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  (2)「建築の品質」の管理を考える

 この建築の品質管理を考えるために、まず日本の建築における品質管理の過去の歴史を簡単に振りかえることから始めてみよう。

●建設業のTQC(総合的品質管理)は何故、失敗したか?
 1980年代に日本の建設業はかなり真剣に「建築の品質」を管理しようと考えて、業界をあげてTQC(Total Quality Control:総合的品質管理)に取組んだ。
 この取り組みは、80年代を通じて全国的な運動にまで拡大したが、結果的には大失敗に終わった。その理由を考えてみたい。

 ▲建設業のTQCは「品質」抜きの、デミング賞を目指す「管理」運動になった!
 建設業にとっての不幸は、1980年代の高度成長期における日本のTQCが、もはや1950-60年代に日本経済の基礎を作った品質管理の段階を終わり、経営トップによる品質管理を目指した経営管理に運動の重点が移っていたことにある。
 そのため80年代の段階では、企業の品質管理に与えられるデミング賞の審査の関心は、もはや地道な生産現場を中心にした品質管理は当然のものとして、殆ど評価されなくなっていた

 今から考えてみると、このような段階で、初等的な生産現場の統計的品質管理の経験もない建設企業が、デミング賞受賞を目的にしたTQC運動を展開したことが、大間違いであった。
 トップを中心にした経営管理のTQC運動では、「アンビシャス・ゴール:野心的な目標」といって、利益や売上高の倍増とか、今回の構造偽装のように平米100キロの鉄筋量を平米50キロにするコスト半減運動とか、品質を軽視して目をむくような成果が不当に評価される風潮が支配していた
 その半面で、地道な、生産現場の品質などは、瑣末の取るにも足らない当然のものとして、殆ど評価されなくなっていた。

 それは中国の文化大革命に、はてしなく類似していた。デミング賞を目指したTQC活動で出た自殺者の数で、デミング賞の合否のレベルが判定されるというブラック・ジョークがささやかれていた。これが結果的に、日本のTQCの墓穴を掘ることになった。

 品質管理で、いかに品質が軽視されていたかの初期のエピソードをあげてみよう。

 ▲「品質」を知らずに、「品質管理」ができるのか?
 80年代の初頭に日本建築学会の研究協議会が、「建築における品質管理」をテーマに取り上げた。当時、オイルショック後の大不況下にあった建設業の各社は、製造業で成功した日本的品質管理の手法を、本気で建設業に導入しようと考えていた。
 そのため、その日の協議会は座席がなくなるほどの盛況で熱気に溢れていた

 当日の講師は、日本のTQCを率いる東大A教授であった。講演後にナシヨナル住宅の人が質問した。

 建築の「品質管理」では、その「品質」そのものが多角的で捉えにくい面があります。「建築の品質」をどのように考えたらよいでしょうか?
 そのとき驚くべきことに、A教授は大声で一喝した。「そんなことを言っているから、建設業はいつまでたっても品質管理が出来ないのだ!まず、やってみなさい。」 怒られた質問者は、そのまま黙ってしまった。

 今から考えてみると、この事件は80年代の10年をかけた建設業のTQC運動を、象徴するものであった。驚くべきことに、80年代の日本のTQCは、「品質」抜きの経営管理運動に転化していた
 私は、その風潮に抵抗して、「建築の品質」やTQCの思想,方法をまとめた「建設業のTQC入門」を、1980年6月に彰国社から出した。これは建設業におけるTQCの最初の出版物になった。

 一方、A教授の監修による建設業のTQCに関する入門書が、規格協会から少し後れて出た。その内容は、製造業のTQCの知識を建設業に紹介したものにすぎず、表題の「建設業」を「**業」と変えれば、どこの産業にも通用するものであった。

 80-90年代の高度成長期に行なわれた品質抜きの日本のTQC運動は、その後の日本の企業に深刻な悪影響を齎した。
 このとき「品質」の位置づけを正しく行なった品質管理をやっていたら、少なくとも今回の構造偽装のような問題は、日本の建設業では絶対に起こりえなかったと、今になって悔やまれるのである。

 少し具体的にいえば、品質管理にはどうしても初等的な統計処理が必要とされる。今回、イーホームズの社長は、構造計算書は膨大で巧妙な処置がしてあったため、偽装の発見が困難であったと語った。
 しかしこのような偽装の発見は、初等的な統計処理の能力があれば、1件あたり30分程度でかなり細かい問題点まで見つけることは、十分可能である。

 今回の事件では、国家が認定した検査機関ですら、これらの初等的な統計処理の能力が全く欠如していたことを、白日下にさらした。品質管理のベースである近代統計学は、暗号解読に利用されるほどの技術である。構造計算のごまかしを見破ることは、ごく容易なことである。 
 建築検査の担当者が見破れなかったのは、建設業が80年代に「品質」抜きの品質管理を行なったことに起因すると私は考えている。

 ▲厳重検査により、品質を向上させることはできない!
 80年代のTQCにおいて特に建築行政の立場の人々が品質管理を理解できなかったのは、「検査」と「管理」の違いである。これは現在に至っても、そのままの状態で推移している。

 80年代の初頭に東大A教授が建築の行政関係者を集めてTQCの講演を行なったとき、ある人が、次のような質問をした。
 建築行政においては、1950年にできた建築基準法以来、あらゆる機会を捉えて検査を厳重にして欠陥建築をなくするように努力してきた。これが建築における品質管理であり、TQCを導入したとしても、これ以上に一体なにをやれ、とあなたはいうのですか?

 厳重検査をやればそれが品質管理ではないですか?という質問は、行政の担当者からは至極尤もな質問であった。
 これに対して、A教授は適切な回答ができなかった。この質問は、品質管理のABCである。どれだけ検査を厳重にしても、それは品質管理にはならない。つまり品質検査をどのように厳重にしても、それによって品質をよくすることは出来ない。このことが官僚や政治家にはどうしても理解できなかったようである。




 
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