(2)伝習録のいくつかの新学説
●心即理 ―陽明学の基本テーゼ
わが心こそ即ち理であるという思想は、朱子の論敵であった宋の陸象山が提唱したものである。王陽明はこれを発展させて、人の心こそは人間倫理から、さらに宇宙万物の本源であるとした。例えば王純甫にあてた書簡の中で、「夫れ物にありては理となし、物を処しては義となし、性にありては善となす、指すところによりてその名を異にするも、実は皆吾の心也。心外物なく、心外事なく、心外理なく、心外義なく、心外善なし。(文禄1、与王純甫第2書)と王陽明は書いている。
また最高善を只心の中に求めたら、天下のあらゆる事物の道理を窮め尽くすことはできないのではないですか、という徐愛の質問に対して王陽明は次のように答えている。
「心こそは即ち理である。天下に心以外のこと、心以外の理があろうか。たとえば父や君に仕えるとき、父・君の上に孝・忠の理を求められるものではないであろう。友と交わり民を治めるときも、相手の上に信・仁の理を求めたりはしない。孝・忠・信・仁はすべてわが心のうちに在る。心がそのまま理なのだ。
この心が私欲に覆われてさえいなければ、そのまま天理であって、外から何も付け加える必要はない。この天理に純なる心によって父・君に仕えれば、それが孝・忠であり、友と交わり民を治めれば、それが信・仁なのである。ひたすらわが心の人欲を去り、天理を存する工夫を積むこと、これ以外にない。」(伝習録、上巻3)
(参考)<読み下し文>
愛(=徐愛)問う、「至善は只だ諸を心に求めば、恐らくは天下の事理に於いて尽くすこと能わざるもの有らん」。先生曰く、「心は即ち理なり。天下亦心外のこと、心外の理あらんや」。
愛曰く、「父に事うるの孝、君に事うるの忠、友に交わるの信、民を治むるの仁のごときは、その間に許多の理の在る有り、恐らくは亦察せざる可からざらん」。
先生嘆じて曰く、「この説の蔽や久し。豈に一語の能く悟す所ならんや、今姑(しばらく)問う所の者につきてこれをいわん。旦く父に事うるが如きは、父上に去きて箇の孝の理を求むるを成さず、君に事うるは君上に去きて箇の忠の理を求むると成さず、友に交わり民を治むるは、友上民上に去きて箇の信と仁との理を求むると成さず、都(すべ)て只だ此の心に在理。心は即ち理なり。此の心私欲の蔽無ければ、即ち是れ天理にして、外面より1分を添うるを須(もち)いず、此の天理に純なる心を以って、之を発して父に事うれば孝、之を発して君に事うれば忠、之を発して友に交わり民を治むれば便ち是れ信と仁なり。只だ此の心人欲を去り天理を存する上に在りて功を用うれば、便ち是なり」。(伝習録、上巻3)
<原文>
愛問、至善只求諸心、恐於天下事理有不能尽、先生曰、心即理也、天下又有心外事、心外之理乎、愛曰、如事父之孝、事君之忠、交友之信、治民之仁、其間有許多理在、恐亦不可不察、先生嘆曰、此説蔽久矣、豈一語所能悟、今姑就所問者言之、旦如事父、不成去父上求箇孝的理、事君、不成去君上求箇忠的理、交友治民、不成去友上民上、求箇信与仁的理、都只在此心、心即理也。此心無私欲之蔽、即是天理、不須外面添一分、以此純乎天理之心発之事父便之孝、発之事君便之忠、発之交友治民便是信与仁、只在此心去人欲存天理上用功便是。(伝習録、上巻3)
この心即理は、陽明学が道徳実践の法として知行合一、静座、致良知の3つを提唱したが、その全体を通じて一貫して唱えられた。朱子が、心と理の2つを主観と客観に分けた二元的な見方をとったのに対して、主観に一元化して大學の解釈を全く変えたところに、陽明学の大きな特徴があるといえる。
●知行合一・実践で裏づけられなければ「知」ではない!
