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(2)小泉改革 ―特殊法人・道路公団の改革

●特殊法人・道路公団の改革 ―橋本改革の残したもの
 2005年度に財投機関債を発行した特殊法人のトップは、住宅金融公庫2.7兆円であった。そして第2位が道路公団(=日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、本四連絡橋公団―この4公団を合わせて、ここでは「道路公団」という)であり、この年に6,200億円の財投機関債を発行している。

 03年以来、道路公団は毎年、6千億円程度の財投機関債を発行している。03-05年度の累計は、既に約2兆円近くになる。2004年末の4公団の負債総額は、約40兆円であったことを考えると、道路公団は、立派に「第2の国鉄」化するおそれがある特殊法人である。そのため道路公団は注意深い監視が必要な特殊法人の筆頭にあげられている

 1952年に有料道路制度が創設され、55年度までの3年間に84億円という巨額な費用が投じられ、14の有料道路が作られた。この新しい道路建設のニーズに対応するため、56年4月に設立されたのが日本道路公団である。

 続いて59年4月に首都高速道路公団が設立され、62年5月に阪神高速道路公団が発足、さらに70年5月に本四連絡橋公団が発足した。この4公団をここでは「道路公団」と呼び、以下、そのうちの日本道路公団を中心に、問題の概要を述べる。

 日本道路公団は、設立当初からその資金は国家資金のほかに道路債券の発行による民間資金、世界銀行からの借款など、多様な資金を借り入れることにより、有料道路の建設、運営を行なってきた。資本金は、1963年4月現在で250億円という巨額な特殊法人であった。しかしこの段階では受益者が納めた料金より借入金を返済し、返済が終われば利用料を無料にする「償還主義」をとっていた。

 1957年の高速自動車国道法の制定とともに、一般有料道路に加えて名神(57年)、中央(62年)、東名(62年)をはじめとする、各地の高速道路の建設、管理を担当してきた。これらの高速道路の採算は、初期の幹線道路のうちは黒字であったが、地方に拡大すると当然、赤字路線が多くなっていった。

 そのため償還が終わった道路を無料にする「償還主義」から、72年以降、赤字、黒字をごっちゃにした「料金プール制」に転換した。これにより採算を無視した道路を永久に作り続ける仕組みが出来上がった。これについて建設大臣の諮問機関である道路審議会の有料道路部会は、95年9月の中間報告において有料道路を30年で償還し、無料化する原則をやめ、永久に通行料金を取るべきとする答申を出した

 さらに、建設大臣が87年に高速道路に一般国道の自動車専用道路を加えた高規格道路を、「21世紀の初頭」までに1万4千キロにする計画を決定し、それがそのまま橋本内閣の第4次全国総合建設計画に織り込まれた。

 そのため、このままでいくと経理上の欠陥を内包したまま道路公団は、果てしなく無駄な道路を作り続けることになる。これらの橋本改革が残した問題点が、小泉改革の前提条件として引き継がれた

●小泉内閣による道路公団改革
 その成立の当初から人気がでない森喜朗内閣の後を受けて、小泉純一郎の内閣が成立したのは2001年4月26日のことであった。小泉内閣は、その年の12月19日に特殊法人等整理合理化計画を閣議決定した。

 特殊法人の中でも、特に問題の多い道路公団を改革するために、02年6月24日に道路関係4公団民営化推進委員会(以後、委員会という)が内閣府に設置された。

 小泉首相により任命された委員は、図表-2の7人である。

図表-2 道路公団民営化推進委員
名前 職業 委員会での職責と動静
今井敬 新日鉄社長、経団連副会長 委員長、途中委員長辞任(02.12.6)・以後欠席
中村英夫 武蔵工業大学教授、学長(2004) 途中(02.12.6?)から欠席
松田昌士 JR東日本社長 途中(03.12.22)辞任
田中一昭 拓殖大学政経学部教授 委員長代理、途中(03.12.22)辞任
大宅映子 ジャーナリスト  
猪瀬直樹 作家  
川本裕子 金融審議会メンバー、マッキンゼーシニア・エクスパート 途中(03.12.22?)から欠席


 この委員会は、内閣府設置法・第4条に従って作られた特別法である、道路関係四公団民営化推進委員会設置法に基づく委員会であり、7人全員が小泉総理大臣により任命された。そのことは全員、総理に直接責任を負っており、同時に、総理大臣は委員会の議事の行方には直接的に責任があると考えられる。

