ブッダ」も本来、「空」であり、衆生は皆死んでブッダと同格に成るとする仏教の思想は、大変スゴイ。







 
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