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  (3)日本国憲法改正をめぐる攻防(その2)
●第3段階 ―21世紀における日本国憲法とその改正
▲90年代における国内環境の変貌―55年体制の終焉
 国の交戦権を禁止した日本国憲法の環境は、1990年代以降、激変した。そして更に、21世紀には入ってからは、国の内外から憲法改正への圧力が強まっており、「平和憲法」によって「国の安全」が守られてきた時代が終わろうとしている

 この環境変化のきっかけは、平成2(1990)年8月2日のサダム・フセインによるクウェート侵攻に始まった。8月8日、このイラク軍の侵攻阻止を決定したブッシュ大統領(=現在のブッシュの父親)は、14日に、日本に対して早速、掃海艇、給水艦、航空機の派遣、人的貢献、経済的支援などを要請してきた。
 しかし日本は現行憲法により自衛隊の海外における活動が一切禁じられている

 日本政府が、この要請にうろたえているうちに、アメリカのイラク攻撃は、翌年1月17日の空爆から開始された。あせった日本政府は、国会の審議を経ずに自衛隊法100条の5の特例政令によって、難民輸送の名目で自衛隊輸送機の派遣を行おうとした。しかしそれは現地の承認が得られず実行できなかった。2月23日から始まった地上戦は、わずか1週間でアメリカの勝利により終息してしまった。

 日本の掃海艇が中東へ派遣されて機雷除去を行ったのは、戦争の収束から2ヵ月後の4月24日のことであった。その頃には、湾岸戦争は既に世界のニュースから消えており、折角の危険な機雷除去の貢献も全く国際的に評価されずに終わった
 このことが日本政府や国民に衝撃を与え、日本の防衛政策に大きな転機を齎すことになった。

 しかもこの戦争において、日本の戦費はアメリカを上回る130億ドルも負担させられた。それにも拘らず、これらの貢献は国際的には全く評価されず、日本の政府も国民も大きな衝撃を受けて傷ついた
 この原因は、現行憲法が、自衛隊の海外での活動を一切禁じていることにある、として一挙に現行憲法が注目を浴びるようになった。

 一方、国内的には、現行憲法の成立以降、ともに心地よい共存体制を作り上げてきた自民党と社会党の「55年体制」が、90年代にその終焉を迎えていた。
 昭和30(1955)年以来、単独与党の座にあった自民党は、副総裁・金丸逮捕など一連の汚職まみれの中で、平成5(1993)年8月9日に、政権を細川連立政権に引き渡す事態になった。

 更に、翌平成6(1994)年6月30日には、自民党、社会党とさきがけが連立政権を組み、社会党の党首・村山富一が首班となるという世界中を驚かせる事態が出現した。既に、上記の湾岸戦争への対応を巡り社会党には、「防衛基本法」を作り、自衛隊を明記して、海外派兵を認めようというという動きが出ていた。
 平成4(1992)年5月に、社会党委員長・田辺誠は、「解釈改憲」を排し、自衛隊を基本法で認めようとしていた。更に、翌年1月には、社会党の山花貞夫は、「創憲論」という不思議な論を唱えて自衛隊を合憲とした。また平成5(1993)年1月には、シリウスの江田五月が、雑誌「世界」で憲法の改正を打ち出して、社会党の側からも改憲論が登場し始めた

 平成6(1994)年6月30日に社会党の村山内閣が成立すると、村山首相はただちに従来の社会党の主張を変えて、自衛隊合憲、日米安保堅持、非武装中立論の放棄、日の丸、君が代の容認を明言した。
 そして、9月3日の社会党臨時党大会において、安保・自衛隊問題など、従来の社会党の基本政策の転換が承認された

 ここに昭和30(1955)年以来、続いてきた自民党と社会党の憲法をめぐる基本的な対立関係は解消し、1950年代初頭に似た憲法改正へ向かっての国内的な前提条件ができた

▲2000年代における国際環境の変貌
 21世紀に入ると、日本国憲法をめぐる国際環境も大きく変化した。
 図らずも平成13(2001)年に起こった3つの事件が、日本国憲法を改正へ導く動機を作り出しだした。
 
 その3つの事件とは、まず1月に、アメリカにおいて共和党のジョージ・ブッシュがアメリカ大統領に就任した。続いて4月に、日本において「聖域なき構造改革の実現」を標榜して国民の高支持率を獲得した小泉内閣が登場した。そして9月11日には、ニューヨークの同時多発テロで3千人を超える死者を出す事件が発生し、それが契機となってアメリカの一方的な先制攻撃ともいえるアフガニスタン、イラクにおける対テロ戦争にまで発展した。
 
 アメリカの対テロ戦争は、平成12(2001)年10月7日から、9.11事件の首謀者オサマ・ビンラディンが隠れるアフガニスタンを「テロ支援国家」に指定して報復爆撃を開始し、12月にはタリバンは崩壊した。
 しかし、ビンラディンは平成16(2004)年春の現在になってもまだ拘束されていない。その上に、アメリカの爆撃によって破壊されたアフガニスタンは、その政情が不安定になり、数百万人が難民となって流出する状態になっている。

