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  (3)「近思禄」における人間形成の方法

●人間形成の基本 ―近思録における為学類と致知類 
 ▲爲学類 ―聖人になるための学習方法
 
近思録の第2巻には、聖人になるための学習方法の大要に関する言葉が集められている。朱子は第1巻(=上掲2章)で述べた宇宙論や人間論はかなり難しいため、初学者は第2巻から読みはじめることを勧めている。わが国における近思録の解説書では、第1巻を除外しているものさえあるほどである。
 それに比べると、第2巻は哲学的な論文が少なくなり、比喩的な話が多くて読みやすく、朱子学の学問的方法における特徴が記されている。その一例を次に挙げる。

<原文> 爲学15
伊川先生謂方道輔曰、聖人之道、坦如大路。學者病不得其門耳。得其門、無遠之不可到也。求入其門、不由於經乎。今之治經者、亦衆矣。然而買櫝還珠之蔽、人人皆是。經所以載道也。誦其言辭、解其訓詁、而不及道、乃無用之糟粕耳。覬足下由經以求道、勉之又勉。異日見卓爾有立於前。然後不知手之舞足之蹈、不加勉而不能自止矣。

<読み下し文>
伊川先生、方道輔に謂いて曰く、聖人の道は、坦(たいら)かなること大路の如し。學者は其の門を得ざるを病うるのみ。其の門を得ば、遠しとして到る可からざること無し。其の門に入らんことを求むれば、經に由らざらんや。今の經を治むる者、亦衆し。然れども櫝(はこ)を買いて珠(たま)を還(かえ)す蔽は、人人皆是れなり。經は道を載する所以なり。其の言辭を誦し、其の訓詁を解して、道に及ばざるは、乃ち無用の糟粕のみ。覬 (ねが)わくば、足下、經に由りて以て道を求め、之を勉め又勉めよ。異日卓爾として前に立つもの有るを見ん。然して後に手の舞い足の蹈むを知らず、勉を加えずして、自ら止むこと能わざらん、と。

<解釈文>
程伊川先生が方道輔に次のように言われた。聖人の道は平坦な大道のようなものである。ただ学ぼうとする者が、その門を見つけられないことが心配だ。その門さえ見つかれば、どのように遠くまでも到達できる。その門に入ろうとすれば、経書こそその入口なのである。今、経書を学ぶ者は多いが、表面だけにとらわれて、実質を見失っている者ばかりだ。経書は、「道」を内容とするものである。それなのに、文章を暗誦すること、字句を細かく解釈することにばかりこだわり、肝心の「道」をわすれてしまうのでは、折角の経書も無用の糟粕(カス)にすぎなくなる。(程伊川)
願わくは、足下は、どうか経によって道を求め、一層の努力をしてほしい。このように勉強すれば、他日、卓爾として己の眼前に立つ道を体得されるであろう。かくて心中に喜悦して手の舞い、足の踏むところを知らず、ことさら勉強をしなくても、自ずから道に進んでとめることが出来ないであろう。

 ▲君子の学問とは?

<原文> 爲学67
君子之學必日新。日新者日進也。不日新者必日退。未有不進而不退者。惟聖人之道無所進退。以其所造者極也。

<読み下し文>
君子の學は必ず日に新たなり。日に新たなる者は日に進むなり。日に新たならざる者は必ず日に退く。未だ進まずして退かざる者有らず。惟だ聖人の道のみ進退する所無し。其の造 (いた)る所の者極まれるを以てなり。

<解釈文>-―省略

 解釈文を必要としないほど分かりやすい、程伊川の言葉である。「大學」の「湯の盤の銘に曰く、苟に日に新に、日々に新に、又た日に新なり。康誥に曰く、新民を作す、詩に曰く、周は旧邦と雖も、その命は惟れ新なりと。是の故に君子はその極を用いざるところなし」を踏まえた文章である。(参照;「四書五経」の「大學」の項)
 君子は日々、その徳を新たにしようと努力し、常に心力を尽くしていることを語り、伊川はそれを為学の道として説いている。

 ▲格物窮理 ―宋学の方法論

 <原文> 致知9
凡一物上有一理。須是窮致其理。窮理亦多端。或讀書講明義理、或論古今人物別其是非、或應接事物而處其當。皆窮理也。或問、格物、須物物格之、還只格一物而萬理皆知。曰、怎得便會貫通。若只格一物便通衆理、雖顏子亦不敢如此道。須是今日格一件、明日又格一件。積習旣多、然後脱然自有貫通處。又曰、所務於窮理者、非道盡窮了天下萬物之理。又不道是窮得一理便到。只要積累多後自然見去。

