アラキ ラボ
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  (3)万物一体の仁 ―「狂」こそ聖者への真の道か?

 王陽明は、聶文蔚への書簡の中で、「良知」の概念をさらに発展させて、良知の発現は道徳的完成を齎すだけではなく、私欲を去って天理を明らかにする場合には、自と他の区別を克服して、天下万民の救済に向わねばならないという激しい意欲を示している。
 この王陽明による聶文蔚への書簡の記述を最後にあげて結びとする。

 人は天地の心であり、天地万物は本来我々と一体のものである。人民の苦しみはどれ一つとっても、吾が身を刺す痛みでないものはない。吾が身の痛みに気がつかぬものは、「是非の心」(判断力)を持たぬものである。
 是非の心とは「慮らずして知り、学ばずして能くする」もの、所謂「良知」である。
 良知は聖と愚とを問わず、天下古今すべての人々にそなわっているものである。世の君子はただ自らその良知を致すことに努めさえすれば、是非の心、好悪の心は万人共通のものとなり、人と自分の差別がなくなり、国は我が家に等しく、天地万物は一体となる。こうなればいやだといっても、天下は太平になるのである。

 古人は、人の善を見れば我がこと以上に喜び、悪を見れば我が身以上に悲しみ(「大学」をふまえていう)、民の飢苦しみを我がことのように苦しんだ(「孟子」離婁下)のは、天下の信頼を得るために意図的にしたのではなく、自分の良知を致して我が心の満足をえようと務めた結果、自然にそうなったにすぎない。(途中省略)

 ところが後世、良知の学が忘れ去られ、天下の人は私智を用いて互いに争うようになった。仁義の美名をかたって情欲をほしいままにし、一家骨肉の間でさえ対立と差別が広がっているのだから、まして天下に至っては一体とみることはとうてい不可能である。混乱が果てしなく続くのも当然であろう。(途中省略)

 私は天の霊によってたまたま良知の学を知り、これによって天下を治めることが出来ると考えた。それ故人民の苦難を思う度に心を痛め、身のほどを忘れて良知により人民を救おうとした。天下の人は、こんな私を見て、狂人だ異常者だと嘲笑し中傷した。
 だがこんな嘲笑を顧みる暇はない。吾が身を刺す痛みはあまりにも激しい。親子兄弟が深淵に沈むのを見れば、我を忘れて断崖にぶらさがってでも助けようとするであろう。ところが上品な紳士がたは、そのそばで挨拶を交わし、談笑しながらこういうのだ。礼容衣冠を捨ててあんなにうろたえ騒ぐとは、きっと狂人、異常者だろう、と。(途中省略)

 嗚呼、世の人は私を狂人、異常者と評しているが、それも間違いではない。天下の人の心は、皆わが心なのだ。天下に狂った人のいる以上、どうしても私も狂わずにいられよう。正常心を失った人がいる以上、どうして正常でいられよう。
(伝習録、中巻。答聶文蔚、(「中国の古典名著総解説」103-104頁)

 ここでは島田虔次氏が指摘される(*)ように、仏教における維摩居士が「衆生が病むが故に吾病む」というのと共通しているが、維摩が「悲」であるのに対して、陽明の場合は、万物一体となった生の連帯から迸り出た衝動のようなものであった。
 程明道は、かつて「万物、静観すれば皆な自得す」と「春風和氣」を歌ったが、王陽明の万物一体の心境は、深刻な危機、切迫した心情であり、狂の意識であった。これが後に陽明の弟子たちの中に、「狂こそ聖人になるための真の道」という大変な主張を生み出した。

 王陽明の書簡の最後は、次の言葉で終わる。「自私自利の蔽を去り、讒妬勝忿(ざんとしょうふん)の習を洗い尽くさしめ、かくて『大同』を実現せば、僕の狂病と喪心と、脱然として癒えん。あに快ならずや。」(島田「前掲書」137-138頁)