王陽明は、前に述べた竜場の経験を通じて格物致知の新しい陽明学を作り出したが、その翌年、知行合一説を作り、彼の学説をさらに明確にした。
つまり心即理の新しい考え方により、儒学における行動の基準、道徳の根元であった理を実践の主体である心に一元化したことにより、知識と行為の主体である「本心」の合一を主張したのである。
伝習録上巻6で、徐愛が王陽明に尋ねる。「私は、先生の知行合一ということがなかなか理解できません。宗賢や惟賢とも論議を交わしたのですが、よく分かりません。例えば、父には孝、兄には悌足るべし、ということは分かっていても、実行となるとできないのは、知と行とが2つの事柄であるからではないでしょうか?」
これに対して王陽明が答える。「それは私欲のため知行の本来のあり方から外れているからです。本来、知っているものであれば、必ず行いに現われるわけです。ある人が孝・悌を知っているとすれば、それを実行して初めて知っているといえるわけで、孝・悌を論ずることを覚えても、それは知ったことにはならないのです。」
つまり実践されたものが「知」であって、ただ知識だけあっても、それは「知」とは謂わない、というのが陽明学の基本的な考え方になる。
また下巻26では、次のようにいっている。
「私が何故、知行合一を主張するのか、その根本を知ってほしい。いまの人は学問をするにあたって、知と行とを分離させているがために、ある一念が発起したとき、それが不善なるものであっても、実際に行いさえしなければ善いと考えて、抑えつけようとしないのです。私がいま知行合一を主張するのは、人々に、一念の発起するところこそ行にほかならないことを知ってほしいからです。発起した一念が不善であれば、この不善の念を克服する、この一念の不善を徹底的に胸中から取り除かねばなりません。是が私の主張の根本なのです。」
(参考) <読み下し文>
知行合一を問う。先生曰く、「此れ須らく我が立言の宗旨を識るべし。今人の学問は、只だ知行を分ちて両伴と作すに因りて、故に一念発動して、是れ不善なりと雖も、然れども卻て未だ曾て行われざれば、便ち禁止し去かさざること有り、我今箇の知行合一を説くは、正に人の一念発動のところは便ち是れ行了なることを暁得し、発動の処に不善有らば、就(すなわ)ち這(こ)の不善の念を将(もつ)て克倒し了らんことを要す。徹根徹底、那(か)の一念の不善をして潜伏して胸中に在らしめざることを須要す。此れは是れ我が立言の宗旨なり。
<原文>
問知行合一、先生曰、此須識我立言宗旨、今人学問、只因知行分作両伴、故有一念発動、雖是不善、然卻未曾行、便不去禁止、我今説箇知行合一、正要人暁得一念発動処、便即是行了、発動処有不善、就将這不善的念克倒了、須要徹根徹底、不使那一念不善、潜伏在胸中、此是我立言宗旨。
この王陽明の知行合一の考え方により、朱子の「致知」の考え方は、根本的に変らざるを得なくなった。つまり、「知」は、それが実践され検証ない限り、「知」とはいえないことになったのである。
●致良知 ―王陽明の最後の道徳説
王陽明が、大學の「格物致知」の「知」を、孟子の「良知」と解釈した新説を唱えたのは、50歳になった晩年のことであるとされている。しかしこの考え方自体は、伝習録にその前から現れており、かなり前から持っていたようである。
致良知説は、王陽明の最後の道徳説であり、伝習録の改修者の銭徳洪によると、この説が最も明白に表明されているのは、伝習録中巻の聶文蔚(じょうぶんい)に答えた書簡であるといわれる。それは2通あり、「致良知」にかかわる部分は次の箇所である。
「そもそも人は天地の心に当たり、天地万物はもともと人と同体のものであります。だから生民の窮乏困苦は、そのまま吾が身に切なる疼痛に他ならず、この疼痛を感じないものは是非の心をもたない者です。ここで是非の心とは、「慮(おもんばか)らずして知り、学ばずして能くする」(孟子、尽心上)ところのいわゆる良知です。
良知が人の心に具在することは、聖愚の別なく、天下古今に例外のないことです。世の君子は、ただその良知を発揮することさえつとめれば、其の是非(の判断)は自然と万人不偏のものとなり、好悪は万人に共通に也、人と己の差別もなくなり、国はあたかも家と見做され、かくて天地万物は一体と見做されます。これでは天下に治平をもたらすまいとする方が、無理というものでしょう。」(「世界の名著」続4、朱子・王陽明、中央公論社、480頁)
