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日本人の思想とこころ
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  (7)金剛般若経の思想

●禅宗は、シャカの心の追体験を目指す原理主義?
 禅宗は、座禅という仏教の基本的な修行の方法を通じて、シャカがさとりにいたった過程を追体験しようとする原理主義の一つであると私は思う。
 通常の宗教の原理主義では、教祖の教義を忠実に学び実行することを特徴とする。
 そのためには、まず教祖自身による経典を一字一句おろそかにしないで学ぶことから始めるのが普通である。
 それはキリスト教におけるエホバの証人や、イスラム教のタリバン、仏教における阿含宗など、その点はなべて似ている。

 しかし禅宗における原理主義は、「不立文字」という通常の宗教におけるそれとはかなり異なる考え方に立っている
 そこでシャカの座禅による修行を通じて得られる「こころ」とか「さとり」などを忠実に学び取ろうとするところが、通常の原理主義とは全く異なっている。

 禅宗における原理主義は、偶像や形式を排除しているものの、仏像は一応、シャカ仏を祭り、経典は般若経などを使う。しかしそれらに必ずしもこだわらず、座禅を通じて自分自身でシャカの修行を追体験してサトリを得ることが、最も重要な課題とするところに特徴がある。
 そのため仏教経典もその手段の一つにすぎず、般若経もそこでよく使われる経典の一つであるにすぎない。

 大般若経600巻は、大乗経典の中で最も早いB.C2,3世紀に作られたと思われる。これら般若経典は、それまでの小乗仏教の言葉を使いながらも、それらの言句を一つ一つ否定しながら、一切皆空を説いている。
 この大般若経の内の金剛般若経が中国に入り、鳩摩羅什(くまらじゅう)の訳により、世にでたのは5世紀初頭のことといわれる。

 金剛般若経は、正確には金剛般若波羅蜜経と呼ばれる。ここで金剛とはダイヤモンドのことであり、「非常に固い」ことを意味しており、また波羅蜜多とは、パーラミター、つまり「彼岸にいたる」という意味である。
 中国禅における金剛経とのかかわりは非常に古く、禅の始祖であるダルマから数えて第5世の弘忍大満(ぐにんだいまん)のときといわれ、その弟子の慧能大鑑が日本の臨済禅,曹洞禅に大きな影響を及ぼす人物となる。

 唐代の禅僧たちの中で、金剛般若経は重要な経典となり、その頃から、中国、日本における禅の叢林では、金剛般若経の読誦が続いてきた。
 南宋禅の祖である慧能大鑑は、幼時、広東に住んでいた。そのある日、広東の町の中を朗々と金剛般若経を読んでいく人に出会った。この人が、「応無所住而生其心」という金剛般若経の一節をいうのを聞いたとき、忽然として慧能は悟りを開いたといわれる。
 この「応無所住而生其心」という考え方は、その短い文章により金剛般若経の本質を的確に表わした言葉といわれ、そこから話を始める。

●応無所住而生其心(住むところをなくすれば、心が生まれる)
 表題は、金剛般若経の有名な一節である。それは、わずか八文字にすぎないが、金剛経の全体を表わす言葉といわれ、禅宗の代表的公案の一つにもなっている。
 「応(まさ)に住する所なくして、その心を生すべし」と読む。その意味は、住むところをなくすれば、心が生まれる、という意味である。

 戦後間もない頃の獅子文六氏の小説に、東京御茶ノ水の神田川の土手に住みついて、自由を謳歌する人を題材にした「自由学校」という小説があった。
 戦争ですべてを失い、神田川の岸辺に住みついた人々は、青空の下、真の自由を謳歌していた!それはまさに般若経を地で行くフシギな素晴らしい世界であった。

 我々は、なまじ「住むところ」=逃げ込む場所を持つために、自由な「心が生まれない」。「住むところ」とは、自分が安全に護られるところである。
 いざとなったときには、我々はそこへ逃げ込むことにより自分を護ろうとする。
 その「住むところ」は、自分の会社や組織であり、また自分の職業上の専門領域であったりする。

 ともに、「住むところ」へ逃げ込めば、もはや怖いものがなくなる。このような場がある限りは、人間は真に真面目に社会や他人のことなど考えるわけは無い
 そのため、そこでの行動はすべて格好だけつけた偽善的なものになり、そこから真の「こころ」は生まれるわけはない。
 もしその逃げ場所が無ければ、いやでも真に心でものを考えざるをえなくなる、というのがこの経文の意味するところである、と私は思う。

 本来の人間の心は、円転滑脱自在であり、住するところなどはない。泣きたいよきに泣けばよいし、笑いたいときに、笑えばよい。それが「応無所住而生其心」の意味するところである。
 道元は、座禅をするとき、自分の心をまず手のひらに集めよ、それができたら次に自分のヘソのところに自分の心を集めよ、そしたら今度は足の裏に自分の心を集めてみよ、それができたら、最後に自分の心をどこへおいてもいけない、と教えた
 
 自分が座禅をして、ずーっと悟りの世界へ入り、清浄な世界へ入った。これこそが悟りの世界である。これを離れて仏教はない−などと「清浄なところに愛着」を示したとたんに、それが心の執着になり、心の自由さは失われ、「住むところ」ができあがるわけである。(平田精耕「一切は空 般若心経」集英社、186頁)