 この委員会は、特別法に基づく重要な委員会であるから、施行令までできている。その道路関係四公団民営化推進委員会設置法施行令(平成14年政令第211号)の第1条(議事)を、参考までに次にあげる。 

(議事)
第一条 道路関係四公団民営化推進委員会(以下「委員会」という。)は、委員の過半数が出席しなければ、会議を開き、議決することができない。
2 委員会の議事は、委員で会議に出席したものの過半数で決し、可否同数のときは、委員長の決するところによる。

 ところが図表-1からわかるように、7人の委員のうち5人が途中で4分5裂して委員会に出なくなり、最後に残ったのはわずかに2人という悲惨な末路をたどった一体、どうしてこのような結果になったのであろうか?

 この委員会の第1回会合が開かれたのは、02年6月24日のことである。大体、この種の委員会には内閣府・国交省・道路公団側の委員と、改革側の委員、そして中立的な委員が適当に配置されているのが普通である。

 そして内閣府・国交省の事務局員が各委員に「ご進講」を申し上げて、事務局にとって都合のいい結論に誘導することになる。それにも拘らずこのように4分5裂したことは、本来ならばそれだけでも大失態である。幸い、この委員会に所属した委員が、詳細な個人記録を書物にして残しているので御覧になると良い。

 田中一昭「偽りの民営化 道路公団改革」ワック、2004
 猪瀬直樹「道路の権力」、文春文庫、2006

 ▲第1回の山場 ―中間整理のとりまとめ
 この委員会には、大きな山場が4回あったようである。その第1回は、02年8月における委員会における中間整理の取りまとめのときであった。(桜井よし子「改革の虚像」新潮文庫、93頁) 8月の第1回委員会が8月6,7日に行なわれ、新会社の企業組織としては上下一体を前提にして、道路の永久有料制を前提にする事が話し合われ、川本委員に4公団の財務状況と民営化した場合の見通しの分析が依頼された。

 そして8月の第2回目の集中審議は、8月22,23日に予定されていた。その間の8月19日に自民党道路調査会が民営化の「5原則」を発表している。しかもそこには民営化委員会とは明確に反対の意思表示がなされていた。その5原則は、次のようなものである。(桜井「前掲書」100頁)

(1) 高速道路ネットワークは、必要不可欠
(2) 全国プール制を最大限活用して高速道路の建設を続ける。
(3) 最終的には無料開放とする。
(4) 償還期限は、50年以内とする。
(5) 高速道路の企画、整備、管理は民間会社ではなく、国の責任

 8月22日、第2回集中審議が始まった。ここで委員会が川本委員に委嘱していた、4公団全体の財務状況の分析と民営化した場合の見通しが発表された。その内容は、固定資産税を払わず、新規建設を全くやめても、10年以内の民営化は非常に難しいという衝撃的なものであった。特に、民営化発足の始まりの段階で、日本道路公団3.4兆円を含む8.1兆円の国費の注入が必要であるという試算結果は、日本道路公団の経営は黒字であることを信じていた一部委員に大きな衝撃を与えた。

 委員会は、初期段階において委員の間に経営の現状認識が大きく食い違っていた。民営化を考える場合には、初期段階の負債の取り扱いがその後の企業の存亡をきめるとする川本委員の説明は至極妥当なものである。だからこの段階において、川本試算の徹底した検証を行なうことにより、委員会の仕事を始めるべきであった。

 しかし、なぜか今井委員長、猪瀬委員は、この重要な川本試算の検証と正攻法の議論を回避した。そこに突然、組織を上下に分離する中村案が登場してきた。つまり、委員たちの間に公団経営に対する現状分析や認識がまだ不十分な状態で、一挙に結論の作成に突入した。ここに民営化委員会が失敗に終わった最大の原因が存在している。まだこの頃は、委員会が始まったばかりの段階であり、問題を検討する時間は十分にあった。

 第1-2回集中審議の間に、委員長などに対して政府ないし自民党側からの働きかけがあったことが疑われている。このようなことは、土光臨調などでは考えられないことであり、これも委員会失敗の大きな原因といえよう。

