(4)日本の国家破産のはじまり。
日本の国家が破産するとどうなるか?フィクションを書いても仕方ないので、出来る限り事実に即して考える。国家破産が近くなると、まず国家信用が失われる。最初に、国家にお金を貸す人がいなくなる。つまり「国債」が売れなくなる。それは既に始まった。
★昭和恐慌の赤字国債の結果はどうなったか?
1932(昭和7)年、時の大蔵大臣高橋是清は、昭和恐慌からの脱出を図るために史上はじめての赤字国債の発行に踏み切った。同時に国債自身の利下げを行い、低金利政策を合わせて実施した。これは安い金利で経済の拡大を目指す一石二鳥の策ではあるが、このような国債を国民が喜んで買うとは思えない。そこでこの国債を日銀に購入させた。これは深井英五が「回顧七十年」に言うように「一石三鳥の妙手」というべきものであった。
発行された国債は、直ちに日銀でお金に換えられ市中に出るわけで、これによって不況の日本経済は拡大へ向かい始めた。しかしこれは見かけの拡大で、インフレを引き起こすいわば「禁じ手」である。そのため高橋は、昭和11年から「公債漸減方針」を打ち出すが、一度、赤字国債の甘い汁をすった権力者は、もう2度と打ち出の小槌を離さなかった。
公債を減らそうとした高橋は、そのために軍部に憎まれ1936(昭和11)年、2.26事件の凶弾に倒れた。その後、戦争が拡大する中で、公債は「愛国公債」などと呼ばれて増発されるが、国を愛する国民も国債を買わなくなり、隣組へ割り当てて無理やり買わせた。
★再び、日本国債が売れない時代が始まった。
この苦い経験から戦後の日本では、国債はタブーとなり、戦後、30年間は均衡予算主義が貫かれて国債は発行されなかった。それが「昭和40年」の不況の中で「建設国債」(財政法第4条に基づく国債)が毎年、発行されるようになり、更に「特例国債」(経常的な歳入不足を補うため、特例法による国債、いわゆる赤字国債)もこの時から発行が始まり、昭和50年代にはいるとオイル・ショック後の不況下で国債発行が常態化していった。これらの国債の引き受けは、戦前の日銀引受けにこりて、銀行等によるシンジケート団が入札により引き受ける形になっていた。
平成不況の中、史上最低の金利水準で大量に発行を続けた国債も、このシ団のおかげで売れつづけてきた。昨年、この国債が「未達」(札割れ:入札の際、売れ残ること)になるという小説が出てベストセラーになった。ところが2002年9月になり、本当に10年物国債の入札で初めて未達が発生してしまった。既に中期国債では、金利がマイナスという異常事態がおこっており、いよいよ戦前のように国債が売れない時代が始まった。
★円相場の暴落と大変な時代の始まり。
国家破産の第2段階は、貨幣の信用が失われることである。今の貨幣は国家信用で流通している証書に過ぎない。国家の信用が失われたら只の印刷された紙である。日本でも、幕末や明治に紙幣がただの紙の時代があった。戦後にもインフレの中で戦前の紙幣はただの紙になった。新円交換などということがあり、証紙が張られていない日銀券は本物なのにただの紙になったこともある。経済が大変な状況になると、権力の交代が起こることもある。それは「革命」、「クーデター」、「政権交代」など、いろいろな形をとる。日本でも、「明治維新」、戦前の「軍部の独裁」、戦後の「占領軍による統治」など、なんども経験したことである。最近でも、ロシアのような大国で共産党の独裁政権から、新しいロシアに政権が移った。これらはすべて、裏側に経済の行き詰まりがある。日本でも1955年以降の経済体制は、いま完全に行き詰まっており、権力構造を変えないと先へ進めない段階へきてしまった。その段階が、貨幣信用の崩壊という形できそうである。その前段は、おそらく為替相場の暴落から始まる。
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