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日本人と死後世界
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  (2)現代民話の死後世界

 「現代民話考」として「民話の手帳」により1978年に集められた「あの世」の話が、松谷みよ子によりまとめられている。(「あの世へ行った話・死の話・生まれかわり」-現代民話考 5所収、「夢の知らせ・火の玉・ぬけ出した魂」同4所収、立風書店、1986)
 これは明治以降に発表された日本人の死、魂、死後世界に関する膨大なデータであり、心霊学や宗教とかかわりなく民話としてまとめられている。

 この中には、ニュー・サイエンスのさきがけとなったムーディ博士の「かいまみた死後の世界」や、立花隆「臨死体験」と非常に共通する体験談が数多く登場している。
 詳細は同書を読んでいただくことにして、ここではムーディ博士の臨死体験の死後世界に登場するデータとの、共通点と相違点を中心に紹介する。

 ムーディ博士の著書では、臨死体験により「死後世界?」をみてきた人々が、まず「言葉で表現できない」異質の世界を体験したとする。また担当医などによる、自分の「死の宣告」を聞くとか、死に当たって「心のやすらぎと静けさ」を感じたとする臨死体験者の話がまずでてくる。
 これと似た話は、現代民話考でも語られている。例えば、4次元世界を体験した話(中村国男 -滋賀県)、医者が自分の死亡を宣告する声を聞いた話(藤岡琢也 -場所不明)、飯豊の菊池松之丞という人が、傷寒で息をひきつめた時、なんともいわれぬ心地よくなった話(「遠野物語」山形県)などあるが、ここでは聴覚、視覚などにかかわる類似点をあげてみよう。

◆耳障りな音(心地よい音)が聞える

 医者が死亡を宣告する声のあと、耳障りな「ブーンブーン・ザーザー・ガーガー」という音が聞こえ始めた。(俳優 藤岡琢也の入院中の話)
 苦しみが消えて真っ暗な中、ひどい耳なりがした。(高橋敏弘 -東京都)
 風がひゅうひゅう吹いて、みんなの呼ぶ声がうるさく、ふりきるように行った。(多田ちとせ -長野県)
 崖の上でどこからともなく赤ん坊の泣き声が聞こえ、4人の裸の赤ん坊が足にしがみついていた。(女性セブン、昭和57年8月26日号)

 極楽記では、ムーディの場合とは逆に、良い音楽などの心地よい音が聞こえた例が多いが、現代民話考にもその例は多い。

 空は曇っていたが、行くてのあたりは白く明るく、音もかすかな音楽のような中を歩いて行った。(金沢タネ子 -千葉県)
 弁天さんのような天女?が、たくさん音楽を奏で、いらっしゃいいらっしゃいと呼んだ。(五十嵐秀男 -東京都)
 美しい蓮の生えている橋を渡りかけていると、美しい音楽が聞こえた。(田口満寿子 -鳥取県)
 野原の彼方にたくさんの寺があり、その寺からのゴーン、ゴーンとならす鐘の音がなんともいえぬ良い気持ちであった。(平松昇 -東京都)
 きれいでなんともいえない音楽がきこえた。(岡玄栄 -東京都)

