3.日本人と死後世界
人間は死によって生きている時とは全く異なる世界に入る。この死後世界を日本人はどのようなものと考えてきたのかを考えてみた。その未刊の草稿はかなり大部になるので、次にその概要をまとめてみた。
1.仏教における浄土
芥川龍之介の小説には、地獄・極楽がたびたび登場する。その一つに生前、善行をつんだ老夫婦が死んで極楽の蓮のうてなの上に座ることができた話がある。極楽の日々は平穏で雨風もなく、毎日が美しい花と香りに包まれ、何の変化もない平穏な日が続く。そのうちに2人は段々退屈し、飽きてくるというのがある。現代人には、激しい変化がある地獄の方が向いているのかもしれない。
しかし平安期には、生涯をかけて真剣に極楽往生を求めた人が数多くいた。有名な藤原道長もその1人で、極楽往生を目指して念仏を日に十数万遍唱えた。そのようにして日本人の祖先達が求めた極楽とはいったい何であったのか?
2.日本人の死後世界
日本では神道、儒教、仏教の思想が共に習合しており、それぞれ死後世界の考え方は異なる。そして日本のように多種の宗教がたどり着いた最果ての地では、それらがいろいろからまりあっている。それらの内で、もっとも影響力の強かった仏教でも六合輪廻の思想が明快に定着しているわけでもない。ところが三途の川とか地獄など、誰でも知る死後世界の一部が存在している。それは、一体どのようなものなのか?
3.来世への生き方
日本人は、新年には神社にお参りし、お盆にはお寺に参詣する。日曜やクリスマスには教会へ行く。大仏様、お不動さま、弘法大師など、神様、仏様など宗教的にはきわめて自由にお参りしている。これらは日本人の来世を求めての信仰や生き方と関係するものであろうが、外国の宗教では考えられないことである。この日本的信仰の姿は各種の霊場めぐりを通じて見えてくる。
4.死後の祭られ方
日本人は、死後の遺体や霊魂をどのように考えたか? 日本の神道では、人間の死後の肉体を穢れたものとして避けてきたが、遺骨に対しては相応の思い入れがある。また儒教では、特に頭蓋骨が天上の魂を呼ぶものとして重要視されてきた。仏教では、死後の肉体は、遺骨を含めてほとんど重要視していない。このように遺体と霊魂の関係は宗教によって非常に見方が異なり、日本ではそれらが混在してきた。
わが国における肉体と霊魂を祭られ方で考えてみる。
5.日本における死後世界の探求
日本では、最近のニューサイエンスにおける死後世界の探求と同じような試みが平安時代にあった。その二十五三昧会の活動と明治以降のニューサイエンスの先駆者福来友吉の業績を調べる。
6.日本人の霊魂のゆくえ
日本人の霊魂についての見解を国学、民俗学、現代民話の業績により跡付ける。
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