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日本人と死後世界
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  (3)死後浄土への転生 -浄土とは何か?

◆ナムアミダブツ -念仏往生による浄土への転生

 道長は、ひたすら念仏を唱えることにより、極楽浄土への転生を祈願した。いま我々もお仏壇に向かい、鐘を鳴らして「ナムアミダブツ」と唱えるが、道長もたぶん「ナムアミダブツ」と唱えたと思われる。
 道長の念仏は、極楽往生のためとはいえ半端ではない。56歳の寛仁5年(1021)の「御堂関白記」9月の条によると、1日11万遍、2日15万遍、3日14万遍、4日13万遍、5日17万遍唱えたと記録されている。

 称名念仏の「ナム」(南無)とは、仏教語で「絶対的な信仰を表すために唱える語」(岩波書店 国語辞典)であり、「ナム」の後に信仰対象としての仏の名前が続く。これが「称名」である。つまり、「ナム-アミダブツ」とは、私の身命を投げ出して阿弥陀仏の教えに従います(帰命する)という意味である。
 したがって当然のことであるが、信仰する仏様により「ナム」に続く「称名」が変わることになる。たとえば禅宗では、釈迦如来をご本尊にしていることが多く、そこでは「ナム-シャカニブツ」となる。また観音菩薩に向かっては「ナム-カンゼオンボサツ」、日蓮宗では「法華経」に帰依していることから「ナム-ミョウホウレンゲキョウ」となる。

 奈良の大仏様の前では、「ナム-アミダブツ」ではない。大仏は華厳経に基づく盧舎那(ビルシャナ)仏の場合が多い。当然「ナム-ビルシャナブツ」ということになるし、四国のお遍路さんは「ナム・タイシ-ヘンジョウコンゴウ」となる。

 念仏往生において念ずる仏の浄土は、「極楽浄土」だけではない。「極楽」はアミダブツの浄土であって、信仰する仏によりいろいろな浄土がある。
 「浄土」つまり「清浄な仏国土」を意味する述語は梵語にはなく、中国で発達し展開したといわれるが(岩本祐 「極楽と地獄」)、仏の支配する仏浄土は210億もあるといわれ、「極楽」はそのひとつにすぎない。(同書)
 つまり念仏称名とは、自分の信仰する仏の名を呼び、その仏国土に再生することを、その仏に念願する呪文である。

 民芸の研究家である柳宗悦という人が、昭和になって「南無阿弥陀仏」という書物を書いた(岩波文庫)。これは彼の最高傑作といわれている。この中で彼は、「南無阿弥陀仏」という6字でいかに多くの霊が安らかにされたかを語り、この念仏思想を最後に仕上げた一遍上人の歴史的位置を語った。
 また他力と自力信仰が、山の上ではいっしょになるとする見解を示している。

◆聖徳太子の「天寿国」

 日本で初めて正式に仏法の摂政を行ったのは、聖徳太子(574-622)といわれるが、太子自体の実像は極めて不明確である。
 その伝説の集大成でもある「聖徳太子伝歴」(917)によると、畝達天皇4年2月15日、2歳の太子は「掌を合わせ、東に向かって南無仏と唱えて再拝したもう」と記されている。この東方礼拝は、「古今著聞集」(1254)にもでてくる。

 阿弥陀仏の極楽浄土は西の浄土であるから、西向きの拝礼になる。東の浄土は華厳経の華厳浄土であり、仏は太陽の化身としての盧舎那仏による蓮華蔵世界である。このほかにも阿弥陀信仰に先立つ地方仏信仰で、阿しゅく仏の妙喜国も東方千世界のかなたにある。

 家永三郎「上代仏教思想史」には、「聖徳太子の浄土」に対する詳細な研究が記されている。そこでは中国における仏像の造像銘が多数あげられており、弥勒、釈迦、観音、その他の諸仏の浄土は、すべて西方に設定されていることがみられる。

 「天寿国」の方位が明確に記された唯一の傍証として、三井家所蔵の華厳経巻46 開皇3年(583)の奥書がある。そこには、「願亡父母託生西方天寿国」(亡き父母に願い、西方の天寿国へ生を託す)と記されており、天寿国も西方にあるようである。
 したがって、西方浄土の思想が支配的になった頃に書かれた聖徳太子伝が、東方礼拝と記しているのは不思議である。

◆阿弥陀仏の「極楽浄土」

 西方十万億土にあるといわれる「極楽浄土」は、阿弥陀仏の仏国土である。阿弥陀仏とその浄土である極楽世界の状況は、浄土教の基本的な経典である「浄土三部経」(大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)に詳しく述べられている。
 ここでは、その中から「仏説阿弥陀経」に記されている極楽浄土の姿を見てみよう。

 「仏説阿弥陀経」は、釈迦が晩年になりその涅槃が近づいた頃、弟子の中でも最も知恵が優れ徳の高い舎利弗を呼び、遺言のように語られたものといわれる。その中で、釈迦は極楽世界について次のように述べる。(暁烏敏「仏説阿弥陀経講和」)

 是より西方十万億仏土をすぎたところに、阿弥陀仏の国土があり、これを極楽という。この国では終生、衆の苦はなく、いろいろな楽が受けられることから、極楽という。
 十国土には、それぞれ七重の欄干のある建物があり、宝珠をつないだ網で飾られ、七重の木々に囲まれ、金・銀・瑠璃・玻璃の四宝がめぐらされている。

 また七宝の池があり、八功徳の水があふれている。池の底は、金の砂が敷かれている。池の周りには廊下があり、そこは金・銀・瑠璃をはじめとする宝石で飾られている。上には楼閣があり、これも金銀その他の宝石で飾られている。池の中には大きな車輪のような蓮華の花が咲き、青、黄、赤、白などの色は、それぞれの光を出し、よい香りに満ちている。極楽国土では、このような功徳荘厳が成就されている。

 また常に荘厳な音楽が流れて、地面は黄金で造られており、夜昼6時に曼荼羅華の雨が降る。その国の人々は朝早く自分の着物に花をもり、十万億の仏を供養して、自分たちも食事をいただく。
 またこの国には、いろいろな綺麗な鳥がいて、昼夜6時に優しく雅やかな声で鳴く。その音は仏法にかなったものであり、浄土の人々はこの鳥の声を聞いて、仏を念じ、法を念じ、僧を念じる。
 またこの国には、そよ風が吹き、木々や飾りが微妙な音を奏でている。その音は、百千種の楽を同時に聞くようであり、自然に仏、法、僧を念じる心がおこる。このような功徳荘厳ができあがっている。

 阿弥陀経では、このような極楽世界の美しい描写に続いて、この国土を成仏以来、十劫という長い時間をかけて築いてきた、阿弥陀仏とその声聞の多くの弟子があることを述べる。
 このような話を聞けば、衆生はこの国に生まれたいと思うであろう。しかし小さな善根や福徳で、この世に来ることはできない。この国に生まれるためには、阿弥陀仏を念じて、1日でも、2日でも、3日でも、・・・・、7日でも、一心不乱に念仏称名を唱えると、阿弥陀仏がお迎えに来てくださると記す。






 
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