 アフガン戦争の大義も正当性も不明確なまま、ブッシュは「大量破壊兵器を開発している」という理由で、平成15(2003)年3月にイラク攻撃に踏み切った。そして軍事的には4月にバグダットを占領して、戦争は終結したはずであった。
 しかしその後、平成16(2004)年の現在に到っても、まだイラクの大量破壊兵器は発見されず、崩壊したイラクの復興や民主化は混沌としたまま、激しい自爆テロと米軍による市民の殺戮がつづいている。
 イラクへ派兵した国々の首脳は、イラク戦争への出兵の大義が怪しくなり、国内の派兵反対運動の高まりの中でイラクからの撤退を考える国も現れ始めた。

 この雲行きの怪しくなった国際情勢の中を、日本の小泉首相はひたすらアメリカに忠実に従い、2003年秋から2004年春にかけて、自衛隊の陸、海、空3軍のイラク派遣に踏み切った。自衛隊の掃海艇の派遣やPKOの派遣の実績は過去にもあり、陸上自衛隊の派遣先のサマワは、イラク国内では平穏な地域といわれている。しかし、いつテロ攻撃を受けるか分からない準戦闘地域への自衛隊の派遣は戦後の日本で初めてのことである。

 特にアメリカとの同盟による陸上部隊の派遣には憲法上の問題がある。自衛隊が外国でテロ攻撃を受けた場合、どうしてもそれに応戦することになる。外国での戦闘行為は、国内でのそれとは全く異なり、どこまでが「自衛」か、という線引きは不可能である。そのため、どうしても憲法9条に抵触する恐れが出てくる。

 つまり自衛隊のイラク派兵により、どうしても憲法9条と「集団的自衛権」の関係を明確にする必要がでてきた。更にこのことは、平成13(2001)年11月2日にできた「テロ対策特別措置法」とも関わってくる。
 この法律では、従来の自衛隊の出動要件であった「日本の平和と安全」を、「わが国を含む国際社会の平和及び安全」に拡大しているのである。このことによりテロに対する軍事行動であれば、地域的限定なしにアメリカ軍の後方支援への派遣が可能になった。

 更にこの法律において問題なのは、肝心の「テロ攻撃」の概念に対して、「テロ」に関する定義も認定基準も法律には規定されていないことにある。従って、「アメリカ合衆国その他の外国の軍隊その他これに類する組織」(「諸外国の軍隊等」)が、「テロ攻撃」であることを決定すれば、自衛隊は世界のどこへでも出動して、一定の活動を行う、とするのが、この法律である。

 ブッシュ大統領は、既に「テロ攻撃」への対応を国際法上許されている「自衛」から、「先制攻撃」まで拡張することを宣言している。このブッシュの論理からすると、アメリカは勝手に「テロ支援国家」を規定して、先制攻撃に踏み切る可能性がある。その時、日本は後方支援活動の名の下に、日本の意思や国益とは関係なく、その戦争に巻き込まれる可能性が出てきたことを示している

 しかし現行憲法では、依然として自衛隊に戦闘行為への参加は禁止している。そのため、自衛隊に自由に戦闘行為への参加を可能にするためには、どうしても憲法改正をせざるをえなくなった、というのが昨今の段階である。

●憲法改正案の見方
 日本国憲法の改正は、どうやら秒読みの段階に入ってきている。
 日本の憲法改正には、国民投票により過半数の賛成を得ることが必要であり、我々国民の過半数が、憲法改正に対して賛成しなければ改正案は通らないその国民投票にあたって、我々国民が、十分に改正案の内容を知っていないと、21世紀にとんでもない日本政治のしくみを作り出す恐れがある。

 その改正案は、おそらく耳さわりの良い条文で表面を飾って登場してくるであろう。そして、その裏に密かに国民にとって不利益となる条文が多数組み込まれることが考えられる。そこで最後に、改正案に潜り込むであろう論点のいくつかを挙げて、結びとする。
▲天皇元首制と首相公選制
 この両者は互いに矛盾するものであり、そのどちらかが改正案では提案されるであろう。
 まず、「首相公選制」の場合には、天皇制について現在の「象徴天皇制」が基本的には採用されることになるだろう。天皇=「象徴」という言葉は曖昧であるため、天皇の機能としては、「祭祀」や「まつりごと」を中心にその明確化が行われるであろう。
 ここでは国政の機能は、すべて首相が担当する。そのために首相は、外国の大統領と同じように、国民による直接選挙により選ばれることになる。
 最近の改憲論では、中曽根元首相(2000.3,1「わが改憲論」)がそれである。

