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  (2)中国古代の自然哲学と医学

●気と人間 ―我々の生活に入り込んでいる中国の自然哲学
 
中国の自然哲学では、BC700年ころに成立した易経が基本にあり、陰陽の2進数をベースにした現在のコンピュータの数理に、自然哲学を組み合わせた論理的には高度な理論によっており、医学の理論もこれに依存している。元々は道教における神秘思想と組み合わされて、易占の理論として発達したが、12世紀に朱子が儒学を体系化した際、儒学の基本にも組み込まれて、新儒学の理論の柱ともなった。その骨子を以下に述べる。

 中国の自然哲学では、宇宙はガス状の物質である「気」が充満した状態と考えられている。後漢の鄭玄(じょうげん)、唐の孔頴達(くようだつ)によると、宇宙で最初に天地が未分化で混沌とした気の状態にあったものを「太極」(もしくは「一」、「太初」)といい、人間を含めて天地万物はその「気」から生まれ出る原始的物質と考えた。
 その原始的物質は、混沌とした形のないものであり、朱子の言葉では「無極」である
 この太極が陰陽2気に分かれ、陰陽の運動により五行の気(木火土金水)が生じる。この五行は、物質、時間、方位、など、現実の要素に割り付けられて、形を持つようになると考える。

 朱子は、AD11世紀の北宋の儒学者・周濂渓の「太極図説」を引いて、次のように書いている。
 宇宙の根本原理は、「無極にして太極なり。太極動いて陽を生ず。動くこと極まって静なり。静にして陰を生ず。静なること極まって復た動く。一動一静。互いにその根となり、陰に分かれ陽に分かれて、両儀立つ。陽変じ陰合して、木火土金水を生ず。五気順布し、四時行わる、五行は一陰陽なり、陰陽は一太極なり。」(朱子「近思録」巻1)

 陰陽五行説の、非常に要を得た簡潔な説明である。その後にさらに重要な記述がある。
 「二気交感して、万物を化生す。万物生生して、変化極まりなし。惟だ人やその秀を得て最も霊なり、形既に生じ、神発して知る。五性感動して、善悪分かれ万事出ず。」

 つまり人間も文物と同じ自然の産物であるが、万物の中でも陰陽五行の気の秀でたものを受けており、その心の働きが最も霊妙である。人間には太極(=理)が、先天的に性として具有されている。肉体が生じ、知覚が生じると、本来、内在している五行の性は、外界の物に感じて動き、善となり悪となり雑多な行為となる。(湯浅幸孫「近思録」上、朝日新聞社、13頁)

 つまり、キリスト教において人間は神に似せて作り出されたが、東洋思想では人間は自然の物と一体化した「気の産物」として誕生した。
 そのような観点から、日本語の「気」に関する言葉を拾い上げて見ると、非常に興味深い。そして上記の中国の自然哲学が、がつかないうちに、日本人の日常生活の中にまさに空のように溢れていることが分かる。

 例えば、我々の日常生活における「気」の原点「元気」である。その気が病んだ状態になることが「病気」である。病気が治ってすっきりするのは「快気」という。びっくりして意識が途切れることを「気絶」、明るい「気持ち」でいると「陽気」になり、暗い気持ちに成ると「陰気」になる。病気で「生気」がなくなると生命が危険になる。

 A,Bさんのなにげない日常会話を聞いてみよう。

A 「今日はすばらしい天気ですね! お元気ですか?」
B 「寒気が強いので、少し風邪気味気分が優れません。」
A 「気候が不順ですから、どうかお気をつけてください!」
B 「有難うございます。お互いに気をつけましょう!」

 どうということはない日常会話であるが、これを英語に逐語訳したら、驚くべき哲学的な会話になる。まずAさんは、「天」の「気」がすばらしいので、それを受けた貴方の体の中の「気」も素晴らしいでしょうね!と聞く。
 するとBさんは、自然の「気」(Pneuma)の流れが冷たく強いため、私の中の「気」が風邪に犯されている感じがして、自分の中にある「気」は優れません、とこたえる。
 するとAさんはいう。天の「気」の変化が順調ではありませんから、貴方の体の中にある「気」に十分配慮して下さい。するとBさんは、お互いに自分の中に有る「気」に十分な配慮をしましょう、という言葉で会話が終わる。
 逐語訳した日本人の日常会話は、まるで宇宙論を語る古代の仙人の問答のようになる。