 「住むところなし」は、ダルマの「無功徳」、つまり報いを期待しない功徳のことである。それは何かの行為を行なうときに、何らかの報いを期待して行なわないことである。つまり行為に合目的性がないことであり、そのような絶対無分別の霊性的世界には、憎悪や我執はない。そのために「無所住」のところにいると、我らの煩悩がすべて菩提となる。
 鈴木大拙氏によれば、「応無所住而生其心」は、まさに東洋的な宗教霊性の根本義を構成しているものといえる。

●三世の心は不可得! ―揺れ動く心を捉えることができるのか?
 鈴木大拙氏が「日本的霊性」で揚げられた今ひとつの有名な公案が、移り行く時間に関する問題である。それは金剛経第18節に次のように書かれている。

 所以は何ぞ、須菩提よ、過去の心も不可得なり、現在の心も不可得なり、将来の心も不可得なり。
 その意味は、心は絶えず動いているものである。過去、現在、未来にわたり、いつの時間においても心を捉えることは出来ないというものである。

 現在の心は捉えられそうに思うが、よく考えてみると「現在」という時点は過去と未来の境目にあるものであり、丁度、それは数学における線に幅がないように、まったく幅がなく常に動いていている。
 つまり「現在は?」といった途端にそれはもはや現在ではなく過去になっている

 過去の時間は、既定のもので、もはや我々はそれを変えることはできない。未来の時間は、いろいろ考えるのは自由にできるが、実際にそれに手を加える事は出来ない。我々が手を加える事が出来るのは現在の時間しかない。
 しかしその現在には全く幅がなく、手をふれようとした途端に過去のものに転化する。考えてみると、時間は「現在」しかないと思っていたのに、その「現在という時間」は、実は果てしない「無」の連続なのである

 これにも有名なエピソードがある。
 唐代の中国の蜀の人で徳山という僧がいた。仏教の唯識論に造詣が深く、金剛経については専門的研究をしており、「青龍抄」という注釈書があって「周金剛」とまで呼ばれていた。
 その頃、南方に禅宗という経典を読まなくても座禅だけしていれば、さとりを開き、仏になれるという一派が起こった。
 徳山は、この一派を許すことができず、それを懲らしめるために六尺棒を片手に、自分が書いた金剛経青龍抄を背負って蜀の山から湖南地方へ向った。
 
 ○州へ来たとき、空腹を覚えて茶店に入り、昼食(=点心)を注文した。その茶店の老婆というのが大変な女性であった。徳山が、点心(昼食)を注文すると、茶店の老婆は、「点心」は差し上げるが、貴方の背にした大きな荷物は何か?と尋ねた。
 徳山が、これは自分が作った金剛般若経の解説書だと応えた。

 ところがその老婆は、驚くべきことに金剛般若経に精通していた。老婆がいうには、金剛般若経には「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」とある。
 「貴方は今、点心がほしいといわれたが、一体、過去、現在、未来のどの心を点じようとなさるのか?」と尋ねた。
 徳山はグーとつまってしまった。老婆は徳山に「それが分らなければ、気の毒だが、貴方は点心なしに行かなければならない」といった。

 その頃には、信じられないことであるが、このような老婆が少なからずいたらしい。そこで徳山は、老婆の薦めにより龍譚寺の龍譚崇信(りゅうたんそうしん)の元で教えを受けることにした。
 そこで徳山が龍譚寺を訪ねると、声をかけても誰もでてこない。
 腹を立てた徳山が、「ここに到り来れば、龍もなく、譚もなし」と悪たれをついていると、龍譚崇信が現れた。そこで一晩、龍譚崇信から教えを受けた。
 
 翌日、徳山が出発しようとした頃は、既に夜になっており、外へ出ると真っ暗闇であった。そこで徳山が、外が暗いといったので、龍譚崇信は手燭のような灯を渡そうとした。その灯を徳山が受け取ろうとしたとき、龍譚崇信はふっと火を消した。

 このとき徳山禅師は豁然と大悟したといわれる。そして自分の「金剛経青龍抄」という注釈本をすべて燃やしてしまい、一介の禅僧になった(平田精耕氏「前掲書」223頁)。まさに、禅問答の真髄の躍如たるエピソードである

 禅の時間は、1日、1年、1秒というものを分けていない。皆、ただ今であり、久遠の昔も只今であり、無辺世界も只今である。この今、つまり現在は常に動いており、その上での心も動いている。碧巌録第80則にいうように、「念念不停流」(我々の心の動きは、過去心から現在心、現在心から未来心に刻々とながれていく)ものである。

 そこで捉えられるものは、すべて「現在」の影法師であるが、この現在は瞬間的に消え去っていくものであり、永遠に捉えられるものではないことをこの公案は示している。つまり現在、過去、未来は、すべて現在の「無」の連続であり、そこを流れる心も所詮は永遠に捉えられない「無」であると思う。

 一方で栄西は、「興禅護国論」の序にいう
 「大いなる哉、心や。・・心は天の上に出づ。地の厚きは測るべからず。しかるに心は地の下に出づ。日月の光りは踰ゆべからず。しかるに心は日月光明の表に出ず。・・・
 心や。吾れ巳むことをえず、強いてこれを・・・・楞厳三昧と名づけ、正法眼蔵と名づけ、涅槃妙心と名づく。」
 栄西の言うこの大いなる心が、実は「無」なのであろうか?






 
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