アラキ ラボ
題名のないページ
Home > 題名のないページ1  <<  11  12  13  >> 
  前ページ次ページ
  (3)変貌する孔孟思想 ―複雑化する「仁」の概念

 朱子の哲学体系は、共に緻密な論理構成で整備されている「大学」と「中庸」を前後に置き、その間に孔孟の聖典を挟んだ「四書」としてまとめられた。
 そしてその哲学的論理体系をさらに理論的に強固なものとするために、朱子自身が「四書」に詳細な注釈をつけて、その体系的強化をはかった。いわゆる「四書集注」である。それにより初期の孔孟思想は、大きくその様相を変えざるをえなくなった。その一例を、孔子が最も重要な思想と考えた「仁」の概念について見てみよう。

●「仁」は、「愛」から「理」=誠?に代わった!
 もともと天人相関思想は孔子や孟子の時代にも存在していたが、孔孟思想の内容は圧倒的に人間学にウエイトがあった。しかし老荘思想や仏教と理論的に対抗するためには、それではあまりにも弱いというのが、朱子学以降の新しい儒学の考え方である。その最大なものが、天人相関思想から見た場合の、儒学理論の甘さにあった。それを「仁」の概念について見てみよう。

 前回の「孔孟思想」の中で、孔子における「仁」は、「大まかに言えば自分と他人を同じ人格として認めた上で、自己を犠牲にしても他人のために尽くそうという愛の心とでもいうべき概念である」と書いた。
 ところがこの「仁」の解釈では、あまりにも人間学にウエイトを置いた一面的な見方になる。

 たとえば孟子自身が、「尽心章句上」の中で、「心を尽くすものは、その性を知るべし。その性を知れば、即ち天をしるべし、その心を存し、その性を養うは、天につかうる所以なり」といっている。
 この観点から朱子は、「論孟集注」で「仁」という概念を、「愛」という天理(天の道理)と人間の心の発露(徳)の2面から見る必要を指摘した。

 たとえば論語の学而篇において、孔子は「君子は本(もと)を務む、本立ちて道生(な)る、孝悌は、それ仁をなすの本なるか」(訳文:立派な人間は、根本を大切にする。根本が固まると道は自然に出来る。孝行で従順だといわれること、これが仁の徳を完成する根本といえよう)といっている。
 朱子は、この孔子の言葉から「仁とは愛の理、心の徳なり」という重要な解釈を導き出した。つまり「仁」とは愛の原理=根本法則であり、それが人間の心の徳となり、「情」となって現れてくるわけである。

 天理は人間の心にやどって性(心の徳)となるが、現実の人間における天理の働きは人欲(私欲)により、必ずしもそのまま実現されるとは限らない。そのため儒学では、「天理を存し、人欲を去る」ことを実践課題とする。そこで仁の解釈においては、仁を「心の徳」として、私欲を除去すれば仁の徳が発揮されると考える。
(佐野公治「四書学史の研究」創文社、89頁)

 つまり朱子は、「仁」を天=「愛の理」と、人=「こころの徳」の2要素から説明しようとした。しかし「理」という概念は、もともと孔子、孟子にはない。恐らくそれは仏教にヒントを得たものであろう。
 さらに、朱子学の基礎にある程伊川の説は、仁義礼智信の「五常」のうちの「仁」は、「偏言」すれば一事であるが、「専言」すれば他の4者を包括する概念と考えた(「易伝」乾卦註)。また朱子はこの説を継承して、信を除く仁義礼智の「四徳」も、仁が包摂すると考えた。このことにより儒学における「仁」の概念は、非常に複雑で難解なものになった。科挙の試験では、難解なほど成績に格差を付けやすくなるが、「仁」を実践することは逆に非常に難しくなったといえる。つまり朱子学の理論は、現実から遊離しやすいものになった。

●むすび ―国に道なきとき、君子はどうする?
 中庸の第15章(朱子章句27章)は、「大なるかな、聖人の道」という偉大な聖人の道を讃える言葉で始まる。この聖人を目指して身を修め、徳を積んだ有徳人が「君子」である。この君子は何時の時代にも存在するものの、その時代がそれらの「君子」を必ずしも歓迎するとは限らない。つまり君子は、道を守りそこから離れないように努力したとしも、国に道がなかったらどうするか? という面白い難題が、この章に書かれている。

<原文>
國有道,其言足以興,國無道,其默足以容。《詩》曰:“既明且哲,以保其身。”其此之謂與!

<読み下し文>
國に道あれば,其の言以て興こすに足り,國に道無ければ,其の默以て容らるるに足る。《詩》に曰く:“既に明にして且つ哲,以て其身を保つ。”と。其れ此れを謂うか。

<解釈文>
国の政治がまともであれば、君子は立派な発言ができて高い位置につくことができるが、国の政治がみだれているときは、君子は深い沈黙が許されており、それで災いを免れる。「詩経」に「道に明らかでいて思慮深い人が、それでわが身を保全する」と歌われているのは、それを指したものである。

 現代に近いところでは、文化大革命の時、アメリカでネオコンが政治を支配したとき、君子には「深い沈黙が許される」と中庸は書いているわけである。この短い文章の中に、2千数百年の中国思想の智恵と思いが込められている。非常に面白い!






 
Home > 題名のないページ1  <<  11  12  13  >> 
  前ページ次ページ