(参考)
<読み下し文>
夫れ人は天地の心にして、天地万物はもと吾が一体なり、生民の困苦茶毒(とどく)は孰れか疼痛の吾が身に切なるものにあらざらんや、吾が身の疼痛を知らざるは、是非の心なきものなり、是非の心は慮らずして知り、学ばずして能くす、いわゆる良知なり、良知の人心にある、聖愚を間(へだ)つるなく、天下古今の同じところなり、世の君子惟その良知を致さんことを務むれれば、即ち自ら能く是非を公にし好悪を同じくし、人を視ること己の如く、国を視ること家のごとくにして、天地万物を以って一体となす。天下の治まるなからむことを求むるも得べからざるなり。
<原文>
夫人者、天地之心、天地万物、本吾一体者也、生民之困苦茶毒、孰非疼痛之切於吾身者乎、不知吾身之疼痛、無是非之心者也、是非之心、不慮而知、不学而能、所謂良知也、良知之在人心、無間於聖愚、天下古今之所同也、世之君子、惟務致其良知、即自能公是非、同好悪、視人猶己、視国猶家、而以天地万物為一体、求天下無治、不可得矣。
次に、良知を唱えるに到った経路とその反響をのべている。
ところがここに、私はまことに天の霊佑によって、はからずも良知の学を知るに及び、これによらぬかぎり天下に治平はありえないと確信するにいたりました。そこで常に民のこのような堕落に思いをはせては、深くこれに心を痛め、身の不肖を忘れて、この学によって此れを救済しようと思うものですが、これは身のほどをわきまえぬことといわざるをえません。それかあらぬか、天下の人は、私のこの有様を見て、こもごもに非難嘲笑を交えて排斥を加え、心身喪失の狂人に見立てるようにさえなりました。ああ、しかしそれがなんだというのでしょうか。(「世界の名著」、482頁)
(参考)
<読み下し文>
僕誠に天の霊によりて、偶々良知の学を見るあり、以為(おもえ)らく、必ずこれによりてのち天下得て治むべしと。是を以って斯の民の陥溺を念(おも)うごとに、即ちこれがために戚然として心を痛め、その身の不肖を忘れて、これを以ってこれを救わんことを思いて、亦た自らその量をしらず、天下の人、そのかくのごときを見て、遂に相与に非笑して詆斥(ていさき)して以為(おもえ)らく此れ病狂喪心の人のみと。嗚呼是れ奚(なん)ぞ恤(うれ)うるに足らんや。
<原文>
僕誠頼天之霊、偶有見良知之学、以為必由此而後天下可得而治、是以毎念斯民之陥溺、即為之戚然痛心、忘其身之不肖、而思以之救之、亦不自知其量、天下之人、見其若是、遂相与非笑、而詆斥之、以為此病狂喪心之人耳、嗚呼、是奚足恤哉。
良知を唱える王陽明は狂人扱いされるようになるが、その中から再起してこの致良知説により天下社会を匡救しようと考えるに至る。その過程は次のように書かれている。
いまもし、まことに豪毅かつ英邁な同志をうることができ、力をあわせ、ともどもに良知の学を天下に明らかにし、天下の人々に其の良知を発揮することを自覚させ、人々があいともにその生活を安んじっつ、自我自利の病弊を捨て去り、人を妬み人に勝つことしか思わぬ悪習を一掃するようにしむけ、そこに大同が実現したならば、私の狂病などは、きれいさっぱりと治ってしまい、心神喪失の患からも永久に開放されるに違いありません。
これはなんと欣快なことではありませんか。(「世界の名著」、484頁)
(参考)
<読み下し文>
今、誠に豪傑同志の士を得て、扶持匡翼して、共に良知の学を天下に明らかにし、天下の人をして皆自らその良知を致すことを知らしめ、以って相安んじ相養いて、その自私自利の蔽を去り、讒妬勝忿の習を一洗して以って大同に済(な)さしめば、即ち僕の狂病は固(もと)より将に脱然として以って癒えて、終に喪心の患いを免るべし、豈に快ならずや。
<原文>
今誠得豪傑同志之士、扶持匡翼、共明良知之学於天下、使天下之人、皆知自致其良知、以相安相養、去其自私自利之蔽、一洗讒妬勝忿之習、以済於大同、即僕之狂病、固将脱然以癒、而終免喪心之患矣、豈不快哉、嗟乎。
▲良知の本体は「真誠の惻恒(誠のこころ)」である!