◆暗いトンネルへ入る

 音のつぎに、暗い空間を引っ張られていく体験がムーディには多く報告されているが、現代民話考にもその例は多い。

 耳障りな音が聞こえ、同時に自分が長い暗いトンネルのような所を急速に移動していくのを感じる。そこから急に明るい所ヘファッと出る。部屋の天上あたりの所から自分の死骸をみている。(藤岡琢也 -場所不明)
 体が空に浮いたようになり、しばらくするとまあるく暗い中をくぐりぬけたら、きれいな花の咲いている所へ出た。(西福江 -福岡県)
 「あの世」へ行くべく、自動エスカレータのようなものに乗り、針の穴のような灯火目指して進んだ。(玉井義明 -兵庫県)
 苦しみが消えて真っ暗な中、ひどい耳なりがして、押し上げるように細いチューブの中を登っていった。(高橋義明 -東京都)
 いつしか暗い奈落の底に自分自身がずるずるーと吸い込まれていく。あ、駄目だ、だめだ、俺は死ぬ、と叫びたかった。(大沼惇 -山形県)
 ベッドの白いシーツの真ん中に、ぼっかり穴があいて、奈落の底に吸い込まれるようにどんどん吸い込まれていったら、暗い夜の河原に出た。(増田庸子 -東京都)
 始めに大きな気体のようなものが、丸い輪をえがきつつ遠くからだんだん静かに自分の方に進んでくる。そうしてそれが再び小さくなっていって、しまいに消える。すると綺麗な道が現れる。(俵田某 -岩手県)
 ほいて、どんどん下の穴へ、暗いとこ下ってさ、ほいたら広い野原へ出たって。(杉本キクエ -新潟県)
 4人の赤ん坊が泣き出し、私は崖から突き落とされた。不思議なことに高いところから下にスーと吸い込まれる感じで、特に怖さを感じなかった。(女性セブン、昭57.8.26 -東京都)
 谷間を下へ下へくだり、足が地についたと思った道を1町いくと、目の前に真っ黒な洞穴があった。そこへ入ろうとして気が付いた。(丸山先生 -新潟県)
 暗か道ばズーッと行きよったりばユーユ(大変)寒したまらん丁度トンネルのごたるところに行たと。(尾崎正治 -長崎県)
 真っ逆様に落ちていく空間は無限の暗黒の世界で、上があの世へ行く途中なのだということが分かる。(依岡慶樹 -東京都)
 暗い穴のようなところを歩いていた。風がひゅーひゅー吹いていた。(多田ちとせ -東京都)

◆物理的肉体から離れる

 自分の肉体から魂が抜け出し、自分の肉体を第3者として眺めるといった経験である。このケースは、現代民話考にもいくつも報告されている。

 個室のベッドに寝ている自分を、もう一つの自分が頭の先の斜め上から見下ろしており、その私は下の自分の額から出たくもの糸のような細い糸でつながっていた。(浜田晶子 -神奈川県)
 鴨居のあたりに浮かんで死んだ自分の姿を見ていたが、退屈して外へふわふわ飛んでいった。(回答者・松谷みよ子 -東京都)
 宇宙の奥へ引き込まれ、地球が遠のいていき、人工衛星などが浮いていた。(堀内由美子-福岡県)
 シャガールの絵のように、横になって赤黄緑の花園の上空を足も動かさずに飛んでいた。(伊東忠夫 -ビルマ)
 なんだか知らないけれど、ふあふあってどこかを飛んでいく感じ(井手そう -神奈川県)
 ファッと体が空に浮いたようになり、しばらくするとまあるい、くらあい中をくぐり抜けた。(西福江 -福岡県)