 “How are you? Thank you, I am fine.”という英語の会話に比べて、同じことを言っている日本語が恐ろしく哲学的であり、しかもその大部分が元は中国製であることに驚かされる。日本語を習いたての哲学好きの西洋人に上の会話の意味を詳しく聞かれたら、日本人自身が答えられなくて困るのは必定である。
 実はこれほど中国の自然哲学は、空気のように日本人の日常生活の中に溢れているのである。 

●黄帝内経素問 ―中国最古の医学書
 中国の古代史は「三皇五帝」から始まるが、三皇と五帝の内訳は必ずしも一定していない。その詳細については、題名のない頁「6.秦帝国と呂氏春秋」に掲載しているので、ご覧いただきたい。
 「三皇」は完全に神話時代の皇帝であり、司馬遷の「史記」ではその記述を省略して「五帝」から始めているほどである。さらに「五帝」も、その内訳は一定しないが、史記では「黄帝」から始まる。

 黄帝における「黄」は、五行説の木、火、土、金、水に対応する五色、つまり青、赤、黄、白、黒の「黄」で大地を意味する色である。さらに方位では、東、西、南、北、中心など「五方」「中心」を意味している。
 中国古代史の舞台となった中心地の河南省の丘、姫水のほとりの神話的な王の始祖が黄帝である。その意味では、将に「中国」の神話的皇帝の始まりが「黄帝」といえる。

 黄帝内経素問(こうていだいけいそもん)は、BC200年頃成立した中国の最古の医学書で、理論面を主に記述した書物であるが、編著者は不明である。注解、再編の経緯は比較的よく分かっており、南北朝末に全元起により8巻の注釈本に纏められた。その後、多くの学者により手を加えられ、北宋中期に仁宗の勅命で24巻に纏められ、刊行された。 その内容は、黄帝が医学に通暁した臣下に問う問答形式で書かれている。
 同書のテキストとしては、本稿では中央公論社「世界の名著」の「中国の科学」所収のものを利用させていただいた。

 ▲自然のリズムと寿命 ―上古天真論篇に見る人間の老い方と養生方法
 黄帝が、上古の時代には人間は100歳を越えるまで元気で生活していたと聞いているが、最近では50歳そこそこで老いるのは何故か?と岐伯に尋ねる。
 問題は、黄帝のいう「上古」とは一体何時頃のことか?である。黄帝自体が、人王初代の尭帝よりさらに以前に存在したとされる仮想の皇帝であり、その皇帝がいう上古とは、BC数千年の話である。従って、そのような理想の時代があった、という話と考えるのが妥当であろう。

 しかし黄帝のいう最近(=同書の書かれたBC200年ころ?)の人間の老い方を、現代と比較してみると面白いので、図表にして下図にあげる。

図表-1 中国古代における年齢別の身体状況
年齢 状況 年齢 状況

8歳

腎気が充実し、毛髪が長く、歯が生え代わる

7歳

腎気の働きが活発になり、歯が生え代わり、髪が長くなる

16歳

腎気旺盛、天癸が十分に生育して精気が充満し、ようやく漏らすに至る、女子と交わって子をなすことが可能になる。
腎気=精力

14歳

天癸が充満し、任脈、太衝脈の流通が増進し、月経の訪れも周期正しく、出産が可能になる。
癸は十干の最後、天の陰気、水気をいい、男性の精液、女性の経血を示す。

24歳

腎気は遍く体内に行き渡り、筋骨共に強く、たくましく、智歯が生えそろい、体格の成長は頂点に達する。

21歳

腎気が安定し体内に行き渡り、智歯が生えそろい、体格の成長は頂点に達する。

32歳

筋骨隆盛、肌肉には力溢れ、身体的には最盛期を迎える。

28歳

筋骨は充実して引き締まり、毛髪は最も豊かで、身体の最も成熟した時期を迎える。

40歳

腎気がようやく衰え始め、髪は抜け落ち、歯ももろくなる。

35歳

陽明経脈の機能がやや衰弱し、顔のやつれ、脱毛などが始まる。

48歳

陽気の働きが衰退し、顔面憔悴し、頭髪はごま塩になる。

42歳

三陽経脈の機能の衰えが目立ち、特に身体上部の面やつれ、白髪が進行する。

56歳

肝気衰え、筋肉動作の自由が奪われ、天癸は尽きて、精気が欠乏、腎臓は退化して、身体全体の疲弊が極に達する。

49歳

任脈はからになり、太衝脈の機能も衰弱し、天癸が枯渇して月経が停止する。身体に衰老を来たし、最早出産を期待することはできない。

64歳

歯も髪もすべて抜け落ちる。五臓は衰弱し、筋骨はもはや非力、天癸もここに尽きる。毛髪は白くなり、動作は不自由になる。

 

