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日本人の思想とこころ
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  (3)オオクニヌシ神の幽界

●スクナヒコナ神の常世国
 スクナヒコナ神は、オオクニヌシ神の右腕となって出雲の国つくりと経営に貢献した神である。この神は、出現するときもフシギであった。古事記によると、オオクニヌシ神が、出雲の美保岬にいると、白く波立つ波頭の向うに天の羅摩船に乗った小さな神が現れた。これが造化三神の一柱であるカミムスビ神の子のスクナヒコナ神であった。

 それからスクナヒコナ神は、オオクニヌシ神の片腕となって、出雲の国つくりに参加した。出雲国の経営がなったとき、この神は「常世国にわたりたまいき」と古事記が記している。この神は、いまでは、山田の中の一本足の案山子になってしまい、昔の小学唱歌に歌われていた。天下のことは何でも知っているほどの知恵者の神であった。

 日本書紀の一書42号では、スクナヒコナ神は熊野の岬へいき、そこから常世郷へいでました、また淡路島へ渡り、粟茎にはちかれて常世国へ渡られた、とも書かれている。
 スクナヒコナ神は、記紀にはわずかに登場するに過ぎないが、各地の風土記や万葉集の歌に数多く登場しており、古代の日本人にとっての身近な神であったと思われる。この神の死後の行き先は、「常世国」であった。それは一体、何処にあるのであろうか?

 常世国は、古事記におけるアマテラス神の岩戸隠れにも出てくる。
 弟神スサノオの乱暴に困り果てたアマテラス神は、天の岩戸の中に隠れてしまった。そのため、世の中は真っ暗闇に包まれ、一斉に災害が起こり始めた。
 困った高天原の神々は、アマテラス神のこもる岩戸を開けるため、一計を案じた。
 神々はアマテラス神がいないのに夜が明けたようにみせかけるため、岩戸の前で鶏を鳴かせ、賑やかなお祭りを始めた
 このとき、夜が明けたように見せるため、沢山の鶏が常世国から集められた。それが「常世の長鳴鶏」であった。つまり長鳴鶏が棲息する「常世国」は高天原の中にあった!

 江戸末期の国学者で平田系の刺客に暗殺された鈴木重胤(1812-1863)の大著「日本書紀伝」によると、「常世国」には3つの意味があるとされている。
 (1) 常世の長鳴鶏が棲息する日の出の国
 (2) 万葉集巻1の「わが世は常世にならむ」とあるような、永久不変の意味。
 (3) はるかに隔たっているため容易に交通できない海外の国の意味。
 そして、スクナヒコナの常世国は、第3の意味であると重胤は書いている。

 ではその海外の常世国とは何処であるか?というと、朝鮮半島とする説があり、また国内の熊野、淡路島から海外へ向った先の地ともされる。

●オオクニヌシ神の幽界
 オオクニヌシの神は、出雲神話の中心をなす神である。この神は多くの名を持つ。たとえば、オオモノヌシ、オオムナチ、アシハノシコオ、ヤチホコ、ウツシクニタマなどと呼ばれることがある。
 神系譜によると、スサノオ神の子とも6世の孫ともいわれ、号であるオオムナチ(大己貴神)とは「多くの国をもつ神」、つまり「地主神」を意味している。
 また「大国主神」の名も「大国をおさめる神」であり、古代において天皇族を脅かす最大の部族国家の王=大地主神であった

 オオクニヌシ神の数多い名前やその意味については、福神の誕生のところで紹介しているので見ていただきたい。 
 これらの名前とその意味は、オオクニヌシ神は世界、万物を造作した神であり、軍神、地主神、人類の魂の中心にいる神であることを物語っている。

 さてオオクニヌシ神の国つくりにより生まれ出た出雲の世界は、日本書紀巻一の最後の部分に描かれている。そこではオオクニヌシ神とスクナヒコ命が、力をあわせて天下を経営したことにより、出雲、大和、熊野に及ぶ出雲族の広大な支配地域が出来上がっていたことが分る。
 