◆他の生命体と出会う

 ムーディは、死後の世界へ移行するある段階で、他の生命体に会った話を記録しており、民話考の中でも、いろいろな話が出てくる。あまりに多いので、整理して述べる。
●近親者や知人に会う
 堀内由美子 -佐賀県、菊池松之丞 -山形県、井出そう -神奈川県、小林ミネヨ -福島県、ほか多数。
●神様などに会う
 天女:福田三郎 -大阪府
 地蔵様:田中五郎 -新潟県、坂牧銀作 -新潟県、森義正 -大阪府
 お大師さま:森ひさ -兵庫県
 ショウヅカの婆さん:森谷周野 -新潟県
 エンマ様:神田弥生 -長野県、市原麟一郎 -高知県、木村純一 -宮城県、宇野まつ-群馬県、吉田加奈江 -東京都、中村種雄 -埼玉県、風間友一 -新潟県、太田憲治 -奈良県
 弁天さん:五十嵐英男 -群馬県
 七福神:奥村寛純 -大阪府
 キリストかお釈迦さま:波岡龍平 -埼玉県
 阿弥陀如来:秋谷節子 -千葉県
 大勢の金色の仏さん:梅谷繁樹 -京都府
 お釈迦さま :植松要作 -山形県
 白い不動さん:五十嵐福一 -新潟県
 3観音:本間芳男 -新潟県
 死神:俵岡慶樹 -静岡県、黒柳徹子 -場所不明
●妖怪、亡者など
 人間であるが人間でない者:田中五郎 -新潟県
 忍者のような黒い人:大島有加 -奈良県
 小さな子供達:斉藤里義 -島根県、吉川寿洋 -和歌山県、遠野物語 -岩手県
 老若男女、知らない夫人:堀内由美子 -福岡県
 白い着物を着た人:岩崎としえ -宮城県、富永由紀子 -長崎県、山本久 -埼玉県、 菊池隆子 -北海道、高橋宏幸 -場所不明、沢村政子 -宮城県、 橋本武 -福島県、和田英子 -愛知県、伊東万理子 -東京都、 清水達也 -静岡県、坂下宗弘 -和歌山県
 おっかねい顔した船頭:前田治郎助 -千葉県
 上半身の人影:地引知代 -東京都
 きれいな女の人:下平美奈子 -長野県、原和美 -神奈川県、多田ちとせ -長野県、 安達雅夫 -福島県、木村純一 -宮城県
 きれいに着飾った人:神田坂茂 -高知県
 車掌さんのような人:中本友子 -奈良県
 お坊さん:山崎裕子 -宮城県、寄島町の老人 -岡山県、小林高寿 -東京都、石畝弘之-新潟県
 鬼:尾崎正治 -長崎県、小林チヨ -秋田県、奥井玲子 -大阪府
 おそろしい顔の男と裸の女:北沢得太郎 -青森県

◆光の生命に包み込まれる

 ムーディの事例では、臨死休験において光の生命に包みこまれ、やすらかにくつろぎ、この生命の存在を受け入れる話がでてくる。日本の場合にも、極楽往生伝にはそれに近い話が多数見られるが、現代民話考にはその記録が少ない。
 美しい花園に遊ぶ話は、多数あるので、むしろ光よりは周囲の風景に気をとられて、光の話が出て釆ないのであろうか? その少数例を下にあげる。

 宇宙を飛んでいたら突然、弟の声がした。その時、急にまわりが光でみちあふれ、私は車椅子でゆるやかに坂を下っていく自分に気がついた(堀内由美子 -福岡県)
 暗い道を歩いていくと、4次元世界のような明るく輝く所へ出た(中村国男 -滋賀県)
 急に目もくらむばかりの、明るい光がさしこんできて、はっと気がついた(市原麟一郎 -高知県)

◆全生涯が回顧される

 ムーディの事例では、光の生命により、自分の全生涯が凝縮された一瞬のパノラマのように写し出される体験が報告されている。この光が現れないままに、この全生涯の回顧が行われる場合もままある。
 現代民話考では、全生涯が一瞬の内に回顧された話はあまり多くない。また「光の生命」との関係も、意識されていないのが特徴的のようである。

 美しい花園の上を飛んでいるとき、幼児から成人するまでの歴史、事件が回り灯龍のように思い出された。(伊東忠夫 -ビルマ)

◆ある種の境界を見る

 ムーディの場合にも、死の体験の過程で、ある種の境界のようなものを体験した記録がいくつかある。たとえば美しい野原、川、灰色の霧、冊、線などがそれであり、現代民話考にも類似の体験が多数記録されている。
●美しい野原や花園
 臨死体験者のほとんどすべてが、それを見ているといえるほど例が多い。むしろ、全く見なかった人や不快な場所を体験した例が希少であり、記録に値するかもしれない。花の色や種類をあげる意味もないので、ここでは個別例を省略する。
●川、橋、渡し船、海
 「三途の川」が、あの世との境界に流れている話はだれでも知っている。そしてこれに関わる体験も非常に多いので、ここでは一々例をあげることはやめる。
●その他
 おしあげるように細いチューブの中を登っていき、止まった所に門があった(高橋敏弘-東京都)
 岩の割れ目のような断崖があった(立石巌 -東京都、大高興 -青森県)
 竜宮のような門があった(遠野物語拾遺 -岩手県、月光義弘 -山形県、酒井信枝 -大阪府)
 寺院やお堂があった(多数あり)

 




 
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