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2006.12.10   「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その24) −幕末の長州と尊王倒幕思想」 と「歴史はミステリー(その25) −幕末の薩摩藩と尊王倒幕」を掲載しました。11月に掲載した水戸藩を含めると、明治維新における『倒幕派』の3藩の思想を一応、通覧したわけです。最後は、戊辰戦争の経過を述べてみました。
戦争に思想や大義が有ることは余り無いと思いますが、それにしても日本の歴史の中でも戊辰戦争くらい、無思想で大義の無い悲惨な戦争は類例がないと思われます。この教科書において殆んど語られない愚かで空しい戊辰戦争により、日本国の有意な人材が多数失われたかを考えると胸が痛みます。そして長州、薩摩の明治国家が出来ました。これが2007年に掲載を予定している『漂流する国と人々』の出発点になります。
2006.11.4   「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その22)−日本の早期儒学を考える」を掲載しました。
日本への儒学の伝来は仏教より100年も古く、聖徳太子から大化の改新にかけて日本の古代国家を建設する過程で儒学は非常に大きな貢献をしました。つまり日本の儒学は、最初は律令制国家を建設するための政治的制度、組織の思想として取り入れられ、平安朝に入ると、貴族の教養や文章を作るための技術として利用されるようになり、さらに鎌倉時代以降は朱子学が武士道に取り入れられるようになります。
その結果、儒学は日本の固有思想と不可分に結びつき、今では日本の固有思想の基盤をなすのは儒教思想といえるほどになっています。本稿では、従来、あまり取り上げられない鎌倉時代以前の早期儒学を詳しく取り上げました。
「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その23)−儒学から見た日本思想」を掲載しました。
上記の早期儒学に続き、江戸時代の儒学の立場から水戸学を取り上げ、幕末の尊王攘夷と儒学の関係と、それに翻弄された水戸藩の悲劇を述べて見ました。
さらに、同じ立場から、12月には、長州、薩摩の尊王攘夷運動を取り上げる予定です。これらにより、明治維新なるものが、一体何であったかを考えて頂く契機になれば幸いです。
2006.10.8   「日本人の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その20) −倭寇とその歴史」を掲載しました。
日本と近隣諸国との間の歴史認識の違いは今に始まったことではなく、極端に言えば古代から存在してきました。その代表的なものが「倭寇」です。「倭寇」とは、「日本の侵略」という意味で、狭義の「倭寇」は、15-16世紀にかけて朝鮮半島から中国に見られたものですが、実はその多くは中国の海賊によるものでした。そのことをかなり詳しく取り上げました。
しかしこれで日本の侵略が免責されるわけではなく、16世紀には豊臣秀吉が朝鮮から中国への戦争に本格的に乗り出しました。これは一体、何であったのか?を取り上げて見ました。
「日本人の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その21) −日本歴史のフシギ空間」を掲載しました。
日本歴史には、古代の高天原や根の国を始め何処に存在したか分からないフシギ空間がいろいろな登場します。
これらは全く架空のものもありますが、そのうちのいくつかは、現実に存在する地域と密接な関係を持つことが少なくありません。そのような観点から歴史に登場するフシギ空間をいくつか取り上げました。このことを念頭において日本神話を読むと、常識とは異なる古代日本が浮かびあがってきます。
2006.9.1   「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その18)−応仁の乱と中世の終焉」を掲載しました。
応仁の乱は、将軍の代替わりに起こされてきた土一揆の超大型版であります。しかもそれは将軍・義政の後継問題が軸になっており、それに足利幕府を支える有力氏族の斯波氏と畠山氏の後継者問題がからむ複雑なものです。しかもそれを東西2軍の戦いに単純化したものは、最有力守護大名だった細川氏と山名氏の権力闘争でありました。しかし後継者問題は、利害関係がない第3者からすると全く面白くないはなしであり、その上に複雑な関係が絡むとどちらが勝っても関係ないつまらない戦乱の話になります。
そのため応仁の乱は、源氏・平家の合戦や戦国時代に比べて、TVのドラマにも殆んど登場しない歴史分野になってきました。しかしこの時代は、土一揆、国一揆、一向一揆など、守護大名に対抗する新しい政治勢力が現れてきて、中世から近世に変わっていく最も面白い過渡期の時代でありまる。今回は、この時代を取り上げます。
「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その19)−キリスト教伝来」を掲載しました。
中世ヨーロッパの人々にとって東洋のジパングは、地の果にある夢の黄金の国でありました。大航海時代の開幕とともに、イタリア、ポルトガル、スペインなどが、一斉に日本を目指して、激烈な競争を展開しました。その尖兵になったのがキリスト教宣教師でした。
