1.「死」の予感
戦前の名古屋には、「八重垣」という劇場があり、唯一の洋画の封切館であった。建物の前に広いアプローチをとった静かな雰囲気の劇場で、なぜかアメリカではなくヨーロッパの香りがした。
私が子供の頃、そこで「幻の馬車」という映画が上映された。その主題は人が死ぬ時、どこからともなく馬車の音が聞こえくるという話である。しかしその馬車の音は、周囲の人には、まったく聞こえない。死ぬ運命にある人にしか聞こえないという。その映画は、私に言い知れぬ恐怖を与えた。私はその頃、毎日、今にも聞こえてきそうな馬車の音に耳を澄まし続けた。
自分が死ぬ時には、必ず予感があるに違いない。その頃から、私はずーとそのように思い続けてきた。その私が、死への予感を感じるようになったのは、昨年の夏であつた。別になにか兆候があったわけではない。血圧は高かったが、急に始まったわけでもない。
そこでどうせ死ぬなら、直接、死と向かい合って死のうと私は考えた。10年ほど前、松谷みよ子さんの「現代民話考」の「あの世へ行った話・死の話・生まれかわり」を読んだとき、そこに記録されている夥しい死後世界の体験がすべて極めて類似していることに驚いた。それ以来、私にとって「死」はまったく恐ろしいものではなくなった。
私は、日本人が古来、死後世界とどのように向きあってきたか調べ始めた。そして昨年の夏の終わりには、日本における怨霊とか幽霊の世界を記述すれば1冊の本になるところまできた。そこまでのところをワープロですべて印刷して読み返してみた。自分でも面白いものになったと思った。そのとき、少し頭がふらつき眩暈がした。翌週には、大阪で3日間の講習会講師を頼まれていた。少し疲れたと思い10時半頃に寝た。夜中の3時過ぎにトイレへ起きたらまたふらつき、救急車で入院した。脳卒中であった。
3日間、生死のはざまをさ迷った。その間、この世ならぬ夢を見続けたが、幸か不幸か生還した。4か月後、退院して入院前の原稿を読み返した。その結果、幽霊や怨霊の代わりに、福来博士の心霊研究や臨死体験などニューサイエンスによる死後世界の研究をいれて原稿は完成したが、まだ刊行はしていない。これを調べている過程で日本人の死生観がかなり明確に見えてきた。そうしているうちに私の死の予感は消え、残りの人生で何をしたらよいかが、知らぬうちに自分の関心の中心になってきた。
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