(参考)
<読み下し文と原文>
夫れ人は天地の心にして、天地万物はもと吾が一体なり、生民の困苦茶毒(とどく)は孰れか疼痛の吾が身に切なるものにあらざらんや、吾が身の疼痛を知らざるは、是非の心なきものなり、是非の心は慮らずして知り、学ばずして能くす、いわゆる良知なり、良知の人心にある、聖愚を間(へだ)つるなく、天下古今の同じところなり、世の君子惟その良知を致さんことを務むれれば、即ち自ら能く是非を公にし好悪を同じくし、人を視ること己の如く、国を視ること家のごとくにして、天地万物を以って一体となす。天下の治まるなからむことを求むるも得べからざるなり。
★ 夫人者、天地之心、天地万物、本吾一体者也、生民之困苦茶毒、孰非疼痛之切於吾身者乎、不知吾身之疼痛、無是非之心者也、是非之心、不慮而知、不学而能、所謂良知也、良知之在人心、無間於聖愚、天下古今之所同也、世之君子、惟務致其良知、即自能公是非、同好悪、視人猶己、視国猶家、而以天地万物為一体、求天下無治。

古の人の能く善を見ること啻(ただ)に己より出ずるが若きのみならず、悪を見ること啻に己入るが若きのみならず、民の飢溺を視ること猶お己の飢溺するが如く、而して一夫もえざれば「己椎して諸を溝中に納るるがごとき」所以は、故(ことさ)らに是を為して以って天下の己を信ぜんことを靳(もと)むるに非ざるなり、其の良知を致し、自ら謙(こころよ)きことを求めんと務むるのみ、
★ 古之人所以能見善不啻若己出、見悪不啻若己入、視民之飢溺、猶己之飢溺、而一夫不獲、若己椎而納諸溝中者、非故為是、而以靳天下之信己也、務致其良知、求自謙而己矣、

後世良知の学明らかならずして、天下の人其の私智を用いて以って相比軋す、是を以って人各々心有りて、偏琑僻陋の見、狡偽陰邪の術、勝(あ)げて説く可からざるに至る。外は仁義の名を借り、内は以って其の自私自利の実を行い、辞を詭(いつわり)りて以って俗に阿り、行を矯(いつわ)りて以って誉れを于(もと)め、人の善をおおい、襲いて以って己が長となし、人の私を訏(あば)き、窃みて以って己が直となし、(以下省略)
★ 後世良知之学不明、天下之人、用其私智、以相比軋、是以人各有心、而偏琑僻陋之見、狡偽陰邪之術、至於不可勝説、外仮仁義之名、而内以行其自私自利之実、詭辞以阿俗、矯行以于誉、揜人之善、而襲以為己長、訏人之私、而窃以為己直、(以下省略)

僕誠に天之霊に頼りて、偶々良知の学を見る有り。以為(おも)えらく必ず此に由りて而して後に天下は得て治む可しと、是を以て斯の民の陥溺を念う毎に、即ち之がために戚然として心を痛ましめ、其の身の不肖を忘れて、之を以って之を救わんと思う。亦、自ら其の量を知らざる者なり、天下の人、其の是の若くなるを見て遂に相与に非笑し、之を詆斥し、以為えらくは此れ狂を病み心を喪う人のみ、と。嗚呼、是れ奚(なん)ぞ恤(うれ)うるに足らんや、吾疼痛の体に切なるに方りて、人の非笑を計るに暇あらんや、人は固より其の父子兄弟の深淵に墜溺するを見るあれば、呼嗁匍匐、裸跣顛頓し、岸壁に板懸して下りて之を救わん、士の見る者、方に相与に其の傍らに揖譲談笑し、以為えらく是れ其の礼貌衣冠を棄てて呼嗁顛頓すること此れの如し、是れ狂を病み心を喪う者なり、と。
★ 僕誠頼天之霊、偶有見於良知之学、以為必由此而後天下可得而治、是以毎念士斯民之陥溺、即為戚然痛心、忘其身之不肖、而思以此救之、亦不自知其量者、天下之人、見其若是、遂相与非笑、而詆斥之、以為此病狂喪心之人耳、嗚呼、是奚足恤哉、吾方疼痛之切体、而暇計人之非笑乎、人固有見其父子兄弟之隊墜溺深淵者、呼嗁匍匐、裸跣顛頓、板懸崖壁、而下拯之、士之見者、方相与揖譲談笑於其傍、以為是棄其礼貌衣冠、而呼嗁顛頓若此、是病狂喪心者也。

嗚呼、今の人僕を謂いて狂を病み心を喪う人と為すと雖も亦不可なし、天下の人心は皆吾が心なり、天下の人猶狂を病む者あり、吾安ぞ得て心を喪うに非ざらん。
★ 嗚呼、今之人雖謂僕為病狂喪心之人、亦無不可矣、天下之人心、皆吾之心也、天下之人、猶有病狂者矣、吾安得而非喪心乎。






 
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