(4)ITマハラジャの国へ!−新しいインドの産業の出現
●インド文明に適合したIT思考と技術
IT(Information Technology:情報技術)は、20世紀の中葉にコンピュータの出現とともに登場してきた技術であり、その歴史はまだ非常に新しい。
しかしインド文明は、古代からコンピュータ・サイエンスに極めて近い思考方法をもっていたため、インドのITとの関わりの歴史が短いにも拘らず、IT産業はインド国内で急速な発展を見せた。それと同時に、インド人のIT技術者が世界中を制覇する勢いになってきている。
その結果、インド人のIT産業における億万長者(=マハラジャ:長者)が、財界誌フォーブスに10人以上登場する事態になり、インドのIT技術者は、アメリカ、ヨーロッパをはじめ、世界中の先進諸国のIT企業に進出する状況になってきた。
仏教の経典と現代数学やコンピュータの間に、深い相関があることはかなり以前から認識されていた。たとえば大無量寿経という浄土教の経典には、人間の細い髪の毛を更に果てしなく細かく割り裂き、その果てしなく細くなった髪を柄杓にして、今度は大海の水を掻きだすという話が書かれている。
インドはゼロという数を発見したことで知られているが、このことから、逆に無限大をも数として認識するコンピュータ的記数法が考えられていたことが分る。
仏教経典では、この果てしなく細い柄杓により果てしない大海の水をくみ出す寓話により、膨大な時間を数字で表現する記数法を編み出した。それはまさに無限に小さい数から無限に大きい数までを数体系として展開しようとする、現代数学や情報科学の世界に限りなく類似していた。
つまりインド人の思想は、古代仏教の時代からIT技術に乗りやすい考え方をとってきており、しかもイギリスの植民地であった関係から、その思想を直ちに英語で表現できる有利性にも恵まれていた。
このことからインド文明は、既に20世紀はじめから不思議な現代数学者を何人も世界に送り出してきていたが、20世紀末からは、一挙に多数のIT技術者とIT産業の技術を世界に提供し始め、その状況は「2000年問題」を抱えた世界中に、インドIT産業とインド人技術者の重要性を一挙に認識させることになった。
2000年問題は一応の峠を越えたものの、マルチ・メディアやブロードバンドによる新しい情報産業への道筋はようやく緒についたばかりである。そのため高度なソフトウェア技術者への需要は、今後、益々増加の傾向を辿るであろう。
要するに、インド情報産業の未来はまさにバラ色に輝いており、それによるインドの所得水準は、急激な上昇が予想されるのである。
●インドにおけるIT産業の展望
1)南部地域におけるIT産業の発展
従来のインドでは、その3分の1が北部地域に居住してきたが、新しいIT産業は南部地域を中心にして発展した。現在、南インドのバンガロール、ハイデラバード、チェンナイなどは、インドの「シリコンバレー」と呼ばれるほどのハイテク都市に変貌してきている。
2000年現在、世界のIT産業を主導するアメリカで活躍するインド人IT技術者の8割が、南インド3州(アンドラ・プラデイッシュ州、タミル・ナド州、カルナカタ州)の出身者といわれ、いまや世界のIT技術を主導しているのは事実上、インド人であるといわれるほどになってきている。
カルナカタ州最大の都市バンガロールは、南インドにおけるハイテク都市の代表的なものであるが、そこには1909年に創立されたインド科学大学院大学(IISC)がある。
この大学は450人の教授と専門スタッフを擁して、いまやインドのみでなく世界のコンピュータ・サイエンスの中心的組織として知られるようになった。
1950年にはIISCをサポートするために、アメリカのMITをモデルにしたインド工科大学(IIT)が創設され、現在ではインド全国に6つのキャンパスを持つ。
さらに、1960年代には、アメリカのハーバード・ビジネス・スクールをモデルにした経営学専門のインド経営大学(IIM)がつくられ、IITを補完している。
現在では上記の3校を頂点として、インド全土に多数の技術大学が設立されている。既に、カルナカタ州だけでも77の工科大学があり、毎年3万人以上の学部卒業生があるといわれる。その他に職業訓練校のコンピュータ関連科も1,600以上作られ、毎年、12万人以上のコンピュータ技術者が養成されていわれる。
2)インドIT産業の生産と輸出の急増
インドのソフトウェア産業の生産額(NASSCOM(全国ソフトウェア・サービス業協会、加盟520社調べ)による輸出額をあげると、次のようになる。
(出典:榊原英資「インドIT革命の驚異」文芸春秋新書、49頁)
|
ソフトウェア生産額(対前年増加率) |
ソフトウェア輸出額(同左) |
95年 |
11億ドル |
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96年 |
