8.朱子学と近思録
(1)朱子学とは何か?
中国の儒学は、漢代に武帝により国教化され、それを習得することが官吏として登用される必須の条件となった。しかしこの段階での官僚は、隋唐時代以降のような科挙の試験によるものではなく、貴族の中から推薦により登用されるものであった。その上、儒学自体も徳治と国家統一を確保する礼治の2原則に基づく、注疎学的性格が強いものであった。
このように停滞していた儒学を、仏教や道教に比べて見劣りのしない理論的水準にまで引き上げようとする儒学者の試みは、10世紀頃から始まった。その先駆者は韓愈(768-824)まで遡るが、その後、北宋の周濂渓(1017-1073)、張横渠(1020-1077)、程明道(1032-1085)、程伊川(1033-1107)などの登場により、古い道徳法に宇宙論的な基礎付けを行い、性理学として総合した新しい儒学が形成されていった。
そしてこれら北宋の学者たちによる業績は、南宋の朱熹(1130-1200)により「近思禄」として纏められ、さらには朱子が詳細な注をつけた「四書集注」が作られて、新儒学は「朱子学」として体系化されていった。
朱子の本名は朱熹、字は元晦、号は晦庵。南宋の時代(1130)に、建州(福建省)崇安県に生まれた人物である。19歳で進士の試験に合格し、官僚の道を歩んだが、良心的な政治意見が禍し当局者と衝突して、閑職におかれることが多かった。1183年に宰相・王順淮の道学禁止令の対象となり、晩年にはその学問は「偽学」として弾圧された。
朱子の業績は、彼の前代である北宋時代の儒学者の理論を近思録により集大成し、さらに、儒学の古典である「四書」に詳細な注釈をつけることにより、新しい儒学の体系化を図ったことにある。その彼の業績は、宋代に続く元、明時代を通じて朱子学としてオーソライズされ、官学として位置づけられた。
朱子学の理論的内容は、大きく4~5の領域に区分できる。第1は存在論=理気説、第2は「性即理」の倫理学あるいは人間学、第3は「居敬・窮理」の方法論、第4は古典の注釈学、第5が科挙に対する意見などの具体的な政策論である。
これらの概容は、「近思禄」の中に纏められている。近思禄は、上記の北宋の儒学者たちの言葉を通じて、朱子の見解を体系としてまとめたものであり、第1~第3の領域についての朱子の見解を知ることが出来る。
●存在論 ―理気説
第1の存在論について、朱子は周濂渓の「太極図説」などにより、「近思禄」の冒頭の「導体篇」として紹介している。
そこには、易経から五行思想までを包含した、新儒学の考え方が要領よく纏められている。
朱子学的宇宙観では、先ず宇宙は「気」、つまりガス様の形のない物質で満たされていると考え、それは「無極」ないし「太極」と呼ばれる。朱子の言葉を借りれば、「無極にして太極ありとは、ただ形なく而も理あるをいう。無極なれば形なく、太極なれば理あり」(「語類」9)といわれる。
つまり「気」には、形はないが「理」=原理がある。その気が2つに分かれ、動いて陽、静にして陰という二気の運動を通して、木火土金水という「五行」が生まれてくる。さらに、この五行は、方位、時間、物質、季節、色彩などに配当されることにより、壮大な哲学的宇宙空間が形成されてくる。
周濂渓の「太極図説」の前半は、このような万物生成の次第を説いており、朱子の「近思禄」はその紹介から始まる。朱子は、この生成された万物に対して、天がその物ごとに「理」=「原理」を付与しており、それが物ごとの「性」を規定していると考える。
現代における「性」概念は、男女の性が突出しているため、万物の性といわれると全く分からなくなる。これに加えて、「性」に今ひとつの難しい概念である「理」が結びつくことにより、「性即理」(近思禄、巻1,37)となり、ここから、性理学などという怪しげな言葉がでてくると、朱子学は最初からギブアップしたい気持ちになるほど難しい。
●性即理 ―朱子学の哲学的基礎
「中庸」の第1章には、有名でかつ重要な、次のような言葉が登場する。