さらに、聶文蔚への書簡の第2信においては、良知に関する少し異なる見解が表明され、「良知」の本体は天理の発現であり、誠の心であるといっている。それについてみてみよう。
思うに良知とは、何よりも天理が自然霊妙に発現したものであり、真誠(まこと)の惻恒(こころ)こそがその本体なのです。だから、この良知の真誠の惻恒を発揮して親に事(つか)えれば、それがそのまま孝であり、それを発揮して兄に従がえば、それが悌であり、これを発揮して君に事えれば、それが忠であり、それは一なる良知、一なる真誠の惻恒であるのみです。
(途中省略)
(良知は)本来、ただ一つのものであり、ただ一つのものでありながら、しかもそこに増減の余地のない軽重厚薄の差があるのです。もし、そこに増減の余地で、また借用の要があったとすれば、それはもはや真誠惻恒の本体でもなんでもない。
これこそが良知の霊妙な働きであり、このゆえに良知には定体がなく、窮尽することもないのです。そして「大きいことについて謂えば、天下の何ものをもってしてもこれを載せきれず、小さいことについて謂えば、天下の何ものを以ってしてもこれ以上に分かちえない」(中庸)ということになるのです。(「世界の名著」、490頁)
(参考)
<読み下し文>
蓋し、良知は只だ是れ一箇の天理の自然に明覚発見する処、只で是れ一箇の真誠惻恒こそ、便ち是れ他(そ)の本体なれ。故にこの良知の真誠惻恒を致して、以って親に事うることは便ち是れ孝、この真誠惻恒を致して、以って兄に従がうことは便ち是れ弟、この良知の真誠惻恒を致して、以って君に事うることは便ち是れ忠、只だ是れ一箇の良知は、一箇の真誠惻恒なり。
(途中省略)
良知は只だ是れ一箇にして、その発見流行の処に随いて当下(まさに)具足すべきも、さらに去来なく、仮借すべからず、然れどもその発見流行の処は、却って自ら軽重厚薄ありて豪髪も増減すべからざる者あり、いわゆる天然自有の中也。即ち軽重厚薄、豪髪も増減すべからずといえども、原(もと)また只だ是れ一箇なり。只だ是れ一箇也といえども其の間の軽重厚薄また豪髪も増減すべからず、もし増減すべく、もし仮借すべければ、即ち巳(すで)にその真誠惻恒の本体にはらず、これ良知の妙用、方体なく窮尽なく、大を語れば天下も能く載するなく、小を語れば天下も能く破るなきものなり。
<原文>
蓋良知只是一箇天理、自然明覚発見処、只是一箇真誠惻恒、便是他本体、故致此良知之真誠惻恒以事親、便是孝、致此良知之真誠惻恒、以後従兄、便是弟、致此良知之真誠惻恒以事君、便是忠、只是一箇良知、一箇真誠惻恒。
(途中省略)。
良知只是一箇、随他発見流行処、当下具足、更無去来、不須仮借、然其発見流行処、却自有軽重厚薄、豪髪不容増減者、所謂天然自有之中也。雖即軽重厚薄、豪髪不容増減、而原又只是一箇、雖即只是一箇、而其間軽重厚薄、又豪髪不容増減、若可得増減、若須仮借、即巳非其真誠惻恒之本体矣、此良知之妙用、所以無方体無窮尽、語大天下莫能載、語小天下莫能破者也。
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