 これに対して「天皇元首制」の場合は、基本的には「明治憲法」の流れを踏襲するものである。最近の改憲論では、小沢一郎(1999年9月、「日本国憲法改正試案」)がそれである。
▲政教分離
 日本の「神道」は、本来的には多神教であり、教義もキリスト教やイスラム教のように明確なものはない。明治以降に、アマテラスの一神教による「国家神道」を採用して、「祭政一致」を標榜して政治と宗教を結びつけたことから問題が生じた。

 天皇祭祀も本来的には「国家神道」ではない。天皇祭祀も、もともとの民俗的な祭祀に戻せば、首相公選制・象徴天皇制を採用した場合には、政教分離の規定を設けても、問題はないと考えられる。

 しかし天皇元首制を採用した場合には、天皇の機能から祭祀を除外することは不可能である。「政教分離」が非常に難しくなり、憲法上の取り扱いも難しい

 この問題では、特定の宗教団体に公金の支出を禁じる規定を廃止しようという案が出ている。(2000.12.4自由党「新しい憲法を創る基本方針」)
 しかしこれでは、国家が特定の宗教を支援することを許すことになり、戦前のような深刻な宗教弾圧に道を開くことになる。
▲戦争放棄
 戦争は、国家による組織的な大量殺人行為であるだけでなく、人類にとって全く無益な組織的殺人のために膨大な費用を消費して国家財政を傾けるものであることをまず知る必要がある。憲法9条については、長年の「解釈改憲」により、現行の条文でも国連の多国籍軍に自衛を派遣した場合の「自衛」に問題が残る程度であり、改定は最小限にすべきである

 しかしいわゆる「改憲論者」のねらいは、日本の交戦権の拡大にある。戦後、吉田首相が憲法9条を拠り所に朝鮮戦争への出兵を阻止して、経済再建を図ったことを想起すべきであろう。2004年春、日本国の債務は1200兆円、国民1人あたり1千万円の借金を背負って、ダントツで世界第一位の借金大国なのである

 しかも急速な老齢化が進行しており、いまの若者たちの将来の年金の保証もなく、目に余る借金ばかりが急増している。その中で、軍事大国化に向かうような9条の内容改正はよほど慎重な吟味が必要である。勇ましい改憲論を唱える人に限って、日本経済の現状についてほとんど無知である場合が多い。

 国民は、日本経済の現状・将来と21世紀における国際紛争への対処の方向を考えて、日本の自衛力のあり方を考えてほしい。たとえばゲリラ戦やテロ攻撃には、戦艦、航空母艦、といった費用のかかる20世紀型軍備は不用であり、むしろ情報戦略型軍備や外交能力の向上を狙うほうがはるかに効果的であろう。

▲国民主権と人権
 明治憲法の「臣民の権利」の条文には、必ず「法律の定むる所による」という制限がついていた。つまり憲法で定められた権利は、下位の法律により果てしなく制限することが可能であった。

 これを日本国憲法では、その「法律により」という制限条項をすべてなくした。例えば、第11条に「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」と規定した。
 この明治憲法の「法律の定める範囲で」という制限規定の撤廃は、おそらく「市民革命」がなければ、実現できないほどの権利の獲得であった。この有難みを、日本人自身がほとんど自覚していない
 
 伝統的改憲派の「日本を守る国民会議」が、平成5(1993)年5月3日に発表した「新憲法の大綱」をみてみると、「国民の権利・義務」の冒頭に次のように書かれている。

(1) 憲法で定める自由及び権利は、国政上、最大限尊重されなければならない。
   同時にそれは、権利の乱用の禁止と他人の権利の尊重及び公共の福祉のた
   めに制限される。

 この憲法案は、「国民の自由と権利」が、「権利の乱用」、「他人の権利の尊重」、「公共の福祉」に反するという名目で、果てしなく制限可能になっている。

▲憲法改正
 現行の日本国憲法の改正は、国会議員の3分の2の賛成で発議し、国民投票で過半数の賛成が得られなければ改正できない。これは、非常にハードルの高い要件である。しかし国民の立場からすると、国民の最も基本的な権利を規定する憲法が時の政治家の恣意で簡単に変えられては困る。

 岸信介の次に自主憲法期成同盟会長になった木村睦男が、平成8(1996)年4月に発表した「平成新憲法」第84条には、憲法の改正は、国会議員または内閣が発議し、国会において総議員の3分の2以上の賛成で議決しなければならない、となっており、完全に国民投票を排除している

 この改正案はまじめな方であり、多くの場合は、改正案のどさくさにまぎれて、この国民投票の規定の排除をもぐりこませようと考えていると思われる。憲法改正のための国民投票は、極めて重要な国民の権利であることを知っていただきたい。

 過去に発表された膨大な憲法改正案を原文で見るためには、労作、渡辺治「憲法改正の争点」、旬報社にそれらが資料としてつけられている。
                       (第一部 終わり)




 
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