宇宙の万物には性があり、さらに天が定めた原理がある。そして、これに従うことが道であり、その道を修めることが儒教の教えである、とされる。
つまり、中庸の冒頭に登場する「天命之謂性。率性之謂道。修道之謂教。」(天の命ずる。之を性といい、性に率うこれを道という。道を修るこれを教という)という言葉がそれである。ここに新儒学における性、道、教という3つの重要な概念が登場しており、これに対して、朱子は次の注をつけている。
朱注。「命は猶お令のごときなり。性は即ち理なり。天は陰陽五行を以って万物を化成す。気は以って形をなし、理も亦これに賦す。猶命令のごときなり。是において人と物との生、
おのおのその賦するところの理を得るによって、以って健順五常の徳をなす。いわゆる性なり。」
島田虔次氏の解説によると、次のようになる。天が万物に下した命令、これが「性」である。この「性」は、もっと一般的な言葉に置き換えるならば、「理」(=万物は理と気によって成るという理)である。
万物が天から生み出された時、万物の形(ボディ)即ち物質的な面を形成するのは陰陽と五行、要するに「気」に他ならない。そこではすべて存在するものは、気によってー気の集まり、凝集として存在している。
そして大切なことは、在るものは単に在るのではなく、在るべきように在るのだ、という点である。(途中略) その個々の存在、物に割り付けられている理、が特に性とよばれている。(「大學・中庸」下、朝日新聞社、29-30頁)
この天から命じられた性に従って事物と接触し、日常的な実践を行なうことが「道」であり、この道を修めることが儒教の教えである、と中庸は簡潔な言葉で新儒学のエセンスを語っている。
このように万物は、すべて性をもっているが、特に人間はさらに独特の能力、孟子の言葉を借りれば「良知良能」(=良能とは学問をしないでできること、良知とは考えなくても知ることで、人間の直感的能力のこと)をもっており、上なる天と下なる地の間、つまり天地の中に生まれ、「天地と参になる」(中庸)「中」として天地の化育を助ける重要な位置を占めている。
この万物一体の観点から、程明道は儒教の中心概念である「仁」という考え方を拡大し、「万物一体の仁」という考え方を提起した。
●朱子学の方法 ―格物致知(物いたりて後、知きわまる:大學)
儒学の学問は、天理を存し、人欲を去り、聖人になることを目指すための方法である。
朱子学における聖人になるための方法は2つあり、1つは「居敬」、もう1つは「窮理」である。
「居敬」とは、程伊川によって提起されたものであり、「敬」とは「主一」、すなわち「一を主とする」と定義された。一とは、「無適」即ち「適くなきこと」であり、「敬」とは心をどこへもいかせず、専一集中の状態に維持することである。つまり敬によって心を涵養していけば、おのずと天理が明らかになるというものである。
これに対して、「窮理」とは理を窮めること、「大學」のいう「格物致知」のことである。程伊川の言葉を借りれば、「吾の知を致そう(=完成しよう)と思うならば、物(=事物)に即してその(物の)理を窮めなくてはならぬ」、という意味である。つまり「人間の心は霊妙なるものであり、知(認識作用)を有しないものはないし、一方、天下の物で、理を有しないものはない。ただ、理の窮め方に不十分な点があるので、知も不完全なところがある。」
そこでこの不完全さを窮めて極致まで持っていく努力をさせるのが、格物致知つまり窮理である。(朱子「格物補伝」、島田虔次「朱子学と陽明学」岩波新書、103頁)
しかし方法として「窮理」は、物理・化学の方法を用いてものの理を窮めるわけではなく、先賢の書と思考を通じて「窮理」を行なうわけである。そのため、後に王陽明が実際に格物致知を実践することにより、大きな疑問にぶつかり、「陽明学」を提唱するきっかけになったのも当然のことであったといえよう。
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