(3)ヘッジファンドとは何か?
★その意味と経過
Hedge fundsとは、投下した資金の損失や危険を防止するという意味である。
ヘッジファンドは、個人や法人から資金を集めてプールし、それをプロが安全に運用して資産を増やす投資機関の一種である。
その機関の特徴は、ごく少数の投資家のパートナーシップにより組織され、規制や税の関係からオフショア(=海外で活動すること)で登録されるケースが多い。
その法的地位からポートフォリオや取引に対して若干の規制はあるものの、運用責任者(ファンド・マネージャー)に、短期の売買、デリバティブ取引、利益を上げリスクを軽減させるためのレバレッジ(借入資本を利用して投機を行うこと)を効かせるための自由を与えている。
利潤追求に重点を置いて、ヘッジをしないヘッジファンドもあり、その実体は、ほとんど分かっていない。
この業界は、90年代に前記年表の事件に深く関わりを持つ中で、規模が肥大化してきた。90年1月に、この業界の資産総計は200億ドル(2.4兆円)であったが、98年3月には4,000億ドル(48兆円)になり、機関の数も200から3,000以上に増えた。
★その歴史と有名なファンド・マネージャー
現在、ファンド・マネージャーが用いている戦略の原型は、1920年代まで遡るといわれるが、「ヘッジファンド」(Hedge
funds)という言葉は1949年にアルフレッド・ウインズロウ・ジョーンズが作ったという。彼は、40年代に「フォーチュン」紙の記者であったが、その頃、彼に投資した何人かを百万長者にしたといわれる。
1970年代にアメリカ経済のバブルが破裂して、ヘッジファンド業界は最初の淘汰を経験した。それを生き抜いたのがジョージ・ソロス、マイケル・スタインハートなどであり、彼らは、その後の業界の最大のファンド・マネージャーとなった。
ヘッジファンドの市場は、70年代には株式投資が中心であったが、80年代に固定利付き債券、外国為替、エクイティ(株式資本)、商品などに広がり、更に90年代に入ると、コンピュータ技術の発展とオプション、先物、スワップなど新しい投資対象の拡大により、市場が多様化し発展した。
★有名なファンドとファンド・マネジャー
1998年6月現在、資産規模順で世界の10大ヘッジ・ファンドは、次のものである。
順位 |
名称 |
資産(億ドル) |
1 |
ソロス・ファンド・マネジメント |
220 |
2 |
タイガー・マネジメント |
210 |
3 |
LTCM |
48 |
4 |
ムーア・グローバル・インベストメント |
40 |
5 |
ツワイク・デイメンナ・アソシエート |
32 |
6 |
スローン・ロビンソン・インベストメント・マネジメント |
27 |
7 |
エベレスト・キャピタル |
25 |
8 |
Vアソシエーツ |
24 |
9 |
マベリック・ファンド |
22 |
10 |
オメガ・パートナース |
22 |
(出所)「アメリカン・バンカー」
●ジョージ・ソロス −クオンタム・ファンド
ソロスの名前は知られていても、その実像はあまり知られていない。ジョージ・ソロスは、1930年、ハンガリーのブタペスト生まれのユダヤ人である。ロンドンとニューヨークで証券会社の実務を経験した後、1969年にニューヨークでジム・ロジャースと共に、クオンタム・ファンドを設立した。たった3人の零細なファンドから出発し、現在では世界最大のファンドのマネジャーになった。
1992年9月16日、欧州通貨危機のブラック・ウェンズデーの日、ソロスは下がり始めたポンドを大量に空売りした。 これに対してイングランド銀行は必死の買い支えをしたが、最後にはドル資金がなくなりポンドは大暴落した。この日1日で、イギリス政府は40億ポンド(1兆円)の損失を出し、ソロスは10億ドル(1,200億円)を儲けたといわれる。これで、イギリスは欧州通貨機構から脱落を余儀なくされた。
かっての金融帝国イギリスを相手にしたジョージ・ソロスとスタンリー・ドラッケンミラーによる壮絶な戦いは、グレゴリー・ミルマンの名著「ヴァンダルの王冠」(共同通信社)に活写されて、ソロスの名は世界中に知れ渡った。
このソロスも、87年10月、日本のバブルのとき、その崩壊を見越して東京市場で10億ドルを超える規模での日本株の先物のカラ売りをした。しかし、10月17日にニューヨーク株の方が先に崩壊してしまい、8億4千万ドルの資産を失ったといわれる。また、98年のロシア危機では、ロシア政府の債務不履行により、クオンタム・ファンドは27億ドル(2,800億円)に上る巨額の損失を出したといわれる。
しかし90年代に入ってからのヨーロッパ、アジア、日本などの金融危機において、ソロスは巨額の利益を確保し、21世紀初頭においては、世界最大のヘッジファンドといわれる。
●ジュリアン・ロバートソン −タイガー・マネジメント
ソロスのクオンタム・ファンドに並ぶ世界最大級のヘッジファンドが、1980年にジュリアン・ロバートソンが創設したタイガー・マネジメントである。98年の運用資産は205億ドル(2兆5000億円)である。
ジュリアン・ロバートソンは、アメリカ南部のサウスカロライナで生まれ、大学卒業後、証券会社のキダー・ピーボデイに勤め、80年にニューヨークでタイガー・マネジメントを始めた。
創設以来、平均利回り年40%を達成し、顧客には32%の利益還元をするという好業績を挙げ、アジア通貨危機においても80億ドルを儲けたといわれる。
●LTCM −夢のヘッジファンド
1998年段階のヘッジファンドは、資産規模の第1位がソロスのクオンタム・ファンド、第2位がタイガー・マネジメントで資産200億ドルを越え、第3位が資産48億ドルのLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメント)である。
このLTCMは、1993年にウォール街の超エリート達180人からなる「金融界の夢のチーム」により発足した輝かしいヘッジファンドである。
スタッフの中には最新の金融工学を駆使した理論によりノーベル経済学賞を受賞したマイロン・ショールズやロバート・マートンも参加していた。
このファンドの創設者は、ウォール街最強のトレーダーといわれたソロモン・ブラザースの元副会長ジョン・メリウェザーであり、理論と実務が組み合わされた夢のヘッジファンドであった。
このファンドが、創立から5年目の1998年9月24日、倒産した。これは誰も予測しないことであった。
破綻のきっかけは、98年8月のロシア通貨危機に端を発したエマージング・マーケットの崩壊である。このロシアの債務不履行により、世界中の資金がリスクの高い国から資金をひきあげた。そして逆にドイツやアメリカの国債の値段は暴騰した。LTCMはドイツ、アメリカの国債をできる限り早く買い戻し、イタリア国債などを売ろうとしたが、多くの機関が同じ行動をとったため、債券の取引が完全に止まったのがLTCM倒産の原因になった。
その月、LTCMは運用資産額48億ドルの40%を失った。
純資産が6億ドルと債務超過寸前までいったLTCMが倒産すると、アメリカに金融パニックを起す危険性が高い。そのためLTCMの救済に、FRB(連邦準備銀行)が精力的に動いた。
批判は多かったが、これを放置すると、ニューヨーク・ダウが大暴落する寸前の状況にあった。その証拠には、98年7-9月期の大手金融機関の決算は、軒並みに大減益になっている。
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