(3)ドル・オークションの一般化―国民すべてが損をするゲーム
フォン・ノイマンは、オスカー・モルゲンシュターンと共著で「ゲームの理論と経済行動」(1944)という大著を発表した。この著書は、その難解さから最も読まれない本といわれている。しかしその理由は、単に難解であるのみでなく、そこに取り上げられたゲームの非現実性が大きく関わっているように思われる。
現代社会におけるゲームでは、フォン・ノイマンが仮説としたような2人ゼロ和ゲームはむしろ非現実的な仮説と思われるのである。つまりゲーム参加者は、利益最大化を狙うよりは、共に損失を最小化するゲームの方がより現実的であったのである。
ではなぜ利益最大化を狙いにしないかというと、現代社会のゲームの最大のプレイヤーは通常、国家であり、そこでの国家目的は利益最大化よりは損失最小化を狙いにするのがむしろ一般的であることからきていると考えられる。
●核開発ゲーム
その最大のゲームは、第2次世界大戦以後の「東西冷戦」であった。このゲームのプレイヤーは、アメリカとソ連である。特に、核兵器の開発を軸にしたこのゲームには、天文学的資金が投入されて、両者の間でプレイの応酬が続いてきた。
核戦争が実際に発生した場合には、おそらく両国共に想像を超えたダメージを受けるであろう。そのため、ゲームの目的は、第一には相手方に核戦争を起こさせないようにすることであり、第二には、もし核戦争が起こった場合に自国の被害を最少にすることであった。
このゲームは、始めた以上、双方の被害額の合計は、無限大の壊滅的なものになる事が予想された。そのために、20世紀の後半、なんども核戦争の直前までいきつつも、かろうじて熱い戦争に突入しないまま推移してきた。
その結果、このゲームは、理論どおりにプレイヤーのどちらかが破産するまで続けられた。そして1992年にソ連が破産して、米ソの核開発ゲームは一応終了した。
しかしこのゲームの結果として、一方のアメリカも殆ど国家破産の状態になった。つまり、このゲームは2人ゼロ和ゲームではなく、双方ともに巨額の経済的損失を蒙るドル・オークションに極めて類似したゲームであった。
ではこのゲームにより誰が儲かったのか? ゲームの主催者は一体誰なのか?20世紀後半の核開発競争により、そのプレイを演じたアメリカ、ソ連の国民は共に莫大な損失を出した被害者である。核開発ゲームのプレイヤーの国民は、双方共に利益など全くなかった。
しかし損失の裏では誰かが利益をえているはずであり、それは核開発ゲームの主催者であったと思われる。アメリカの場合には、核開発ゲームの主催者である「産軍複合体」(軍事産業、軍組織そして大統領を含めての政治・官僚機構)であろう。 またソ連の場合にも基本的にはアメリカと同じ軍事・政治・官僚組織が利益をえていたと考えられる。
そして、ロシアではソ連邦崩壊後も、ソ連時代の利益集団は生き延びて、ソ連の産軍複合体は現在のロシア政権の基盤をなしていると見られている。
●外国為替のドル・オークション
核開発ゲームに比べると、更に複雑な国際的ゲームが我々の周りで進行している。それは外国為替のドル・オークションである。
上で説明したドル・オークションは、1ドル札をドル貨幣で購入するという現実的には考えにくいゲームであった。しかし1ドル札のオークションを、他国の通貨により入札するゲームを考えてみると、それは極めて現実的なゲームになる。
それは現実の外国為替市場そのものではないだろうか!