 
(出典)「黄帝内経素問」上古天真論篇から作成

 図表-1を見ると、普通の人々の成長と老い方は、2千数百年前と現代の人間とはそれほど大きく変っていないことが分かる。しかしそれよりさらに上古には「真人」、中古には「至人」、近古には「聖人」、その後には「賢人」という人が存在していて、彼らは修養と自然の気のリズムを利用した健康方法を作り出し、長寿を実現したと語られている。
 例えば道教では、不老不死の仙人を目指す神秘主義的な養生方法が作り出されていたし、不老不死を求める方法もいろいろ考えられていた

 黄帝は、古い時代にこれらの特別な養生方法を作り出した人々について簡単にふれる。
 上古、中古の時代には、真人(道教において奥義を窮めた人)、至人(道を修めた人)がいた。彼らは、天地と提携して陰陽の変化、規則をよく把握して、不老不死の養生方法を実現したといわれる。
 次に聖人が出て、天地間の和氣に満ちた環境に安住し、八風の理(八方から吹く風の特質)に順応して、百歳を超えることを可能にする生き方を実現したという。
 さらに、賢人と称される人々が出て、上古の真人に習い、天地、日月、星辰の運行等、自然界の法則に順応した養生方法により、寿命を延ばす方法を実現したともいう。

 ▲四季の陰陽変化と順応方法 ―四気調神大論篇
 春夏秋冬の四季は、それぞれ「発陳」(春:はっちん)、「蕃秀」(夏:ばんしゅう)、「容平」(秋:ようへい)、平蔵(冬:へいぞう)と呼ばれる。
 この四季に応じた養生方法が、図表-2のように示されている。
図表-2 四季の養生方法
季節 養生方法

就眠は遅らせてもよいが、朝は早めに起きて庭をゆっくり散歩するのが良い。頭髪の形をゆるめ、全体をゆったり自由にする。心中の意欲を起こし育てる。自由に成長を促進して抑制減殺してはならない。この道理にそむくと、夏になって寒病の変を招来する。

夜は夜更かししても良いが、朝は早く起き、炎天の日永をうまないよう努める。気持ちは愉快さを保ち、怒気を含まないようにする。人体の内の陽気を常に皮膚から外に放出するようにする。すべて外界志向させる。この成長の気を保養する道に背けば、心気に損傷をきたし、秋になり適応力がなくなり、冬に重病になる危険性がある。

この季節には皆早寝早起きをしなければならない。鶏さながらに日暮れれば眠り、明ければおきる。志気はつとめて平静を保ち、秋日の草木を枯死させる粛殺の気が、人体に及ぼす悪影響の緩和を企らねばならない。精神も引き締めて秋気と人体との融和を企らねばならない。このようにして冬季に備え肺気を正常に保ち、潜蔵の気に対する適応能力を充足させる必要がある。

この季節には、夜は必ず早く寝て、朝は遅くまで床にいて、日が昇ってから起きて寒気から身を守るように務める。寒気を避けて温暖を保ち、潜伏している陽気が逃げないように、汗をかいて皮膚が開かないようにする。これが冬季に対する適応法であり、蔵気を保養する道である。それに背くと春になって腎気が損傷し、萎厥病による手足の冷えや痺れに苦しむことになる。

(出典)「黄帝内経素問」四気調神大論篇から作成

 「黄帝内経素問」によれば、四季の陰陽の変化は万物の成長収蔵の根本である。そのため聖人は春夏の候に陽気を保養し、秋冬の候には陰気を保養してこの根本原則に身をゆだねた。もしこの根本原則に背違すれば、生命の根本が切断され、真気損壊を招く。だから陰陽四時の変化は万物の終始であり、生長死亡の根元をなすという。

