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(2)ドル本位制の崩壊 ―ドル不安に対するヨーロッパの試み

●ヨーロッパの通貨統合 ―欧州通貨制度(EMS)の創設
 ▲ウェルナー報告書の提言
 60年代にドル不安が発生して以来、世界経済は常にアメリカ経済に振り回されてきた。そしてその状況は、70年代の金ドルの交換停止により更に激しくなった。
 このことについてヨ−ロッパには、1971年の「ニクソン・ショック」の前から、アメリカの経済政策に危惧を感じ、ヨーロッパ経済をドル本位制から独立させようと考えた政治家がいた。

 それがルクセンブルグの首相ピエール・ウェルナーである。このウェルナーが1969年12月、ECに詳細な計画を提出し、それは71年3月に承認された。
 これがウェルナー報告書である。その報告書では、次の3段階でヨーロッパの通貨統合を行う提案をしている。
 (1) 協調政策の立案機関を創立する。
 (2) 為替レートの変更は合意により行う。
 (3) アメリカのFRB(連邦準備銀行)に似た共同体の中央銀行を設立する。

 ヨーロッパでは、経済統合と加盟国の協力関係を維持するために、為替レートを安定させる必要があった。ウェルナーは、この考え方に沿ってヨーロッパを中心にした国際通貨の安定への筋道を考えた。
 そのための手段は、アメリカから離れてヨーロッパを中心にした通貨制度を作ることであった。

 その第1ステップが、IMF(国際通貨基金)より狭い変動幅を持つことから「スネーク」という名称をつけられた国際通貨協定の創設であり、EC(欧州共同体)内に1972年3月に創設された。この協定に参加した国は、当時9カ国であった。
 この協定は、72年から73年の好況、73年から74年にかけてのオイルショックによるスタグフレーションなどの過程で起こった激しいドル投機のため、通貨統合への移行過程が中断された。

 ▲欧州通貨制度(EMS)の創設
 この事態を打開したのが、1979年の欧州通貨制度(EMS)の創設である。フランスのジスカール・デスタン大統領とドイツのシュミット首相の協力により、79年3月13日の欧州理事会(首脳会議)において、「通貨協力を強化して欧州に通貨安定地帯を構築する」ことを目指した計画が提出され、了承された。

 欧州通貨制度は単なる通貨協力ではなく、「長期的な安定成長、完全雇用の段階的回復、生活水準の調和化、共同体内での地域的格差の縮小」などを目指す、総合的な政治・経済戦略であった。
 欧州通貨制度の中核をなしたのは、従来の「スネーク(蛇)」に代わって、加盟国通貨の変動幅を従来より大きい上下2.25%に抑える仕組みであり、その中心はドルに代わって欧州通貨単位(ECU)がすえられた。
 つまりドルに代わるヨーロッパの機軸通貨がここに登場した。これが現在のユーロの原型となる。

 ▲欧州通貨単位(ECU)の創設 ―ユーロの原型
 欧州通貨単位(ECU)は、加盟国中央銀行総裁が構成する欧州通貨協力基金(EMCF)が発行し、加盟国の中銀は、金・ドル準備の20%を上記の基金に預託して、代りに通貨単位ECUを受け取る仕組みである。
 為替介入や中銀間の決済に使われるECUの価値は、当初はドルと等価であったが、世界的なフロート制の中でドルが下落したため、その価値が上昇した。(1995年4月4日現在、1EUC=1.3387ドル)。

 EMS体制下のECUは、ドルや円と違い、法貨でも準備通貨でもない。しかし加盟国通貨のバスケットとして相場が安定しているので、81年以降は銀行貸出、起債、公債発行などに利用されるようになった。
 このような20年にわたる試行をへて、1998年に単一通貨ユーロが設定され、2002年1月以降、EUでは統一通貨としてユーロ紙幣・貨幣が、正式に利用できるようになった。

●欧州連合(EU)の創設
 このような欧州通貨制度を現実に国家間で運用するためには、単なる通貨同盟を超えたヨーロッパの国家協同体ともいうべきものの実現が不可欠になる。それが1985年からECの委員長として取組んだドロールの課題であった。そしてその結果は、90年代に欧州連合EUとして見事に実現された。
 その過程は、88年4月に、「ドロール報告書」(欧州共同体の経済・通貨同盟に関する報告書)として委員会に提出されている。