 8月23日、第2回集中審議の最終日、7人の委員全員による非公開のティータイムがもたれた。そこで国交省寄りの中村委員の上下分離案が、簡単に決まったといわれる。当然、その後に再開された本委員会においては中村案が決まり、その後、上下分離案に強烈に反対する田中委員も、なぜかこのときは賛成にまわった。

 これらの事を見ると、委員の今村、中村両氏が道路公団民営化の国交省側の立場に近いことは明らかであるとしても、自民党道路族から委員から外すことを要求され、改革派の第1人者と見られていた猪瀬委員までが、実は国交省側であったらしいこと、更には猪瀬委員を委員に任命した小泉首相も国交省側であった疑いが強いことが、この初期段階から垣間見えてくる。このような雰囲気の中で、まともな委員会を続けることは無理なことであろう。

 ▲第2の山場 ―委員会による意見書のとりまとめ
 第2の山場は、02年12月6日の意見書の取りまとめ段階でおこった。11月15日には、5人の委員の集約意見がまとまっていた。このとき反対派になったのは、委員長の今井氏と中村氏である。その場合の対立点は、5人の集約された意見は基本的に新しい道路建設を出来なくしていた点にある。これに対して、国交省事務局、今井、中村氏らは、債務を50年以内に返せばよいとすること、民営化以後も一定期間は集中して道路を作り、その後に債務返済にかかればよい、つまり債務は減らさずとも、増やさなければ良いとする意見書をまとめており、この2案が検討対象となった。

 8月27日、石原行革大臣の主催による朝食会の際、今井、石原両氏は自民党が道路建設資金を12-15兆円欲しいといっていること、小泉首相も残り2000キロの事業の半分に目途が付けばよいといっていたとして、明らかに委員会に対する誘導が行なわれていた。ところが意見書の段階で意見が2つに分かれたため、事務局の目論見は大きく狂った。そのあげくには、今井委員長は「上下分離案も機構からの建設資金の支出も、小泉首相の意向です」とまでいいだした。(桜井よし子「前掲書」164頁)

 委員長自身の個人的な意見は別にして、委員全員の意見をまとめて総理に進言するのが、委員長の最も重要な役割である。その意味で、この委員長は全く不的確な人選であった。その上、石原行革大臣は、このままでは今井委員長が窮地に追い込まれて辞任することをおそれ、松田氏に今井氏を助けて意見書をまとめて欲しいとたのんだ、という。

 そのため29日の委員会には怒号がとびかい、30日には委員長交替の動議が出されるという荒れた委員会になった。その上、石原行革大臣は血迷って、事務局は委員会と絶縁するとまでいいだした。(桜井よし子「前掲書」167、172頁)

 そのため今井委員長は辞任し、12月6日に松田案が委員会の審議結果の意見書として内閣総理大臣に提出された。この委員会の意見書は、その委員会の成立の趣旨からして最大限に尊重されるべきものであるのに、小泉首相は、12月17日に驚くべき閣議決定を行なった。その言葉を借りれば、「これまでの(民営化推進)委員会の成果をふまえつつ、審議経過や意見の内容を十分精査し、必要に応じて与党とも協議しながら、(途中省略)、改革の具体化に向けて、所要の検討、立案等をすすめる」という。これは内閣設置法に基づく内閣の重要な委員会としてつくられたことを、総理大臣自身が軽視した決定であり、全く耳を疑いたくなる話である。

 その意見書に対する具体策の策定にあたっては、さらにひどいことになった。小泉首相は、具体的な民営化法案の作成を、12月7日に国土交通省に丸投げしたのである。閣議において委員会の意見を軽視する決定をした上に、もともと民営化に消極的で委員会に顔も出さない扇千景国交大臣の配下にある、道路族の居城ともいうべき国土交通省に、民営化法案の作成を丸投げしたわけである。この時点で、道路公団の正当な民営化を期待する事は最早無理であった

 そのようなことになるくらいであれば、委員会において半年もかけて検討する必要はなかった。私は、これ以上、この委員会の顛末を書く気持ちになれないほどである。これくらい国民の利益=「国益」を無視した「改革」の道化芝居はない。つまるところ、総理大臣も行革相も国交相も民営化委員長も、道路族と同類であったことを見事に暴露したわけである

 委員の一員に道路族のメンバーが入るのは良い。しかし民営化委員会を設置し、答申を受ける立場の総理大臣や行革大臣や国交大臣が隠れ道路族?であったとしたら、これくらい、国民を愚弄した話はないであろう。