 ▲人体の陰陽 ―陰陽離合論篇
 黄帝は、人体では三陰三陽といい、一陰一陽ではなく数が合わないのは何故か? とたずねる。それに対して岐伯は、基本的には一陰一陽であり天が陽、地が陰であるが、万物が発生する時、地上にまだ頭を出さず陰中にとどまっているのを「陰中の陰」、また地面にわずかに頭を出した状態を「陰中の陽」といい、これを陰陽について考えて三陰三陽という、と答える。
 その三陰三陽の離合の状況について、次のように語られる。

 聖人は南面して立つとされている。この場合、陽光を受ける前面を「広明」と呼び「陽」、背面を「太衝」と呼び「陰」に属する。太衝部位は衝脈が伏流するところであり、前面はそれが浮上して少陰経と重なる。
 その少陰経と表裏をなすのが太陽経である。太陽経は下端を至陰穴(足小趾外側)に発し、上端は顔面部の命門、即ち晴明穴に帰結する。陰に属する太衝の最も外表部を走行することから、この経脈(足太陽膀胱経)のことを「陰中の陽」と称する。

 人体を上下に分けると、上半身が陽に属して「広明」、下半身が陰に属して「太陰」という。太陰の前面が「陽明」で、その経脈(足陽明胃経)は厲兌穴(れいだけつ:足大趾側次趾端)より発する。陽明は太陰の表にあることから「陰中の陽」と称する。さらに人体を表裏に分けると、「厥陰」(けついん)の表面を「少陽」、またその経脈(足少陽胆経)は竅陰穴(きょういんけつ:足小趾側次趾端)より発するもので、陰のきわまるところ一陽来復というところから「陰中の少陽」という。

 三陽の離合状況を分けて言うと、太陽は陽気が外に発する表面をつかさどるので「開」といい、陽明は陽気がこもる内をつかさどるので「闔」(こう:扉の意)という。
 少陽は陽気の出入のどちらも可能であるが、表裏の中間をつかさどるので「枢」(すう:扉の回転軸)という。 この3者は単独に機能するわけではなく、相互に緊密に連携しあっており、全体では一陽ということになる。

 では三陰の離合の状況を聞きたいと黄帝はいう。およそ外在するものは陽であり、内在するものは陰である。だから腹中は陰であるが、中でも衝脈、つまり少陰の上に有るものを「太陰」という。この太陰の経脈(足太陰脾経)は陰白穴(足太趾端)から発するもので、陰たる腹中の最も外表に近いことから「陰中の陰」、を「陰の絶陰」という。
 三陰の離合状況を見ると、太陰は陰気の発する表をつかさどるので「開」といい、厥陰は陰気のひそむ内奥をつかさどるので「闔」といい、少陰は陰気の出入可能な中間をつかさどるので「枢」という。全体に緊密に連携を取っているので一陰となる。

 陰陽の気は人体全身を一刻も止むことなく還流しており、陰気は内に開闔し、陽気は形表より出入して陰陽の離合がなり、不断の生命活動が維持される。

 ▲人体機能の陰陽 -四経と十二従
 次に四経、つまり春夏秋冬の四季に対応した四臓(肝、心、肺、腎)の正常な脈象と、十二従、つまり1年12ヶ月に対応した十二経手足三陰三陽脈について語られる。脈は、最近の医師は取るのを見たことがないが、戦前の医師の診察はまず脈をとることから始まった。

 脈には陰陽がある。五臓(肝、心、脾、肺、腎)には陽の要素が含まれ、陽脈となって現れる。1年を
春、夏、長夏(土用、立秋前の18日)、秋、冬の5時にわけ、これに五臓が対応して、5×5=25の陽気があることになる。
 脈で陰というと、陽の要素を全く含まないことを意味し、「真臓脈」と称して五臓の属性である陰気そのものの表象である。それが現れると、必ず死に至るといわれる。また先の陽脈とは胃気(胃の中で化生された飲食物の精気)の陽和の脈象を指していて、この陽脈の状況を弁別すれば、病変の所在を知ることが出来る。また陰脈、即ち真臓の状況を弁別すれば死期も予知できるという。

 三陽の診察箇所は、頭部の「人迎」穴(のどぼとけの両側)にあり、三陰のそれは手首の「寸口」にあり、一般に健康状態では陰陽両者の脈証は一致する。陽脈の状況からは気候時令と疾病の関連の良否を知ることができ、陰脈である真臓を弁別すれば患者の死期を知ることができる。従って、臨床では慎重に陰脈の分別を行なう必要がある。
 脈搏の陰陽は、一般に引っ込むものが陰、押し出すものが陽、また、ひっそりしたものが陰、動くものが陽、また遅いのが陰、早いのが陽である。