 ▲マーストリヒト条約
 ドロール報告書に従い、85年から95年までEUが全力を挙げて進めた「市場統合」は予定通り終了し、93年始めには「EU単一市場」がスタートした。
 そして92年2月に、オランダでマーストリヒト条約として調印され、欧州連合EUの政治路線として、全加盟国により合意された。

 この条約により、80年代に作られたドロールの欧州連合の計画は、政治的な路線にのり、欧州連合にとっての90年代は、それが政治的に実現されていく10年になった。マーストリヒト条約により合意された日程計画は、次のようなものである。

 欧州通貨連合(EMU)の第1段階(1990-93)は、サッチャーが通貨主権の移譲に反対し、そのため欧州中銀設立宣言計画が流れたが、英国も90年10月に、英貨ポンドをERM(為替相場メカニズム)に参加させることを決定した。
 そのため90年には、予定通り、EU全加盟国がERMに参加して90年から93年にかけて行なわれた。
 1993年1月には、市場統合が完成し、11月にはマーストリヒト条約が発効して、第1段階は予定通り終了した。

 第2段階(1994-98)は、欧州中央銀行(ESCB)の準備機関としての、欧州通貨機関(EMI)の設立である。EMIは予定通り94年1月にフランクフルトに設置され、98年までに欧州中央銀行として発足する事が計画された。そして予定通りに98年5月には通貨統合の参加国が決定し、7月に欧州中央銀行制度が設立され、99年のスタートへ向って準備と実験が始まった。

 第3段階(1999-)。1999年は、「単一通貨ユーロの年」である。1999年に為替レートが「不可逆的に固定」され、欧州中央銀行(ECB)が共通通貨政策の実施を始める。最終的に単一の共同体通貨を発行して、通貨統合が完成する予定になっていた。
 ジャック・ドロール委員長は、マーストリヒト条約が発効し、欧州通貨連合の第一段階が終了した1994年7月をもって、ルクセンブルグ首相のサンテールに2期勤めたEU委員長の座を引き渡した。

 その後のEU計画は、予定通り99年1月に欧州通貨統合がスタートし、5月に統一通貨参加国が決定(11カ国)し、7月に欧州中央銀行制度が設立された。
 またマーストリヒト条約により、財政赤字をGDP(国内総生産)の3%以内に抑えた国が、共通通貨ユーロを導入する事により、単一通貨圏が形成された。
 そして2002年1月から、ユーロ紙幣・硬貨の流通も開始された。便乗値上げや現金自動支払機の停止といった混乱もなく、順調なスタートを切った。

●欧州単一通貨・ユーロの誕生と発展
 2002年1月1日、EU15カ国のうち12カ国において、共通通貨ユーロの紙幣と硬貨が通用し始めた。これにより欧州経済・通貨同盟EMUの最終局面が始まった。
 これらユーロの参加国の金融政策は、欧州中央銀行という1つの中央銀行により決定・実行されている。そして各国の中央銀行は、欧州中央銀行制度ESCBの一部として存在しているものの、金融政策は欧州中央銀行に移っている。

 米ドルは、ブレトン・ウッズ体制の崩壊後も、国際経済における機軸通貨として扱われてきた。これに対してユーロがドルに代わる通貨になりうるかどうかが、今後の課題である。2007年1月1日現在、ユーロはEU27カ国のうち13カ国において公式に採用されている。しかしEU加盟国でも、イギリス、デンマーク、スウェーデンなどではまだユーロが採用されていない。

 その一方で、旧東欧諸国の多くの国がユーロの採用を目指している。たとえば、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、リトアニア、ラトビア、エストニア、その他マルタ、キプロスがある。
 2007年秋、ユーロはドルに対して価値を上げてきている。通貨の価値が上がることは、貿易などで有利に働くとは限らないが、ドルは機軸通貨としては変動が激しいため、為替相場で大きな損失を蒙ることが考えられる。
 その上に、国際的なヘッジ・ファンドの餌食になるおそれもあり、ドルよりも安定性の高い通貨として、ユーロは21世紀の機軸通貨として確立する可能性は高くなってきている。






 
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