 ▲第3の山場 ―国交省による民営化3案
 第3の山場は、意見書提出の1年後、03年11月28日、国交省が民営化の3案を政府・与党協議会に示したときにきた。そのA,B,C三案は、図表-3のようなものである。 

図表-3 国交省による民営化3案
  A案 B案 C案
新会社の資産 10年を目途に道路資産を買い取り(私有化) 新会社は道路資産を買い取らず、債務完済まで、機構が道路資産を保有 新会社は道路資産を買い取らず、債務完済まで機構が道路資産を保有
機構 会社の資産買取時点で解散(10年を目途) 機構は、完済時点で解散 機構は、債務完済時点で解散
債務完済後の措置 債務完済後も新会社は永続的に道路資産を保有し、有料道路として事業を経営(完済するかどうかは会社の判断 債務完済時に、機構解散に伴い、道路資産等は、国等に移管され、無料解放 債務完済時点で機構解散に伴い、道路資産は国等に移管され、無料解放
債務の返済 債務は資産買取まで(10年間)は、40年間元利均等返済の考え方で返済。資産買取後の債務の取り扱いは会社の自主判断 債務は完済まで残高を適切に管理、50年以内(極力短縮)に全債務を返済 債務は、完済までの残高を適正に管理、50年以内(極力圧縮)に全債務を返済
政府保証 政府保証は、会社による資産買取まで(10年間を目途)とし、その後は借換え等を含め、政府保証なし 政府保証は債務完済まで借り換え等に関し継続 政府保証は、借り換え等に関し継続
固定資産税 過去の辞令等を勘案し、減免措置 固定資産税は非課税を目指したスキームを実現 固定資産税は、非課税を目指したスキームを実現
会社が建設する区間 会社が建設する区間は、すべて会社の経営判断 会社が建設する区間について、会社の自主判断を尊重しつつ、公団からの事業引継ぎ範囲として画定 会社が建設する区間については、会社の自主判断を尊重しつつ、公団からの事業引継ぎ範囲として確定
資金調達 自己調達、個別路線採算制方式 一種のPFI方式(BTO型)(新会社自らの借入金により建設し、機構を通じて返済を行なう) 機構負担方式、機構が建設資金を直接負担する方式
特徴 資金調達能力や採算制問題があり、新規建設は非常に困難 会社が資金を自己調達し、必要な道路を建設する事が可能。新規の建設に当たっては、新会社の自主性を尊重 機構が料金収入(リース料収入)を会社に直接充当し、必要道路を券津する事が可能。機構が建設資金を直接負担することにより建設に歯止めがかからないとして、意見書は否定的
(出典)田中一昭「偽りの民営化」ワック、201-203頁から作表。

 印象的に言えば、A案は委員会の意見書をより厳しくしたものである。またB、C案は、委員会が否定したものであるが、C案は7人の委員が5対2に分かれて論じられた今井、中村案そのものであり、意見書が否定したものであることは「特徴」欄にも書かれている。そのことは、事務局案は3案あるものの、その本命はB案であることが誰にも分かるように作られていた。そして国交省がつくったB案は、7人の委員によるすべての案を否定したものであった

 B案は、高速道路の建設を優先するものであり、まさに道路族の面目躍如たるものがある。建設費は会社が調達し、債務は道路完成とともに機構に引渡される。その債務は、機構が会社から受け取るリース料により返済するものであり、実際には、既存道路から受け取る料金収入により、高速道路を建設するしくみである。それは03年12月の政府・与党案と基本的に同じものである

 小泉首相は再三、「委員会の意見を基本的に尊重する」と表明していたにも拘らず、国交省はそれを完全に無視した案を、政府与党協議会に提出したことになる。

 ▲第4の山場 ―政府与党協議会による民営化の枠組み決定
 03年12月22日、政府与党案が発表された。これが民営化論議の第4の山場になる。政府与党案の内容は、まさにB案であることが表明された。

 田中、松田、川本の3委員は記者会見を開き、田中、松田両氏は抗議の辞任、川本氏は、以後、委員会への出席を拒否して事実上の辞任をした。これによって民営化委員会の機能は、完全に停止した。この間、猪瀬委員がフィクサーとして、大活躍したことが、桜井よし子氏の前掲書には詳述されている。






 
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