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日本人の思想とこころ
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  (2)東京の改造・遷都問題の経過
 戦後の東京の改造・遷都問題の経過を図表-1にまとめてみる。

図表-1 東京改造・遷都の主要提案
時期 名称 組織・提案者 計画の概要 分類
1958 新東京造成案 住宅公団総裁・加納久朗 東京湾埋め立てによる新東京の造成、皇居の開放移転案 改都論
1960 東京構造改革計画 東京大学教授・丹下健三 東京湾を埋め立て、海上都市を建設。都心と一体化して整備する。(改都論) 改都論
1960   読売新聞社主・正力松太郎 地域格差是正のため富山百万都市建設構想 分都論
1961 ニュートーキョウ<富士の都>計画 東京都立大学教授・磯村栄一 皇居、政治機能を富士山麓へ移し、経済機能を東京に残す。 遷都論
1961 東京遷都のすすめ 天野光三 東京から1-2時間圏への遷都を提言。 遷都論
1962 機能別分散案 日本開発銀行副総裁・平田敬一郎 東京の機能を(1)強化すべき機能 (2)東京圏外にうつすべき機能 に分け、大学、研究所のような(2)の機能を衛星都市に分散する。 分都論
1962 新首都建設の提唱 近藤健三郎 浜松付近への遷都を提言。 遷都論
1962 東京湾開発整備計画 自由民主党 自民党・東京湾等開発特別委員会が東京湾を千葉沖、京浜地区、京葉地区、東京湾南部に分けて埋め立て、3本の橋で結び、この埋立地に「新東京」を建設する計画、日の目を見なかった。 改都論
1962 首都圏対策大綱ほか 社会民主党 61年、63年に国会、行政府を東京から100キロ内外後へ移すことを提案 遷都論
1962 福祉列島へ改造提言 公明党 中央官庁、国会の東京からの移転を提言 遷都論
1964.6 新首都建設の構想 建設省(建設大臣・河野一郎) 政府みずから移転して東京の膨張を抑制する。首都は東京、大阪の中間(富士の裾野一帯、また浜名湖近辺)とし、人口百万人の都市を造成。 遷都論
1965 新首都論 伊藤郷平 建設省の新首都建設案に対して遷都先の適地を整理。東三河、西遠地域が最適。 遷都論
1972 アニマルから人間へ-21世紀の日本列島像 早稲田大学「21世紀の日本」研究会 新首都北上京の建設と東京市街地の再建計画,青函圏計画 分都論
1970-80 東京湾臨海部開発構想 東京都 東京湾に人工のハイテック島を建設、新副都心として開発。 改都論
1984.5 首都改造計画 国土庁 3全総を受けた首都の改造計画、一極依存構造の是正、多核多圏域型地域構造の形成、連合都市圏賭しての再構築、一部政府機関の移転 展都論
1987.9 首都移転を考える 東海銀行 行政機能を都市基盤が整備されている名古屋へ移す。 遷都論
1987 東京湾コスモポリス構想 21世紀の日本と東京湾の将来構想研究会 東京湾中心部に大規模人工島を造成、特別区として政治機能の大部分を移転させて新首都を建設 改都論
1987 遷都で情報化に対処を 林明夫,伊藤直 既存都市併置型が経済的に有利、名古屋が適当。 遷都論
1988 仙台重都構想 東北経済連合会 第2国土軸として開発ポテンシャルに富む東京以東に展開、発展 重都論
1988 拡都構想 天野光三 甲府、名古屋、大阪の郊外の候補地と東京千代田区を特別区に指定。リニアモータカーで結び,6千万人の大都市圏を形成。中央官庁は4特別区に分散。 拡都論
1988 ザ・ハート計画 武村正義 新しい心臓部となる新首都建設。東京から160-250キロ離れた地点に人口80万人の新首都建設 遷都論
1988 新首都建設構想 堺屋太一 東京の改造は費用,工期の面から非現実的。国会、中央官庁のみの「新首都」建設。 遷都論
1988 見えざる遷都 関西経済連合会 道州制、府県合併、府県連合、地方庁など地方分権、広域行政を進め、「見えざる遷都」を行なう。 遷都論
1988 キャピトル・リンケージ連都構想 松田岩夫 「新政治都市」と5つの「新行政都市」(北海道、東北、北陸、中国、四国、九州)を建設。政治機能を分担し、交通・情報ネットワークで一体化。 分都論
1988 遷都私案 日向方斎 政治・行政機能及び付帯する関連機能を浜名湖西岸に一括移転 遷都論
1988 トウキョウDC論 伊藤直、林明夫 日本の構造を創造的な分散型ネットワークに転換、現在の東京のほかに「トウキョウDC」をつくる。 分都論
1988 仙台首都構想 土木学会東北支部仙台プロジェクト21研究会 4全総の趣旨に沿い東京の立法・行政機能を仙台に移転。100万人規模の大仙台を形成。「東日本国土軸」の活用。 遷都論
1990.11 国会等の移転に関する国会決議 衆参両院 国会等の移転を促進する決議が行なわれ、その計画を推進する法律が92年と96年に制定された。 遷都論
1992.12 国会等の移転に関する法律制定 同上 左記の法律にもとづき、国会等移転調査会が発足、宇野関西経済連合会会長が会長就任 同上
1999.12 国会等移転調査会答申   移転先候補地として「栃木・福島地域」、「岐阜・愛知地域」、条件つきで「三重・畿内地域」の3地域を選定。その他の候補地への移転にも含みを持たせた。 同上
2000.5 衆議院特別審議会決議   2年を目途に首都移転左記を1箇所に絞ることを決議。 同上
2002.5   衆議院特別委員会 首都移転先を1箇所に絞ることを断念。委員長辞任。 同上
2003.5 首都機能移転に関する中間報告 通常国会 防災対応機能、危機管理機能の中枢を優先させて移転、その他も移転先を決定、実施。両院協議会設置。 同上

              
(出典)1988年以前は、渡辺一郎「遷都論のすべて」竹井出版所収の資料から主要なものを選択して作表。また1989年以降のものは、東京都「首都移転問題ニュース」から主要項目を選択して作表した。




 
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