<読み下し文>
凡そ一物の上には一理有り。須く是れ其の理を窮致すべし。理を窮むることも亦多端なり。或は書を讀みて義理を講明し、或は古今の人物を論じて其の是非を別ち、或は事物に應接して其の當に處す。皆理を窮むるなり。或人問う、物に格るは、須く物物に之に格るべきや、還 (また)は只一物に格りて萬理皆知るか、と。曰く、怎得(いかん)ぞ便ち貫通を會するをえん。若し只一物に格りて、便ち衆理に通ずるは、顏子と雖も、亦敢て此の如く道 [い]わず。須く是れ今日一件に格り、明日又一件に格るべし。積習すること旣に多く、然して後に脱然として自ら貫通の處有らん、と。又曰く、窮理に務むる所の者は、盡く天下萬物の理を窮め了るを道うに非ず。又、是れ一理を窮め得ば便ち到るを道うにあらず。只積累多くして後に自然に見去るを要す。

<解釈文>
1物には1理がある。従って、一般的な原理を知るためには、今日、1つの事物についての原理を追及し、明日はまた1つのことについて原理を極め、これを積み重ねていくべきである。原理を追求する方法もいろいろある。例えば、書物を読み義理を明らかにする方法もあるし、また古今の人物を評論して、その是非を考える方法もある。また事物に対応して、その当為を考える方法もある。それは皆原理を極めることである。
ある人が、物に格(いた)るということは、事物すべてについて原理を考えるのですか? それともただ1つの物について考えて萬理を皆知ることができるのですか?と。それについての答えは、ただ一つの物から一般的な原理を発見することは、顏(回?)をもってしても、このようにして道を説くことは難しいであろう。そのためあえてこのようにして道理を説かないで、今日1件、明日1件と事物の原理を考えるのがよい。
そのような学習を積み重ねると、脱然として自然に一般的な原理が分かってくるところがあるであろう、ということである。
又あるときの答えは、事物の原理を極めようというのは、盡く天下萬物の原理を窮め了らなかれば道がわからないということではなく、また一理を窮めればそれで道に到るということでもない。経験知を積み重ねる事により、いつかは自然に一般的な原理に貫通するようになり、超経験的自由に到達し、先験的な「理」を獲得することができる。これが「自得」・「自ら内感する」・「悟る」ということである。

 あえて解説を必要としないほどの分かりやすい文章である。しかし、この方法を実践することは、非常に難しいであろう。そのため王陽明はこの方法を実践することにより、朱子学の根本的な疑問にぶつかった。
 そしてそれが陽明学の登場に結びつくことになる。その意味でここの文章は、非常に重要な1節である。

 ▲格物窮理の方法

<原文> 致知12
問、觀物察己、還因見物反求諸身否。曰、不必如此說。物我一理、纔明彼卽曉此。此合内外之道也。又問、致知先求之四端、如何。曰、求之情性、固是切於身。然一草一木皆有理。須是察。又曰、自一身之中、至以萬物之理、但理會得而多相次、自然豁然而有覺處。

<読み下し文>
問う、物を觀て己を察するは、還って物を見るに因りて諸を身に反求するや否や、と。曰く、必ずしも此の如く説かず。物我は一理なり。纔かに彼に明らかなれば卽ち此を曉(さと)る。此れ内外を合するの道なり、と。又問う、知を致すに先ず之を四端に求むるは如何、と。曰く、之を情性に求むるは、固より是れ身に切なり。然れども一草一木皆理有り。須く是れ察すべし、と。又曰く、一身の中より、以て萬物の理に至るまで、但理會し得ること多くして相次げば、自然に豁然として覺る處有らん。