 このオオクニヌシ神が亡くなれば、出雲、大和、熊野など、出雲族の広大な支配地域がアマテラス神による豊葦原中国として確立することができる。
 このアマテラス神による壮大な大和国家の建国は、次の3段階で行なわれた。
    (1) オオクニヌシ神の国譲り
    (2) 高千穂峰への天孫降臨
    (3) 神武天皇の東征と建国

 第1段階のオオクニヌシ神の国譲りは、日本神話の中で最大級の事件であった。
 そのため国譲りが終わって亡くなったオオクニヌシ神は、死後に日本の幽界の主宰者に位置づけられるはずであった

 書紀の第二の一書は、「国譲り」においてアマテラス側が提示した条件を詳細に記載している。その内容は次のようなものであった。
 (1) 現世の地上の政治は、アマテラス神の子孫が治める
 (2) オオクニヌシ神の子孫は、幽界の神事をつかさどる
 (3) オオクニヌシ神が今後住む天日隅宮は、アマテラス側が作る

 この契約によれば、アマテラス神が地上の顕界を主宰するのに対して、オオクニヌシ神は、イザナミ神が主宰する日本の死後世界を引き継ぐことが、契約で定められたことになっている。

●恐れられたオオクニヌシ神の幽宮
 「国譲り」により、出雲、大和、熊野にわたる広大な地域を支配してきたオオクニヌシ神の領土は、アマテラス大神を上にいただく天孫族のものになった。
 その代償として、上記の契約に従いオオクニヌシ神の子孫は、幽界の神事をつかさどる権利を与えられた。そして死後のオオクニヌシ神は、天日隅宮にねんごろに祭られることが決められた。

 オオクニヌシ神の天日隅宮(=出雲大社)は、古代における最大の建築として造営された。それは平安朝初期の大建築とされる「雲太、和二、京三」(源為憲「口遊」)の筆頭を飾る「雲太」こそが、オオクニヌシ神を祭る出雲大社をさしている事からも分かる。ちなみに、第2位の「和二」は、東大寺大仏殿、第3位の「京三」は、京都の大極殿のことである。

 出雲大社の建築の寸法体系は、すべて「死」を象徴する陰(偶)数で作られている。これに対してアマテラスの伊勢神宮の内宮は、すべて陽(奇)数に対応している。
 ちなみに伊勢神宮でも外宮の建築には、陰数が採用されている。
 出雲大社の社伝によると、本殿の高さは、上古では32丈(=4×8)、中古では16丈(=2×8)であり、初期の出雲大社、つまりオオクニヌシ神の幽宮が、いかに巨大な建築であったかを示すと共に、それらの数はすべて陰数を使用していることがわかる。

 アマテラス神の側の契約はかなり忠実に実行されているようにみえるが、それにも拘らず、国を奪われたオオクニヌシ神の荒魂は大和朝廷にいろいろ祟りをもたらしたため、オオクニヌシ神は祟り神として恐れられた
 大和地方からみて西北にある出雲の方角は、平安朝になって東北位の「鬼門」が登場するまでは、鬼門以上に恐ろしい方位と考えられてきたほどである。
 その西北位の「戌亥信仰」については、三谷栄一氏による「日本文学の民俗学的研究」(有精堂、昭35)という優れた研究がある。

 オオクニヌシ神は、大和朝廷から非常に恐れられた神であり、そのために長い間、アマテラス神に並べて宮廷内で祀られてきた。第10代崇神天皇のときに、そのように一緒に祀られることまで祟りの原因になり、それが伊勢神宮創始のきっかけになった。
 さらに、垂仁天皇の皇子ホムツワケの王は、出雲大神のたたりにより、30歳になっても口がきけなかった。そして出雲を参拝したら、途端に口がきけるようになった伝承が残されている。
 この恐ろしい祟り神が、なんとある時から「福神」に変わった。そのことは、9.歴史はミステリー(その4) −福神の誕生に書いた。

 さらにフシギなことは、オオクニヌシ神が「福神」に成った頃から、祟りもなくなり、オオクニヌシ神の幽界の主宰者としての役割も誰も問題にしなくなっていた。この問題に、千数百年の歳月を越えて、再び火をつけてしまたのは、明治維新による日本神道の再編成であった。






 
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