 真臓脈の診察では、肝脈が弓弦のように強く切迫しているときは、18日後には死亡する。また心脈において胃気が同じようになれば9日後に死亡、肺気の場合は12日後、腎脈の場合は7日後、脾脈に場合は4日後に死亡する。

 「一陽」つまり少陽(三焦経、胆経)が発病すると、呼吸が浅くなり、咳や下痢が頻発する。進行すると狭心症の症状を呈したり、飲食物が入らなくなり、大小便が不通になる。
 「二陽」つまり陽明(胃経、大腸経)に病変があると、心臓、脾臓に悪影響を与え、往々にして陰部の病気にかかる。熱で津液が消竭し、肌肉が枯痩、呼吸が切迫して気息上噴して死に至る。
 「三陽」つまり太陽(小腸経、膀胱経)が発病すると、上部では悪寒や発熱、下部では腫瘍が発生し、下肢が萎えて冷え、ふくらはぎにたるみができる。この病気が進行すると、皮膚がかさかさになり、「頽疝」(陰部の病気)になる。

 「二陽一陰」つまり陽明と厥陰経(肝経、心胞絡経)が発病すると、驚きやすく、怯えやすくなる。背中が痛み、おくび・あくびを連発する。是を「風厥」とういう。
 「二陰一陽」つまり少陰と少陽が発病すると、腹部が張って胸が苦しくなり、しきりにため息をするようになる。
 「三陰三陽」つまり太陰(肺経、脾経)と太陽(小腸経、膀胱経)が発病すると、手足が萎えて自由が利かず、半身不随になる。

 脈搏の鼓動が一陽、つまりやや力あるものは「胸脈」、やや無力の者は「毛脈」という。また陽すぐれて力あるものは「弦脈」、陽至りて絶えるもの、つまり打ってはくるが途中で途切れる者は「石脈」といい、陰陽あいすぐるもの、つまり強からず弱からずという状態を「滑脈」という。

 さて陰陽の均衡が破れると五臓の陰気が抗争し、陽気が暴走すると発汗が止まらなくなる。すると陰気が脱去した肺臓に、他の四臓の陰気が逆上して喘息となる。つまり以上で述べてきたような五臓と陰陽の関係で、いろいろな病気が発病することになる。この場合、「死陰」に属する病は3日のうちに死に、「生陽」に属する病は4日以内に治るという。

 ▲地域に応じた病気とその治療法 ―異法方宣論篇
 病気の治療法は、種々多様であり、同じ病気でも地理形勢に応じて異なる。
気候温暖な東方では魚や塩分を多くとるので、血液を損耗する。地方病では、癕瘍の如き者が多く、砭石による切開治療が発達した。
 西方は山脈と砂漠で、獣肉獣乳を常食している。よく肥満して外界に対する抵抗力が強く、病気は内傷が多く、治療には薬物を用いる。そのため薬物療法は、西方で発達し伝来した。
 北方は高原地帯で寒風の中に居を定め、遊牧生活をしている。食物は牛羊の乳汁を主とする。そのため内臓に寒気を受け、往々脹満病にかかる。この病気には艾灸(がいきゅう)が効くため、北方では灸療法が発達した。
 南方では陽気が盛んで生長繁茂する地方で、人々は酸味のあるもの、発酵したものを好んで食べる。そのため病気は湿熱より発する筋脈痙攣性の者が多く、治療には針刺法が効果的である。そのため九針法が南方で発達し、伝来した。
 中央の地方は、地勢が平坦多湿で万物の母である物産はきわめて豊富であり、食物の種類もきわめて多い。生活も容易で過労に陥ることはあまりない。そのため病気としては痿弱、厥逆、寒熱などで、治療法は導引法とか按蹻法などのマッサージ療法が中央で発達し四布した。   

 ▲五臓・六腑の病気(=五病) ―宣明五気篇
 飲食物の五味は、五臓に入り帰着すると考える。酸味は肝臓、辛味は肺臓、苦味は心臓、鹹味は腎臓、甘味は脾臓に入り、「五入」という。