<解釈文>
ある人が質問した。「物をみて自分の心の理を明らかにするというのは、1身の中の理より万物の理に至るとは反対に、物の理を見ることにより、わが身に理を反求することでしょうか」。
これに対する程伊川の答えは「必ずしもそうではない。物も我もおのおの1理を備えてはいるが、この理は1原から出ているから、わが心の理を明らかにすれば、類推して物の理を極めることができるし、反対に、物の理に通じれば、類推して心の理をさとることができる。是が「内外を合する道」である」、というものであった。
またある人が質問した。「知を極めるということは、まず孟子のいわゆる4端―惻隠、羞悪、辞譲、是非―から始めてその理を窮めたらいかがでしょうか」。
程伊川の答えは「情性に致知を求めることは、もとより1身の上に大切なことである。けれども理は惰性の内にのみあるのではなく、1木1草にも皆理が内在している、故に、必ず物についても理を明察しなければならない」というものであった。

 参考 「一身の中より万物の理に至れば、ただ理会し得ること多く、相次して自然に豁然と覚る処あらん」(「遺書」17)
 「格物窮理は、是れ天下の理をことごとく窮めんことを要(もと)むるに非ず、ただ一事上において窮めつくさば、その他は類をもって推(お)すべし。(「遺書」15)
 「けだし万物各々一理を具(そな)うも、万物は同じく一原に出ず。これ推して、通ぜざる所故なり。」(朱喜「大學或問」2)」 ―万物の理は、「理一而分殊」であるから、類をもって推すことができる。

 格物窮理とは「理」を窮めることである。「大學」の言葉でいえば、「格物致知」である。この「格物」の2字をどう解するかをめぐり、古来、多くの異説があった。その数は72あるといわれるが、朱子はこの「格」を「いたる(至る)」と読み、物を「事」と呼んだ。
 物を事と読むのは、物の意味を「こと」にまで広げよ、という意味である。
 「大學」における「格物致知」、つまり「その意を誠にせんと欲する者は、先ずその知を致す、知を致すは、物に格(いた)るにあり」という大學の言葉は、事物の理を求極のところまで窮め至ろうということである。(島田虔次「朱子学と陽明学」岩波新書、101-102頁)

<原文> 致知14
問、如何是近思。曰、以類而推。

<読み下し文>
問う、如何か是れ近思、と。曰く、類を以て推すなり、と。

<解釈文>
ある人が尋ねた。「近思とは、どのような方法でやればよいのですか?」、程伊川が答えた「身近なこと、分かりやすいことから順に類推していくことです」。

●修養により聖人になれるか?(居敬と窮理) -近思録・存養類
 
宋学の最終目的は、「学んで聖人になること」である。本当に、学ぶことにより聖人になれるのか?というのは重大な疑問である。
 近思録における重要な部分を紹介しながら第3巻まで進んできた。第4巻が聖人になるための修養方法を述べた章である。近思録の理論的な部分は初めの方に集中しているので、この章までで近思録の理論の概容は分かるであろう。
<原文> 存養1
或問、聖可學乎。濂渓先生曰、可。有要乎。曰、有。請問焉。曰、一爲要。一者無欲也。無欲則靜虛動直。靜虛則明、明則通。動直則公、公則溥。明通公溥、庶矣乎。

<読み下し文>

或ひと問う、聖は學ぶ可きか、と。濂渓先生曰く、可なり、と。要有りや、と。曰く、有り、と。請う焉(これ)を問わん、と。曰く、一を要と爲す。一とは無欲なり。無欲ならば則ち靜なるとき虛にして動なるとき直なり。靜なるとき虛ならば則ち明らかなり、明らかなれば則ち通ず。動くとき直ならば則ち公にして、公ならば則ち溥(あまね)し。明通にして公溥ならば、庶からん、と。

<解釈文>
ある人が周濂渓先生に質問した。「聖人は、学んでなれるものですか?」、先生は「なれます」と答えた。ある人が、「要領がありますか?」と聞くと、先生の答えは次のものであった。「あります。「一」ということです。一とは無欲のことです。無欲であれば、静のときには虚、動の時には直です。静なるときに虚であれば、捉われることがないから道理を明察でき、直であれば偏ることがないから公正不偏であることができます。こうなれば殆ど聖人ということができます、と先生は答えた。

 朱子学において聖人になるための方法は2つある。その第1の方法は、「居敬」、第2の方法が「窮理」である。第2の方法については前節で説明したが、ここでは第1の方法について説明している。
 この方法の「居敬」の「敬」とは、主一、一とは無適、つまり心を集中専一の状態に保ち続けることである。それは心身を「収斂」して、「本然の性」をまもることであり、朱子はこの「敬」を「聖学の始めをなし終わりをなす故以のもの」といった。そして格物致知から治国平天下にいたるすべて、敬に裏づけられないものはないとしている。(島田虔次「朱子学と陽明学」岩波新書、101-102頁)