18億ドル(+63.6%) |
10.8億ドル |
97年 |
27億ドル(+50%) |
17.5億ドル(+62%) |
98年 |
39億ドル(+44.4%) |
26.5億ドル(+51.4%) |
99年 |
57億ドル(+46.2%) |
40.0億ドル(+50.9) |
00年 |
86億ドル(+50.9%:予想) |
63.0億ドル(+57.5%) |
01年 |
130億ドル(+51.2%:予想) |
95億ドル(+50.8%) |
この生産額の増加率の高さに驚かされる同時に、輸出の増加にも注目させられる。
インド政府は、2008年までに生産額を870億ドル、ソフトウェアの輸出額を500億ドルまで増やすことを目標にしているといわれ、インドのGDP成長率を、2003年から5年間、6.17%と仮定すると、次のような状況になる。(カッコ内は、GDP比)
年度 |
GDP |
ソフトウェア生産額 |
ソフトウェア輸出額 |
2003年 |
5,990億ドル |
300億ドル(5%) |
214億ドル(3.6%) |
2008年 |
8,080億ドル |
870億ドル(10.8%) |
500億ドル(6.2%) |
ソフトウェア産業は、インドのGDPの中で、急速にシェアを増やしており、2008年にはGDPの10%を超える重要な産業になるであろう。
しかしITにおけるソフトウェア需要は、90年代にはマイクロソフトのウインドウズなどのOS(オペレーティング・システム)が次々に発表され、さらに、2000年問題があったため、それらのシステムのメンテナンスや組み換えの仕事がソフトウェア技術者の需要の中心をなしてきていた。
21世紀初頭の現在、ITソフトウェア技術者への需要は大きく変わってきている。
現在の情報産業は、従来のパソコン、電話、TV、FAXなど過去のすべての情報機器を統合したマルチ・メディアとブロードバンドの時代の入り口にいる。
そのためそこでのソフトウェア技術者のレベルは、マルチ・メディアのハード、ソフトの両面にわたる高度な技術水準が求められている。
この新しい21世紀のソフトウェア技術をインドの企業や組織が開発したとすれば、21世紀中葉にかけてのインドにおけるIT産業の発展は、更に目覚しいものになり、インドの経済大国への道は完全に保障されたものになるであろう。
3)インドのソフト技術者数と賃金水準
インドのソフトウェア技術者の数は次のようになる。(榊原英資「前掲書」72頁)
1995年 |
14万人 |
(インド政府電子工業局調査) |
2000年 |
34万人 |
(業界団体NASSCOM調査) |
同上 |
50万人? |
(一般産業を含めた数字) |
2008年 |
250万人 |
(NASSCOM予測) |
この技術者数は、世界の国々のそれと比べてみないと、多いとも少ないともいえない。2001年におけるNECの「アジア戦略」のレポートに、主要国のソフトウェア技術者の数が出ているので次にあげてみよう。
アメリカ |
80万人 |
インド |
34万人 |
日本 |
34万人 |
中国 |
20万人 |
アジア |
9万人 |
イスラエル |
3万人 |
アイスランド |
2万人 |
もっともこの「ソフトウェア技術者」の質的水準は不明であるし、ヨーロッパやロシアが含まれていないので、一応の目安の数字でしかない。しかしそれでも、インドが世界でも有数のソフトウェア技術者を持つ国であることは分るであろう。
さらに、アメリカにおける80万人の技術者の中には、当然、アメリカ在住のインド人技術者が多数含まれていると思われ、人種的にいうと現在時点で既に世界のソフトウェア技術者の第1位は、インド人になっていることが推測される。
しかも08年にインドのソフトウェア技術者が250万人になるとすれば、インドは21世紀において世界一のIT大国になることはまず間違いないであろう。
インドの労働者の賃金水準は現在でも極めて低く、平均年収は18,000ルピー(400ドル)といわれる。
前記のインド工科大学(IIT)卒業生の初任給は、月収で平均65,000ルピー(1,335ドル)というインドでは破格の高給であるが、それでも日本円にすると月収15万円程度でしかない。
一般的なIT技術者の初任給は、月収で2万ルピー(日本円で月収5万円以下)といわれ、国際的なIT技術者の給料としては非常に安い。
しかし賃金の安さがインドのIT産業の競争力を、他国の追従を許さないほど強いものにしており、同時に、優秀なインド人たちの労働力をIT志向に誘導し、インドの産業の高度化に向かわせる原動力になっているといえる。
その結果はどのようになるのか? ここ10年以内におけるインドの政治経済の動向が注目される。
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