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(3)日本のIT革命とNTT

●電電公社の民営化による出発 ―80年代のNTT
 日本のIT(情報技術)革命を語る場合、どうしてもNTT(日本電信電話株式会社)によるITへの取り組みから話を始める必要がある。このNTTの歴史は、1985年4月1日に、電電公社(日本電信電話公社)が民営化されて、日本電信電話株式会社(NTT)として出発したところから始まる。

 1980年代の前半期、日本政府の国債残高が急増して100兆円の大台を超え、国家財政は既に破綻状態になっていた。そこで80年7月に発足した鈴木善幸内閣は、84年度に赤字国債からの脱却を目指すことを公約としてかかげて、行政改革に取組んだ。

 そこで行政管理庁長官に中曽根康弘氏が就任し、土光敏夫氏を会長とした臨時行政調査会が発足した。この土光臨調の第4部会が、国鉄、電電公社、専売公社などの民営化を担当する組織となった。

 国鉄は、この段階において、81年度の累積債務が16.4兆円に達して既に破綻状態にあり、その改革は最早まったなしの状態にあった。
 しかし、電電公社は、この頃、まだ黒字の独占企業であり、経営状況は国鉄とは全く違っていたが、次のような改革案が出された。

  1. 電電公社を5年以内に中央会社と地方会社に再編成し、当面は政府が100%の株を持つ特殊会社とする。再編成は特殊会社が地方会社を分離・独立させ、自らは中央会社となることにより行なう。中央会社は地方会社の株式を逐次公開し、速やかに地方会社の独立を図る。中央会社の株式は市場の状況を勘案し逐次公開し、民営化する。
  2. 基幹回線分野での競争を有効なものとするため、この分野での新規参入を一定の条件下で認める。
 

この土光臨調の改革に沿って、85年4月1日に電電公社は民営化されて日本電信電話株式会社となり、新しい歩みを始めた。その前月、電電公社は「INS通信網基本計画」を発表しており、デジタル化と民営化が、NTT経営の出発点となった。そのため85年は「INS元年」と呼ばれた。

 NTTは、既に84年9月から、在来のアナログ電話通信網に対して、新しくコンピュータとの接続サービスが可能なデジタル情報網によるINS(Information Network System:高度情報通信システム)の実験を、武蔵野、三鷹両市にまたがるエリアで始めていた。

 そして84年11月には、キャプテン (文字図形情報ネットワーク)システム)の実用的運用を開始していた。

 民営化の目的の一つである企業競争の面では、86年に第2電電(KDDI)、日本テレコム、日本高速通信(現KDDI)の3社が、長距離系のNCC(New Common Career:新規参入会社)の専用サービスに参入しており、これらの会社の間で、値下げ競争が激化していた。

 この中で、NTTは、86年11月に、「電気通信設備の改良高度化方針」を発表した。これによると、NTTは加入者線交換機のデジタル化を図りながら、首都圏、中京圏、関西圏の市外系デジタル化を90年度末に、その他地域を2000年度末までに完了するとしていた。

 これにより20世紀中におけるINSの具体的な進行計画が明らかにされたといえる。

 1988年にはINSが完成してサービスが開始された。その基幹には光通信のFTTH(Fiber To The Home:家庭向け光ファイバー)が用いられた。そして88年末には、第3太平洋横断ケーブルが、光海底ケーブルで完成し、90年代には光通信の時代が来る事が予想されていた。 

●90年代のNTT ―マルチメディアに対する基礎固め
 NTTの90年代は、90年3月に誕生したVI&P(Visual Intelligent and Personal Communications Service:新高度情報通信サービス)構想の誕生から始まる。

 この考え方に沿って、93年3月に「高度情報時代に向けてのサービス開発並びにネットワークの構築について」という次世代ネットワークの構築計画が発表された。

 この計画のなかで、アクセス網の光化、デジタル通信網の構築、サービス・ソフトウェアの充実の重要性が指摘された。さらに「ネットワーク高度化推進本部」が持っていた機能を4つに分割し、営業本部、法人営業本部、研究開発本部とサービス生産本部の、4本部制をとる組織改革が行なわれた。

 このため93年が、NTTがマルチメディア時代におけるサービス事業の開拓へ向けて基盤をかためる、重要な年になった。
 94年1月12日には「マルチメディア時代にむけてのNTTの基本構想及び当面の具体的取組みについて」という、画期的な経営戦略が発表された。

 これまで活字、音声、映像といったメディアの違いは、そのまま出版、新聞、映画、テレビといった情報発信業界に対応しており、それぞれ独自の伝送システムを持っていた。

 これらの情報が統一的に処理できることは、メディアの壁を取り払い、情報発信、伝送システム、周辺機器の相互乗り入れを可能にするものといえる。これに対して、NTTが何を果たすべきかをまとめたのが、この戦略であった。