1971年8月15日、大統領ニクソンは、金・ドルの交換停止を発表した。この時をもってドルは金という物による価値尺度としての機能を失った。その時以降、ドルの貨幣価値は売り手と買い手が市場で勝手に決めるものになった。
つまり現実の「ドル・オークション」は、このときから始まったのである。
アメリカ経済は、毎年、巨額の財政赤字、貿易赤字を出している。そしてその赤字分は、日本や中国などのアジア諸国が、アメリカにドル資金を供給する形でつじつまを合わせている。そのおかげで、アメリカは膨大な累積赤字があるにも拘らず、国際通貨としてのドルの価値は、現在なおかなり高い水準を維持している。
日本は毎年、自国の財政が巨額の赤字を出しながらも、けなげにアメリカ国債を購入し、円売り・ドル買いをしてアメリカのドル暴落を必死に食い止めている。
そして最も主要な国際通貨として世界に君臨するドルは、いまではアメリカの居住者の保有量より、非居住者の保有量の方が多い状態になってきている。
そこでドルが暴落するとアメリカ人以外の人々までが大損害を蒙るために、ゲームの参加者は売り手も買い手も、共にドルが暴落しないように配慮し始めた。
つまり1ドル札を1ドル以上で売り買いするマイナスのドル・オークションは、現実に地球的規模で始まっていたのである。
例えば日本の政府は、いつ大暴落するか分からないドルやアメリカ国債をいまなおひたすらに買い続けている。そしてこのドル・オークションは、日本の手持ち資金がなくなるか、それともアメリカか日本が国家的に破産するまで続くであろう恐ろしいゲームに転化している。
●テロ・ゲーム −人類史上最悪の殺人ゲーム
核開発ゲーム、ドル・オークションなど,在来の国際政治・経済のゲームがどちらも破綻に瀕している段階で、更にその上に、世界の大国は、それらのゲームの清算をするどころか、新しく「国際テロ」との戦い=対テロ戦争というゲームに着手した。
2001年9月11日から始まったテロ・ゲームは、20世紀の「東西冷戦」とは、本質的に異なるゲームである。そこでは相手のプレイヤーの姿が全くはっきりしないのみならず、双方共に罪のない市民の連鎖的虐殺を拡大する史上最悪の殺人ゲームになった。
このテロ・ゲームを始めるに当たって、ブッシュ大統領は「これはテロではない。戦争だ!」といった。本来の「テロ」対策は、その規模の大小に関わらず、国内の治安維持を管轄する刑事警察の問題である。それは軍隊が行う「戦争」ではない。
その国内的な警察行為をブッシュ大統領が外国との戦争にすりかえたところからこのテロ・ゲームは始まった。
当初、ブッシュは相手のプレイヤーは、アラブの富豪の一族であるオサマ・ビンラディンであるといった。ところがビンラディンが、9.11事件の犯人とする明確な証拠もないままに、ビンラディンが食客になっているアフガニスタンのタリバン政権をテロ国家として軍事攻撃して、11月にはアフガン全土を制圧した。
ブッシュ政権は、アフガン戦争をテロに対する先制攻撃であるといっているが、それは国際法上の正当性を全く欠いたアメリカによる侵略戦争そのものである。
その戦争の結果、ビンラディンは逮捕もされず、9.11事件の真犯人としての証拠もないまま、ブッシュ政権は、2002年春には、更にイラクのサダム・フセインを攻撃して軍事的にイラク全土を制圧した。
9.11事件にフセイン政権は全くかかわりがない。それが明らかになると、アメリカはイラクが大量破壊兵器を保有している可能性を攻撃の根拠とした。ところがその後の査察において大量破壊兵器もでてこなかった。
困ったブッシュ政権は、イラク攻撃はイラクの民主化のためだと言い出した。つまりアメリカはイラクを民主化するために、イラク人を虐殺したわけである。そのため、それに抵抗するイラク人たちは自爆テロによりアメリカの兵士やアメリカに協力する外国人を含む一般市民の虐殺を始めた。ここからテロ・ゲームは深刻化した。
アメリカによるイラク戦争は、アメリカによるイラク侵略といわれても全く弁明の余地がないものである。更に、その後におけるアメリカ占領下のイラク人の虐殺や捕虜虐待事件を見ると、もはや、それは通常の戦争の範疇を超えて、アメリカによるイラク人に対する「国家テロ」といえる段階に入った。
その結果、アメリカは、9.11事件とは比較にならないほどの被害をアフガニスタンやイラク全土の罪もない市民にもたらした。そして、いまなおイラク全土において、毎日、夥しい殺戮が行われている。それはアメリカの戦争というより、アメリカという国家によるイラク人に対するテロ行為そのものである。
テロに対してテロで応酬する「テロ・ゲーム」はアメリカにとどまらず、ロシアでも、チェチェン紛争で代表されるテロ・ゲームとして進行している。
更に、その原点ともいえるテロ・ゲームは、イスラエル・パレスチナにおいて、殆ど泥沼化し、日常化した状態で続いている。
このテロ・ゲームの特徴は、国家利益の最大化でも国家損害の最小化でもなく、プレイヤーの双方が罪もない婦女子に対する無意味な殺戮を極大化するゲームに転化していることにある。
2001年9月11日に始まったテロ・ゲームは、アフガン戦争、イラク戦争を通じて惨劇の規模を拡大した。それらのテロ・ゲームでは、プレイヤーである国家権力とテロリストの双方が、共にゲームの賭け金を一般市民、特に罪のない婦女子の生命にしていることにその特徴がある。そしてその惨劇の規模は、日を追って拡大している。
2004年9月におこったロシアの小学校の人質占拠事件は、このテロ・ゲームの異常さと残酷さのいわば極致とのいえる惨状を白日の下にさらした。
カール・マルクスの言葉を借りれば、「今、地球中をテロリズムという幽霊が徘徊している」。そして、このテロリズムに対抗するため、「ふるい地球上のすべての強国は、この幽霊を退治しようと神聖な同盟を結んだ」。
そして今や、このテロリズムに対する強国の神聖同盟そのものが、「テロリスト」と同等、もしくはそれ以上に我々市民をテロによる殺戮の危険に巻き込んでいく危険なプレイヤーになりつつある。
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