(2)根の国(黄泉国)とはどこなのか?
●日本神話における陽神と陰神の系譜
日本神話には、陽神と陰神の2つの系譜がある。
陽神の系譜は、イザナギ−アマテラス−高天原の神々という流れである。これに対して陰神の系譜は、イザナミ−スサノオ−オオクニヌシ−根の国の神々という流れである。
まずその出発点から話そう。イザナギ、イザナミの2神は、日本列島の山川や神々を次々に生み出し、日本の国土を作り上げた。その上、皇祖アマテラス神も生んだ。
このような日本国の祖神が、皇祖神とも見做されずに冷遇されている理由は、この2神が陰神の系譜に入ったことにある。
イザナミ神は陰神として根の国(黄泉国)の原点にある神である。
イザナミ神は、死後、黄泉国の大神となった。そしてその系譜は、スサノオ神、オオクニヌシ神の親神として幽界の祖神に位置づけられた。
黄泉国とは、イザナギ神の言葉を借りると「不須凶目汚穢之国(イナシコメキタナキクニ)」、つまり不吉で汚れた汚い国である。イザナミ神はそこの王になってしまった。
●イザナミ神の黄泉国(ヨミノクニ)
イザナミ神は、火の神カグツチを生み、その火傷がもとで亡くなった。怒ったイザナギ神はカグツチを切り殺し、イザナミ神のモガリが行なわれているところまでその遺体に会いに行った。
イザナギ神を迎えたイザナミ神は、既に、「黄泉国」のかまどで炊いたご飯を食べてしまい、こちらの世界の人に成ってしまったと語る。
イザナギ神は待っている間に、見てはいけないとされたイザナミ神の遺体の寝姿を見てしまった。
神話の記述はイザナミ神の無残な「モガリ」の遺体の状況を残酷に映し出している。そのあまりのすさまじさに驚いたイザナギ神は、そこから逃げ出した。
イザナミ神を葬ったといわれる地は2箇所ある。古事記では出雲と伯耆の国境にある比婆山、日本書紀では紀伊国熊野の有馬村とされている。
どちらも出雲族の支配地域であることが注目される。
腐敗した恥ずかしい姿を見られ、怒ったイザナミ神は、八雷神に千五百の黄泉軍を従えて追いかけさせ、黄泉国と葦原中国の境にある黄泉比良坂まで追いかけた。
イザナギ神は、そこの麓で桃の実を投げつけると、黄泉軍は逃げたが、今度はイザナミ神が追いかけてきた。
そこでイザナギ神は、黄泉国とこの世との間を千引石でふさいだ。そこでイザナミ神は、毎日、この世の人間を千人ずつ取り殺すことを宣言し、イザナギ神は、毎日、千五百人の子供を生むことを宣言する。
記紀ではイザナミ神のことを「黄泉津大神」(ヨモツオオカミ)と書いており、イザナミ神は、このとき、黄泉国の大神の地位についていたことになる。しかし記紀には、その後のイザナミ大神による黄泉国支配に関する話は登場しない。
それどころか、その後にイザナギ神が亡くなる状況も、意外にあっけなく寂しい。
事業がすべて終わったイザナギ神は、幽宮を淡路島につくり、静かに長く隠れる。一説には、天に昇って報告し、日の少宮(わかみや)に留まられたともいう。死後、恋しいイザナミ神の黄泉国へいったという話もなく、極めてサミシイ最後である。
●スサノオ神の「根の国」とは? ―黄泉国、朝鮮、出雲、熊野
スサノオ神は、イザナギ神が黄泉国からの帰り道のミソギの際、鼻を洗ったときに生まれ出た神であり、イザナギ神の子神であり、アマテラス神の弟神である。
このスサノオ神は、母の国の「根の堅洲国」が恋しく、木が枯れ人が死ぬほど大泣きに泣いた。しかも年がたって、髭が胸まで垂れるようになっても泣き続けた。
そのためスサノオ神はアマテラス神により高天原から追放される。
スサノオ神が、恋い求めて泣きわめいた母神とは、一体、誰なのであろうか?