今回は、日本をヨーロッパに紹介したマルコ・ポーロの見聞録から始まり、フランシスコ・ザビエル、ルイス・フロイスから、さらにそれを受け入れた日本側の対応や、キリシタン大名や長崎の開港などから、秀吉によるキリスト教弾圧の開始や、26聖人の処刑までを掲載しました。
2006.7.30   「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その16)−南北朝の内乱」を掲載しました。14世紀における「南北朝」の内乱は、皇統の分裂による動乱であり、野馬台詩が日本の天皇制の終末を予言していた時代にあたります。
しかし第100代 後小松天皇のとき、将軍・足利義満による南北朝の合体策により、皇統の対立はおさまり、百王百代の予言ははずれて、天皇制は無事にその後も存続することができました。
しかしその存続の実体は、足利幕府の力を強大にした形で危機が乗り越えられました。そしてこの動乱の中で、足利幕府自体も守護大名や庶民の一揆の力が強大化することによって、衰退の道を辿る事になります。
ここではその前段としての南北朝の動乱の時代を描きます。
「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その17)−足利将軍たちの栄光と凋落」を掲載しました。南北朝の内乱を纏め上げた足利義満は、天皇の御所の2倍の規模の「花の御所」を幕府の拠点に、一見華やかな足利幕府を軌道にのせたようにみえますが、その権力基盤は多数の守護大名により支えられたものでありました。
そのため足利幕府の華やかな時代は、あっという間に終わり、天下の大乱となる応仁の乱への坂道を下りはじめます。応仁の乱は9月に掲載の予定であり、今月はその前段を描きます。
2006.7.9   「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その14)−「元寇と日蓮の予言」を掲載しました。
日本が外国からの侵略を受けた数少ない例として、フビライ・カーンが日本本土を攻撃した文永の役と弘安の役の2つを取り上げました。ともに暴風により元の船は全滅して、日本は侵略から守られました。ここではこの元寇の役にいたるモンゴル帝国と高麗、宋の国際情勢から、元寇の役の概要、そしてこの外国からの攻撃を予言した日蓮の「立正安国論」の内容などを記述しました。
「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その15)−「歴史の中の未来記」を掲載しました。
元寇の役の後、日本は南北朝の内乱、応仁の乱、戦国時代とつづく暗く、長い中世の戦乱の時代に入ります。この先の見えない時代に「未来記」が流行りました。これらの中から、野馬台詩、慈円の愚管抄、日蓮の立正安国論などの予言や未来記を取り上げました。
なお太平記における聖徳太子の未来記は、南北朝の内乱と一緒に8月に掲載します。
2006.6.11   「日本の思想とこころ」に、「鎌倉時代は思想の花園」として3部に分け、今月は最初の2部を掲載します。
まず第一は、「歴史はミステリー(その12)−鎌倉時代は思想の花園(1)―明恵、泰時、法然」です。鎌倉時代は、それまでの貴族支配の社会に対して、武士や庶民が歴史の流れに大きな影響を齎し、それが日本の内在的な思想を作り出すのに大きく貢献しました。これによりそれまで外来の思想により形作られてきた日本文化が、日本固有の文化に変質する時代を迎えました。一部は、そのうちから明恵、泰時、法然を取り上げました。
続く第二は、「歴史はミステリー(その13)−鎌倉時代は思想の花園(2)―禅宗の成立」として、臨済宗、曹洞宗などの禅宗の成立を中心に取り上げました。三部は、蒙古襲来と日蓮の思想について7月の掲載予定です。
2006.5.1   「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その10)−空海「いろは歌」のナゾ」を掲載しました。
「いろは歌」は、古い時代から子供が文字を習うときの教材として使われてきました。空海の作といわれていますが、その七五調という新しい歌の形式から、空海より100年くらい後に出来たものと思われています。
歌の中に暗号文が埋め込まれていることが発見されたことから、現在でもWebにおいて多くの人がそのナゾ解きに挑んでいます。ここではその「いろは歌」の歴史と周辺に触れてみました。
「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その11)−庶民における地獄・極楽の誕生」を掲載しました。
今から考えてみるとフジギなことですが、奈良時代から平安初期までの仏教は、圧倒的に国家護持とか病気治療,教育,除災の祈祷などの現世利益を中心にして成立していました。
それが平安中期から、佛教における末世思想の普及とともに、「厭離穢土、欣求浄土」という死後の極楽往生に関心が向けられるようになり、さらには、極楽往生には、身分、性別などによる差が無いという革命的な宗教思想として現れてきました。それが日本における浄土教成立の背景であり、今回はその成立過程を述べています。