 「敬」についての程伊川の見解を、今ひとつあげてみる。

<原文> 存養25
伊川先生曰、入道莫如敬。未有能致知而不在敬者。今人主心不定、視心如寇賊而不可制。不是事累心、乃是心累事。當知天下無一物是合少得者。不可惡也

<読み下し文>
伊川先生曰く、道に入るには敬に如くは莫し。未だ能く知を致して敬に在らざる者有らず。今の人は心を主とし定めず、心を視ること寇賊の如くにして制す可からず。是れ事心を累さず、乃ち是れ心事を累すなり。當に天下に一物として是れ少 (か)き得合(うべ)き者無く、惡む可からざるを知るべし、と。

<解釈文>
程伊川先生がいわれた。道に入る(=理を明らかにする)には、敬から入るのが最も善い。よく知を窮める者は、その心が敬から離れない。今の人は心に主体性がなく、外に在る事物によって心を乱され、心を寇賊(=外敵)のように見做して、制しかねている。これは事が心を煩わすのではなく、心に主体性がないために、事にとらわれて事を累(わずらい)とするのである。天下に一物とてなくてよいもの、というべきものはない。心に主体性があれば、何者でも虚心に送り迎えができることを知るとよい。

●近思録の構成
 近思録14巻の構成は図表-1のようになる。このうちはじめの4巻から、重要と思われる論考を取り上げて、朱子学の考え方や方法の説明をしてきた。朱子学の理論的な部分は大体、初め4巻に現れており、これまでのところで、朱子学の理論と方法の概容は分かると考える。最後に、図表-1をあげて結びとする。
図表-1 近思録14巻の構成

表題

内容

1

道体類

宋学における宇宙と人間の根本原理

2

為学類

学問をする上での大要

3

致知類

宋学の方法論の根本である格物窮理の大要

4

存養類

宋学における修養法の大要

5

克己類

私欲を克服し、邪念を修める方法

6

家道類

「斉家」(家を斉える)方法

7

出処類

人の出処進退の原則

8

治体類

治国・平天下の根本義

9

治法類

天下を治めるための礼法・制度

10

政事類

政治に携わる場合の具体的心得

11

教学類

教育の道について。

12

警戒類

過ちを改め、人の陥り安い欠点

13

弁異端類

正統な学としての儒学の護持と異端学である仏教、老荘の排撃

14

観聖賢類

古代の聖賢論


●むすび ―理気2元論と窮理の方法
 
朱子学における宇宙の考え方は、まず天地が気によってみたされている。その天が、物に賦与したものが理であり、その理が性を規定するとする。つまり、天―気、物―理、理―性という関係になり、物―理は、天―気によって作られたものとされている。
 この2元論は、私にとっては、どうしてもしっくりこない第1の問題であった。

 朱子学は宗教ではないから、神は存在しない。しかし天―気から、物―理が創造されたとすれば、この「物―理」からはなれた「天―気」とは一体なにであろうか?ということになる。儒教に神はいないとすれば、この2元論の大本になるものは、一体、何なのか? というのが根本的な私の疑問である。
 これはすべて自然=「物の所行」であるとすれば、それは唯物論で一元化されるし、すべて「人間の心」の所行であるとすれば、唯心論で一元化される。

 朱子学が、西洋のルネッサンスのような状況で出現していたら、おそらく両側の一元論がその後に出現して、思想的には非常に面白いことになったと思われる。ところが残念なことには、元、清代にかけて、朱子学は官学の体制に組み込まれてしまった。そして官吏の登用試験である科挙の答案は、朱子の集注の見解によらなければ点が取れないという状況になり、朱子学は絶対的な権威をもって形式化していった。これが朱子学にとっては、不幸なことであった。

 第2の問題は、朱子学の方法論に関するものである。これも大學が「四書」に組みこまれることにより、三条目、八綱領もその順序が形式化され、絶対化していった。少なくとも学問であれば、いろいろな方法論があり、それらが提起され、検討されて発展していくものである。しかしそこでも官学としての形式化が行なわれた。
 たとえば、格物窮理の方法により物の理の追求が出来るのか?という問題も、そのようにしなければならない、という形で形式化されていった。

 これらの問題点を踏まえて、陽明学のようなアンチテーゼが登場してくるのは当然のことであった。




 
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