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日本人と死後世界
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  (3)儒教における死後世界

 日本の神道は、現世利益を中心につくられているため、死後世界は仏教のそれに比べると、非常に単純な形で考えられていることが分かる。そして、中国の儒教はさらに現世を中心につくられているように見える。

 「論語」には、弟子が孔子に死の祭礼について尋ねる話が出てくる。(先進第11)「子路が、孔子に鬼神に仕える方法について尋ねた。すると、孔子は、生きている人にもまだ十分仕えることができないのに、どうして鬼神に仕えることができようか、と答えた。
 さらに、子路が死についてたずねると、生きている人間のことが分からないで、死後の問題などわかるものか、といった。」

 儒教で「鬼神」とは、死者の魂のことをいう。この鬼という言葉は、論語で次の2か所にでてくる。
(1)子日く、その鬼に非ずして之を祭るは、諂いなり。(後略)(為政第二)
 孔子がいうには、祭るべき鬼でないものを祭るのは、これはほかに求める心のある諂い である。この場合の鬼は、祖先の霊魂のことであるが、一般的に神のことを鬼という場合もある。
 つまり、祭るべき祖先の霊魂を祭らず、いい加減な祭りを行うことは、諂いである、と孔子はいましめている。
(2)樊遅、知を問う。子日く、民の義を努め、鬼神を敬して之を遠ざくるは、知をいうべし。(後略)(雍也第六)
 樊遅が知者の態度を質問した。これに対して孔子は、人として行うべき道を努力して努め、鬼神に対しては崇敬の念をいたすが、これを汚す事の内容、近づきなれることをしない。これが知者の態度であると答えた。

 さらに、魯の大夫の孟懿子が、孔子に親孝行について聞いたときに、次のように答えている。
 親の存命中は、身分を越えない礼を以てこれに仕え、親がなくなった時は、礼を以て葬り、礼をもって年忌の祭りをいとなむ。かくのごとく、生けるにも死せるにも、身分を越えない礼をもってこたえるのが、孝道である、と孔子は説明する。

 孔子にとっての死者は、それを祭るという観点からのみ関心があることが分かる。
 儒教には、祖先崇拝の信仰があり、子孫は死んだ祖先に敬虔と愛を捧げることにより、死者からこの世での幸福を得る事ができ、死者は、子孫の規則的な奉仕により幽界での安寧を得ることができると信じられている。

 そのため、死者を生きているように思慕し、祭祀を行うことが子孫の義務とされている。祭祀されない人鬼は、生者に災いをなすと考えられた。人は死ぬと幽界へ行き、幽界での生活をしており、鬼神は人間に類似した形態と機能を持つと思われていた。
 しかしこれらの死者の世界が、どこにあるかは不明確である。津田左右吉の「上代支那人の宗教思想」(全集第28巻所収)によると、「幽都」という言葉があるものの、単なる地中世界、また陰陽思想から陰の方角として、北方の地といった程度の漠然としたもののようである。

 韓国では儒教の影響は非常に強いものの、他宗教の影響も多く、儒教のみで語ることはできないが、死後の世界は津田左右吉の言うように西ではなく、北の方角に設定されている。

 韓国では、死後世界のことを、チョスン(あの世)と呼び、日本と同じ「黄泉」(ファンチョン)という言葉も使われている。そして日本と同様に、人の死後、死者の上着を持って庭に立ち、あるいは屋根に上がって死者の氏名を大声で呼ぶ「魂呼ばい」の儀式も広く行われている。ただこの場合に、通常は、家の裏で北に向かって行う。

 この北の方角での死後世界の設定は、陰陽五行説において北を陰の極地とすることからきており、「あの世」は、北の空の彼方、山を越え、川を越えたはるかに遠い所にあると思われている。それは平地三千里、険路三千里を越え、さまざまな地獄を越え、さらに雁の羽も沈むといわれる弱水三千里の彼方にあるといわれる。

 「あの世」が、このように遠いので、葬送に当たっては、十分に旅装を調え、食料や旅費を持たせてやる習慣がある。(竹田旦「韓国における他界観について」-環中国海の民俗と文化3「祖先祭祇」凱風社、所収)






 
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