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(4)道路公団の民営化とは何だったのか?

●首相の改革への決意がにじみ出ている内容だ、まいりましたな!
                 −自民党道路調査会・古賀会長の言葉 (03.12.22)

 03年11月28日に政府与党協議会が道路公団「民営化の基本的枠組み」を決めた事を受けて、国交省は04年1月から民営化に関連する4法案の作成に入った。翌2月18日の国会の党首討論において、小泉首相は道路公団民営化への民主党の批判に対して、「まれに見る画期的な大改革」だと自画自賛した

 小泉首相は、自分の業績については、常に最大級の評価をするクセのある宰相である。しかし、それにしても自らが任命した民営化委員会が4分5裂し、更に12月22日には田中、松田両委員が首相に裏切られたとして抗議の辞任までしている。それなのによくまあ国民を前にして、このような手放しの自己礼讃ができたものと驚嘆せざるをえない。そしてこのような宰相に高い支持を与えた国民の政治センスを、真に疑いたくなる!

 04年3月9日、政府は民営化4法案を閣議決定して国会に提出した。そして6月2日に4法は国会を通過した。小泉首相が、「画期的大改革」と誇るのは、高速道路の建設費を、当初の残事業費20兆円から6.5兆円減らして13.5兆円にした事と、民営化から45年後の無料開放を明記して、借金がこれ以上増えないように建設するとしたことにある。ところがそれらが守られる保証は全くない。

 民営化法の内容は、次のようなものであった。

(1) 会社と機構 組織を6社と1行政法人にする。
   東日本高速道路(株)、首都高速道路(株)、中日本高速道路(株)
   阪神高速道路(株)、西日本高速道路(株)、本州四国連絡高速道路(株)
   独立行政法人 日本高速道路―保有債務・返済機構

  6つの事業会社は、サービス、事務所などを持つだけで、道路、駐車場などの道路本体の資産を持たない。従がって、固定資産税の支払いは不要となる。
  保有債務・返済機構は、05年当初の43.8兆円の負債を45年で返済し解散する。その後の高速道路は無料開放される。機構は、事業会社から高速道路の貸付料を受け取り、債務を返済する。
(2) 高速料金 現行の料金を1割程度引き下げるとともに、弾力的な料金体系を設定して料金の引き下げに努める。
(3) 高速道路の建設 事業会社が、国交省の命令により建設する方式は止め、会社の自主性にまかす。新しい建設区間は、自主的な申請方式とする。資金の調達は、自己調達による。道路の設完了時に機構に移管し、機構借入金の返済に当たる。
(4) 道路資産・負債 基本的に機構が引き継ぐ。
(5) その他 省略
 民営化のスケジュールは、次のようなものであった
(諏訪雄三「道路公団民営化を嗤う」新評論、249頁)
  04年6月 国会で道路関係4公団民営化法成立
  05年6月 04年度の民間企業並み財務諸表の作成
  05年10月 民営化スタート
     ・ 4ヶ月以内、会社が建設すべき高速道路を国交相が指定する。
     ・ 6ヶ月以内、会社と機構ガ協定を締結
  15年まで  政府の株保有3分の1以上などを民営化10年以内に見直し。
  22年頃   本州四国連絡高速道路会社と西日本会社と合併。
  50年 債務返済を完了し高速道路を無料開放

● 委員会は、何処で間違ったのか?
 まず公企業と私企業の違いを考えてみよう。公企業には、倒産の心配はないが、経営の自由度は少ない。逆に、私企業には経営の自由度は大きいが、何時倒産してもおかしくない。この観点から上記の民営化のしくみを見ると、非常におかしい事に気がつく。

 つまり公団が民営化した場合に、最も経営上の問題である40兆円の負債は、道路資産とともに独立行政法人の所管になる。そのため民営化された会社は負債や倒産の心配を全くしないで、高速道路の建設と運営に専念できる。負債を抱えた機構は、行政法人であるからこれも倒産の心配をしないで負債を抱え、さらに財投機関債を発行して道路の建設ができる。
 すでに民営化以後も、毎年、6,000億円の財投機関債が発行されており、このままでいけば、40兆円の負債は減少するどころか増えている。さらに、2010年代に入ると、現在の日本の低金利政策が維持できなくなり、金融費用が債務を急激に増やしていく時代を迎えるのである。

 ところが民営化6社は、このような状況になっても倒産の心配はないので、今までのように道路を作り続け、管理していけばよいわけである。民間企業でも、倒産すると社会的影響が大きい銀行などの場合、倒産の危険が出たときには、一時、国有化したことが記憶に新しいであろう。つまり倒産の恐れの強い企業は、右肩下がりの経済の段階において、民営化することは非常に困難なのである。それを承知で道路公団を民営化した。それは、一体何なのか?改めて考える必要がある。

 道路公団は、藤井総裁の時、財務的に既に債務超過の状態に陥っていた。債務超過の企業を民営化することができるわけはない。とすると上記の「民営化」は、道路公団を倒産させないために、民営化よりはむしろ実質的には国有化したものと考えると分かりやすい。道路公団の「民営化」は2050年の段階で機構が債務を返済し終えて解散した時、初めて成立するという夢のような「民営化」であり、現時点ではむしろ実質的に「国有化」と考えたほうが分かりやすいのである。

 そのために、民営化の評価は真っ二つに分かれることになった。構想日本の加藤秀樹氏による小泉内閣の「民営化」の評価は零点である。しかし、小泉首相はそれを「画期的大改革」と評価し、自民党道路調査会・古賀会長は、首相の改革への決意がにじみ出ている内容だ、まいりましたな!と評価?した

 今から考えてみると、02年8月6-7日における第1回委員会の会合の際、川本委員に道路公団の経営分析と経営の将来についてのシミュレーション作成を依頼した。しかしその結果を委員会は、正しく検討・評価し、道路公団の経営上の問題点を共有化する努力をしなかった。そしてすぐ対策案の作成に入った。ここに委員会失敗の最大の原因があった。

 そのため第2回会合には、今井・中村案(=後のC案)が登場し、他の委員案(=後のA案)と対立する構図が作られた。問題の共有化をしないままで対策案を作成すれば、対策案は委員の数だけ出来るのが通例である。委員会が4分5裂して崩壊する運命は、このとき既に明らかになっていた。

 この段階において、社会的には既に道路公団の経営を内部資料により詳しく分析し、民営化の筋道を提案した加藤秀樹と構想日本の「道路公団解体プラン」が公刊されていた。(文芸春秋、01.11.20)。従って、委員会において、川本氏の報告と合わせてこのプランの検討をきちんと行なっていれば、委員全員の共通認識が形成できたと考えられる。

 この種の有識者の委員会は、通常、このようにまず対策案をつくる形で行なわれている。第2回に登場した今井、中村案(=C案)は、多分、事務局が当初の本命と考えたものであろう。
 
 これに対して、5人の委員による後のA案が作られ、さらに、政府・与党によるB案が作られた。そして7名の委員案とは全く異なる政府・与党のB案が、最終的に法案となった。
 この3案の形成過程を通じて言える事は、その前提となる共通認識とその共有化の過程が、全く欠如していたことである。そこでは共通認識を持つための努力すら全くなされた形跡がない。これが日本の数合わせの「民主主義」の本質ともいえるものかと思うし、それが今回、委員会における失敗の最大の原因でもあった。
 その結果、でき上がったものは道路公団の「民営化」ではなく、「国有化」であった。






 
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