 84年に始めたINSは、本来、このようなサービス開始への意味合いを持っていた。これに対して、96年12月から「マルチメディアへの取り組み」で明らかにした、常時接続型低速系サービスとダイヤルアップ接続の2つのサービスを持つ「OCN(Open Computer Network) サービス」が正式にスタートした。

 このサービスの特徴は、全国規模のネットワークサービスでありながら、従来の電話系サービスの開発・導入工程を3分の1に短縮して、NTTとしてはじめて「ベストエフォート型通信」を採用したことにある。

 このため低料金で、地域格差を是正し、マルチメディア時代の情報基盤を整備することに成功した。

 ▲携帯電話とインターネットの普及
  NTTのマルチメディア構想を最も具体的に成功させたヒット商品が、「携帯電話」と「インターネット」であった。

 携帯電話事業は、91年8月にNTTドコモの前身である「NTT移動通信企画株式会社」を立ち上げ、全国を8ブロックに分け、それぞれに企画会社を設立したことに始まる。ここでは92年10月からPHS(Personal Handy System:簡易型携帯電話)事業に着手したが、市場競争の激化のなかで全面撤退を余儀なくされた。

 90年代の前半のPHSでは敗退をしたが、90年代後半の携帯電話にインターネット・サービスを組み込んだ「iモード」が大ヒット商品となった。これによりNTTは携帯電話の分野で大成功をおさめることになった。

 それは、97年8月、NTTドコモの社内に「モバイルコンピューティング推進本部」を新設して、非音声分野と携帯電話を結び付けた、新しいサービスの検討を行なったことから始まった。

 99年2月22日、携帯電話から直接インターネットに接続でき、eメールを送受信できる「iモード」サービスが開始された。このサービスは、金融機関の口座の残高照会から、振り込み、航空券、コンサートチケットの予約など、いろいろ便利なオンライン・サービスが付いている上に、一般のインターネット・メールの送受信ができるなど、便利なパソコン端末の機能を持っていた。そのため、2001年末には3000万台を突破し、2003年には3600万台に達する大ヒット商品となった。

●21世紀のNTT −ブロードバンドとニューメディア 
 NTTは、97年末にはデジタル化が完了し、99年には電話線を使ったADSLの試験的サービスが始まった。21世紀におけるブロードバンド時代への本格的開幕を前にして、NTTは99年7月1日に、分社化による機構の再編成を発表した。

 NTTは、84年以来、土光臨調の勧告を受けて分社化に取組んできていた。それらを含めて、21世紀初頭に最終的なNTTグループの全体像が出来上がったといえる。それが図表-2である。

図表-2 NTTグループの主要企業
会社名 創立年次 会社の性格 資本金 従業員数
日本電信電話株式会社(NTT) 99.7.1 特殊会社(持ち株会社) 7956億円 3500人
東日本電信電話株式会社(NTT東日本) 同上 特殊会社(地域会社) 3350億円 60100人
西日本電信電話株式会社(NTT西日本) 同上 特殊会社(地域会社) 3120億円 68000人
NTTコミュニケーションズ 同上 特殊会社(長距離・国際通信) 11000億円 6600人
NTTドコモ 92.7 携帯電話部門 150億円 1800人
NTTデータ 88.7 顧客向け情報サービス 100億円 6800人
NTTファシリティーズ 92.12.1 建物の企画、設計から維持保全まで。   当初、6800人
NTTコムウェア 97.4 ソフトウェア部門    
NTT-TE(テレコム・エンジニアリング)
後にME(マルチメディア・エンジニアリング)と変更。
88-89年 電柱の敷地管理、局社管理の受託業務、後にマルチメディア・サービス   1000人
(出典)宮津純一郎「NTT改革」NTT出版、から作表

 1999年12月、NTTはADSL(非対称デジタル加入者線)接続サービスを開始した。そして更に1年後の2000年12月からは、「地域IP(Internet Protocol)網」とADSLを組み合わせた完全定額制の「フレッツ・ADSL」を月額4,600円で本格的に提供するサービスを開始した

 2001年5月には、有線ブロードネットワークスが100Mbps(秒速・メガビット)の接続サービスを、6,100円で提供をはじめた。さらに6月19日には、ソフトバンクの孫社長が、ADSLサービスの「ヤフーBB」を発表した。そこでソフトバンクは8メガのADSLサービスを、従来の半額の3,000円程度で提供することを明言して、皆を驚かせた。






 
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