 五臓が病気になると、それぞれ特有の病症を生じる。たとえば心気を病むと曖気が出る。肺気を病むと咳嗽がでる。肝気を病むと多言になる、脾気を病むと呑酸、つまり胃酸過多になる。腎気を病むとあくび、くしゃみが頻発する。
 六腑では、胃気が病むと下降することなく逆上し、吃逆を起こし、また怖気をいだく。大腸、小腸が失調すると下痢を起こす。下焦が失調すると水利機能を果たさなくなり、溢水して水腫を起こす。膀胱が病むと、小便不利を起こし、また抑制できないで遺尿をみたりする。胆が病むと、憤怒しやすくなる。これが五臓六腑の病の「五病」である。

 五臓の精気が併合して疾病を起こすことがある。精気が心臓に集中すると、過度に喜悦するようになり、肺に集中すると過度に悲傷するようになり、肝に集中すると過度に憂慮するようになり、脾に集中すると過度に畏怖するようになり、腎に集中すると過度に驚恐するようになる。これが「五併」である。これは、ある臓が脱精して空虚になり、そこに他の臓気の精気が乗じて、集中することから起こる精気の病である。

 五臓がそれぞれ嫌悪するものがある。たとえば肺は寒気を嫌悪し、肝は風を嫌悪し、脾は湿を嫌悪し、腎は燥を嫌悪する。これが所謂「五悪」(ごお)である。
 五臓が出す液体がある。心液が汗液、肺液が鼻汁、肝液が涙液、脾液が涎液、腎液が唾液となり、「五液」という。

 五味は五臓のそれぞれに入るものであり、五臓の属性と走行の差異により、いろいろな禁忌が現れる。たとえば辛味は気におもむいて、これを消散させる性質をもつ。そのため辛味を多くとると気を損耗する。鹹味は血におもむく。鹹味を多くとるとのどが渇くので、血病時に鹹味を多食してはならない。苦味は骨におもむく。苦味を多くとると嘔吐をもよおすので、骨病のとき苦味を多食してはならない。甘味は筋肉におもむく。甘味を多くとると煩悶しやすくなる。従って、筋病のとき甘味を多く執ってはいけない。是が「五禁」である。

 五臓の病気の発生は、一定の部位と季節が関る。腎臓は陰臓であり骨をつかさどるので、腎陰の病は多く骨に発する。心臓は陽臓であり血をつかさどるので、心臓病は多く血に発する。脾臓は陰臓であり肉をつかさどるので、脾臓病は多く肉に発する。肝臓は陽臓であり春季に対応するので、肝臓病は冬に発病する。肺は陰臓であり秋季に対応するので、肺陰病は夏季に発病する。これが「五発」である。

 五臓が病に冒されたときの異変は、病邪が陽臓に入ると、陽熱旺盛になり、発狂する。逆に陰臓に入ると、陰寒旺盛になり、血行凝渋して痺症を招く。病邪が陽臓を犯すと気が逆上して下らず、癲疾(頭痛、めまい、など)を引き起こす。病邪が陰臓を犯すと栄気が不足して、瘖唖(いんあ:おし)を引き起こす。病邪が陽臓から陰臓に転移する場合は病状はおだやかであるが、陰臓から陽臓に転移する場合は病態は激化する。これが「五乱」である。

 五臓の凶邪の状態は脈に現れる。春季に秋脈である毛脈が現れる場合、夏季に冬脈である石脈が現れる場合、長夏に春脈の弦脈が現れる場合、秋季に夏脈の鉤脈が現れる場合、冬季に長夏脈の緩脈が現れる場合、これらはいずれも相剋関係にあるため不治となり、「五邪」といい死に至る。

 五臓は、みな精神的要素を包蔵している。心臓は神、肺臓は魄、肝臓は魂、脾臓は意、腎臓は志、であり、五臓の蔵するもの「五臓所蔵」という。五臓が所管する機能は、心臓が全身の血液、肺臓が全身の皮毛、肝臓が全身の筋膜、脾臓が全身の肌肉、腎臓が全身の骨隋を主宰管理している。これを「五主」という。

 五種の過労により障害を起こす部分がある。過度の目視が血を、過度の臥眠が気を、過度の椅座が肉を、過度の站立が骨を、過度の行歩が筋肉を損なう。これを「五労所傷」とういう。
 五臓の脈象は以下のようになる。肝脈は弦、心脈は鉤、脾脈は代、肺脈は毛、腎脈は石、これが五臓の平脈であり、「五臓の脈」という。






 
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