状況からみると、それは黄泉国のイザナミ神のように思われる。
とすれば、スサノオ神が追放された「根の堅洲国」とは、イザナミ神が支配する「黄泉国」ということになる。
高天原を追放されたスサノオ神は、出雲の簸(ひ)之川にくだり、有名な八岐の大蛇を退治する。しかし書紀が引用する別書では、スサノオ神は大蛇を退治する以前に、まず「根の国」へ直行したとする説もあり、大蛇退治はその後の話になる。
スサノオ神が赴いた「根の国」とは、朝鮮の新羅であった。スサノオ神と朝鮮とのかかわりを想わせる証拠は数多くある。新羅(シラギ)は、もとの名を「斯盧」(サロ)といった。新羅国になる前の「斯盧国」の王は、「首斯盧」(スサロ)であり、「スサロ」と「スサノオ」は奇妙に似ている。
江戸時代の天明元(1781)年に、藤原貞幹という人が同じようなことを唱えた。彼は、スサノオ神は辰韓の王であるといった。それは新羅語で「王」のことを「次次雄:ススング」ということから、新羅王「ススング」とは「スサノオ」のことである、と述べている。
一方の新羅には、新羅人が日本の王になったという神話がある。
「三国遺事」によると、新羅の第8代阿達羅王の4(157)年、東海のほとりに延鳥郎と細鳥女という名の夫婦が住んでいた。
ある日、延鳥が海で藻を取っていると、急に岩(一説には、魚)が彼を乗せて日本へ運んでしまった。日本人は、延鳥をただならぬ人物とみて王にした。
夫を心配した妻が海辺へくると、夫の履物が岩の上にある。妻がそれをとるため岩に登ると、岩は妻も日本に運び、妃になった。
このとき新羅では、太陽と月の光が消えてしまった。どうやら2人は太陽と月の化身であったらしい。太陽と月といえば、月神ツクヨミを太陽神アマテラスの弟神スサノオに置き換える見方もあり、日本ではアマテラス神とスサノオ神に比べられる。この伝説はわれわれの興味をそそるに十分な内容である。
日本と朝鮮の関係において、九州、大和の部族国家は加羅、百済の国々との関係が強かったが、出雲国はさらに朝鮮の東海岸にある新羅と、密接な関係があったと思われる。
新羅の旧都は建国以来、慶州にあった。慶州に至る港は2つあり、迎日湾からは西南に5里、良港の蔚山からは北に10里で旧都に着くことができる。そして両港とも出雲からは比較的近い位置にあった。
日本書紀の一書(40号)では、スサノオ神は、その子、五十猛神を率いて新羅国へ行き、ソシモリという所へ行ったとされる。ソシモリとは「牛頭」を意味し、江原道春川府の牛頭州とする説もあるが、新羅の旧都・慶州とする説もある。
朝鮮を含むスサノオ神の足取りはいろいろな説がある。スサノオ神は新羅に落ち着けず、再び、船で東へ渡り、出雲にある簸之川の河上にある鳥上の峯に到り、そこで大蛇退治をした後、熊野へ到りなくなったとする説。
また、出雲で大蛇退治をした後、朝鮮の新羅へわたり、「根の国」の王になった説。 また書紀の一書(41号)では、紀伊国へ渡り、その後に、新羅の熊川=熊成峯にましまして、遂に根の国に入りましき、とする説もある。
これらから見ると、スサノオ神の「根の国」とは、朝鮮の新羅から始まり、出雲に移り、最終的に、紀伊国の熊野の地、もしくは新羅の熊成の地を含み、直接的にアマテラス神の支配圏からはずれた朝鮮、出雲、熊野などの非常に広域に及んでいる。
これが陰神の「神に国」の領域であった。
熊野にはイザナミ神を葬った「花の岩窟」があり、今なお祭祀が行なわれている。また熊野三山の祭神は、本宮がイザナミ大神、第一殿が熊野フスミ大神、御本社スサノオ命、新宮は第一殿が熊野フスミ大神とイザナミ神、那智の御本社がフスミ大神とイザナミ神など、イザナミ、スサノオ神が色濃く影を落としている。
なおここで現れるフスミ大神とは、日本ではじめて火きり臼、火きり杵をつくり、清浄な火を得たとされる大神であり、熊野、出雲共に関係の深い神である。
熊野は古来、死者の住む浄土として死霊信仰の強い土地であった。そのことから、特に中世以降の熊野は、出雲に並ぶ「黄泉国」、「根の国」であり、「死者の熊野詣で」といって死者に会いたければ熊野へ行け、といわれたほどである。そこへ行けば、逆さまになって歩いている死者と会うことができるともいわれた。
つまりスサノオ神が、母神イザナミを求めて泣いた地は、国外では朝鮮、国内では出雲と熊野であった! そしてイザナミ、スサノオの2神は、今も熊野大社に一緒に祭られている。熊野へ行くと、今なお死者がさかさま、もしくは後ろ向きで歩き、熊野詣でをしている、といわれる。
ここで面白いことは、熊野の死霊の世界は決して地下に存在していないことである。死者たちは、逆さ・後ろ向きで歩くにしても、生者と同じように地面の上を歩き、生者と話をする。つまりそこでは地上に顕界と幽界が共存している。
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