2006.4.1   「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その8) −日本の女性天皇」を掲載しました。
小泉内閣は、2006年3月の国会に皇室典範の改正案を提出する予定でしたが、中止になりました。これは史上に例を見ない女系天皇を容認する内容を含んでいるため、もし提出されていたらかなりの紛糾が予想されるものでした。そこでここでは、日本史上に登場した10人の女性天皇を史実に即して記してみました。
同じく、「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その9) −日本的仏教の誕生」を掲載しました。
奈良時代の仏教は、現代の日本の仏教とは異なり、葬儀などは行なわず、政治をはじめとして、生きた人間や生活と直接結びついていました。しかし政治権力とじかに結びつき堕落したため、そのアンチテーゼとして平安仏教が誕生しました。この初期の平安仏教の誕生を、最澄、空海を中心に記してみました。
2006.3.4   「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その6)奈良時代の伊勢神宮と東大寺造仏のナゾ」を掲載しました。
8世紀の日本が、天皇を頂点とした律令国家として確立した時代です。天武、持統天皇のときに、その精神的バックボーンとしてのアマテラス神話が、古事記、日本書紀などを通じて出来上がりました。
この状況を受けて、伊勢神宮の諸制度が整備され、国家神道の基礎ができあがりました。しかし神道の理論は、仏教に比べると極めて貧弱であるため、国家的規模での宗教理論は、奈良時代を通じて「国家仏教」が日本の政治・経済に圧倒的な影響を与えました。全国的な国分寺の建立がそれであり、その中心に東大寺大仏が建立されました。危機を感じた神道では、この時代に仏教と融合した神仏習合が始まりました。
少し内容が難しくなりましたが、この時代の状況をできるだけ原典に即して、やさしく書いてみました。
同じく、「日本の思想とこころ」に、「歴史はミステリー(その7) −長岡京・平安京遷都のナゾ」を掲載しました。
8世紀の終わりに天武系王朝から天智系王朝に代わり、その2代目が桓武天皇です。律令制の実施により国家に集中した富も、造寺仏と遷都ですっかり失われ、8世紀の後半には日本の国家財政は危機的状態にあったと思われます。
その状態で、長岡京への遷都が計画され、更にその途中で今度は平安京への遷都に切り替えられました。歴史家の喜田貞吉氏により、日本歴史における大きなナゾといわれるものです。
かつては幻の京として着工したばかりで廃都になったと思われてきた長岡京は、発掘の結果、殆ど完成に近い状態で放棄されたことが分り、そのナゾはさらに深まりました。
その上で着工した平安京も、財政危機の中で工事は進まず、桓武天皇の亡くなる直前の御前会議で造都工事の続行の是非が論じられ、遂に工事の中止が決まりました。この状況は、1200年の年月を越えて、財政危機の中、なお道路や鉄道建設が続く現代の日本に限りなく類似しています。
2006.2.1   「どこへ行く日本!」に、「14.『建築の品質』とその管理について」を加えました。
1月に続き、構造偽装マンション問題を「建築の品質」の側面から考えます。そのために1980年代に行なわれた、建設業のTQC運動とその失敗について書きました。もしそのとき建設業の品質管理が正しく行なわれていたら、おそらく今回のような構造偽装は起こらなかったであろうと私は考えています。
「日本人の思想とこころ」に「10.歴史はミステリー(その5)−大化改新のナゾ」を掲載しました。
大化の改新により、わが国は原始的な部族国家から、律令に基づく統一国家への道を歩み始めました。律令制への歩みは、それから百数十年をかけて奈良時代までかけての大改革になりました。それほど大きな改革の第1歩にも拘らず、不思議に大化の改新に対する最近の評価は、必ずしも高くありません。それは日本書紀の叙述が、不当に蘇我氏を悪く書いて、蘇我氏暗殺のクーデターがあまりに表面に出すぎていることも、改革の評価を低めているといえます。
このようなナゾにあふれた日本の7世紀を取り上げました。
2006.1.1   「どこへ行く日本!」に、「13.構造偽装マンション問題を考える」を加えました。2005年10月に突然登場した構造偽装マンション問題は、従来の欠陥住宅問題とは大きく異なり、戦後に積み上げてきた建築行政の問題点を白日の下に晒しました。道路公団における官制談合と合わせて、「土建国家」日本の深刻な病弊が明らかになり、2006年春には更なる展開が予想されます。
近い将来、国家賠償法の問題に発展せざるを得ないと考えますが、今の時点で考えられる範囲をのべてみました。
「日本人の思想とこころ」に「9.歴史はミステリー(その4)−福神の誕生」を掲載しました。
 新春にふさわしい話題として、日本の「福神信仰」の原点であるエビス、ダイコクを取り上げてみました。
2神とも本来は出雲の祟り神であるのが財貨を齎す福神に転化したことは、歴史の皮肉ともいうべきものといえます。それと同時に、それまで恐れられてきた西北の方位が祖先を祭る神聖方位に変わり、東北が「鬼門」という新しい恐怖の方位に変わったことが注目されます。


 
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