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(3)ソフトバンンクに成り損ねたライブドア

●ライブドア創業
 ライブドアの社長・堀江貴文氏は、ソフトバンク社長・孫正義氏と同じ九州出身であり、1世代若い1972年に九州八女市に生まれた。東大文学部に在学中の96年に、東京・六本木に出資金600万円でライブドアの前身となる有限会社オン・ザ・エッヂを設立して、企業向けのホームページ製作会社を始めた。この会社は、97年7月に株式会社になる。

 98年、インターネット広告事業を開始し、00年4月には東証マザーズに上場し、投資子会社キャピタリスタ(後のライブドア・ファイナンス)を設立した。01-02年にかけて、レンタル・サーバー、アスキーイーシー、ビットキャット、プロジーグループなどネット関連の企業を次々に買収し、02年11月には、無料プロバイダーの「ライブドア」の営業権を譲り受けて、インターネットに関する事業全般に業務範囲を広げた。

 この段階でライブドアは、ネット事業といいながら、非常に金融業に近い特徴をもっていた。ライブドアの企業規模は、2003-2004年かけて急激に大きくなっている。その手段として利用されたのは、株式交換による企業買収と株式分割であった。この手段を利用して、2003年9月期の連結12社の資産が166億円であったものが、1年後の2004年9月期には1002億円に膨れ上がっていく。2004年度の1年だけで、時価総額が一挙に6倍に増大している。

 2003-2004年にかけて株式交換によりライブドアが買収した企業は、クラサワコミュニケーションズ(携帯電話販売)、ウェブ・キャッシング・ドットコム(ネット広告宣伝)、トライン(人材派遣会社)、日本グローバル証券、バリュークリック・ジャパン(ネット広告)、ライブドア・クレジット(消費者金融)、ターボリナックス(ソフト開発)、テントラー・コミュニケーションズ、メール・クリエーションなど、非常に多い。

 ライブドア・グループは、大体、この2年間に出来上がったといえるほどである。2004年2月には、株式の100分割を発表した。これにより発行株式数は、54万株から5400万株になり、2003年11月にはライブドア・グループの時価総額は1千億円程度であったものが、この株式分割により時価総額は、一挙に9000億円に膨れ上がった。

 発足当時の社員は、わずか3人であったのが、10年で子会社44社、売上高約784億円、社員約2450人(2005年9月期)のグループ企業に成長した。ただソフトバンクが広域に事業を拡張しながらも、その中心をITとブロードバンドにおいていたのに対して、ライブドアの場合は、日本グローバル証券を買収したころには、金融業の売上高が60%を占め、創業時の柱であったホームページなどウェブ制作・管理事業は僅かに5%という、実質、金融業の状態に転化していた

 その上に、中古自動車販売やマンション販売の会社まで買収して、投資家からは、「何をしたいのか分からない」と指摘されるほどになっていた。この段階で始まったのがニッポン放送とフジTVの買収騒動である。

●ニッポン放送とフジテレビの買収計画
 2004年11月には、スポーツ・ジャーナリストのコモエスタ坂本が、ネット上のレポートにおいて、「ライブドアは数年以内に経営危機が訪れる可能性が高い」ことを警告していた。

 ソフトバンクの場合も、企業買収や投資の範囲は常識を超える面があるが、それでもブロードバンドを中心にした情報産業の将来に視点を置いていた。しかしライブドアの企業拡大の場合には、ただの利益追求しか読み取れない。企業経営としてはコモエスタ坂本が言うように、危険極まりない面があった。それが2004年の後半から200年にかけて、社会的な大騒動をいくつか引き起こす事になった。

 その第一は、2004年6月に、ライブドアが大阪近鉄バッファローズの買収計画を発表したことである。それに関連して、9月に日本プロフェッショナル野球組織(NPB)に参加要請をした。

 このプロ野球組織への参入計画は、社会的に非常な騒動を引き起こし、結果的には楽天の引き受けによって落着した。さらに、2004年11月には、高崎競馬の廃止に対して、馬券のネット販売を提案して、笠松、名古屋、高知で試験的販売の検討を始めている。

 ブローバンド時代のIT産業は、そのためのコンテンツの提供が必要になる。しかしライブドアの野球や競馬への参入には、そのような意欲よりも、時価規模を拡大するための施策のほうが強く感じられた。

●ライブドアによるニッポン放送とフジテレビ買収騒動
 それどころか、さらに、横浜ベイスターズやヤクルトスワローズを買収するために、後述するニッポン放送やフジTVの買収を計画したとする見方さえ出てきた。それが05年春、2月から4月にかけて日本中を震撼させた、ライブドアによるニッポン放送、フジTVの買収騒動である。
 話は、2004年11月に、堀江社長が村上ファンドにニッポン放送株の取得への要請をしたあたりから始まる。堀江は、05年1月6日に、村上にニッポン放送株の取得への協力を再度要請した。
   
 (株)ニッポン放送は、フジ・サンケイ・グループに属して、関東一円を対象にしたラジオ放送を行なっている会社である。創業は、1953年12月に日本放送(株)として免許を取得したことに始まる。これに対して、フジテレビは、1957年に日本放送と文化放送により共同で設立された新しい会社である。

 そのためニッポン放送は、形式的にはフジテレビの親会社になるというねじれた関係にあった。そのためニッポン放送株が買収されると、自動的にフジテレビが子会社化されるおそれがでてきたわけである。
 そこで05年1月17日に、フジテレビは、ニッポン放送の発行済み株式の公開買付 TOB(Take-over Bit:株式公開買い付け)を行なうことを発表した。これにより両社の資本関係は、ようやく逆転し、ニッポン放送はフジテレビの子会社になることになった。

 これに対して、2月8日、ライブドア・グループは、ニッポン放送株の35%を取得し、筆頭株主になったことを発表した。そのため2月10日には、フジテレビがニッポン放送株式のTOBによる株式保有比率目標を、「50%超」から「25%超」に引き下げて、買い付けの期限を3月2日まで延長すると発表した。

 さらに、2月23日にニッポン放送は、フジテレビに対し4720万株分の新株予約権を割り当てると発表した。これに対してライブドアは、フジテレビを対象とした新株予約権発行を不服として、東京地裁に発行差し止めの仮処分の申請をした。

 3月8日、 フジテレビによるニッポン放送株式TOBが成立。同社発行済み株式総数(3280万株)の36.47%を取得したと発表した。
 しかし3月11日には、 ライブドアの差止請求が東京地裁において認められ、上記の新株予約権発行は無効になった。

 ニッポン放送は東京高裁に対して即日抗告したが、3月23日 に上記の新株予約権発行差し止めの仮処分を不服としたニッポン放送の東京高裁に対する抗告が棄却された。
 そのため同社は、新株予約権の発行を断念せざるをえなくなった。

 3月24日、 追い詰められたニッポン放送は、ソフトバンク・インヴェストメント(SBI)に対して、ニッポン放送が現在所有するフジテレビ株を5年間の期限付きで貸し与えた。

 しかし結局、4月18日に、フジテレビはライブドアに1474億円という巨額の資金を支払い、ライブドアが所有するニッポン放送株をすべてフジテレビに譲渡することにより和解した

 翌4月19日、放送法の許可制により守られているはずの放送事業者が、ライブドアに事実上、買収されるという事態に衝撃を受けた政府は、電波法と放送法の改正案を閣議決定した。
 しかもライブドアが、売上高300億円の企業であるにも拘らず、これにリーマンブラザーズが800億円の巨額資金を融通した事、またライブドアが、ニッポン放送の大量の株を時間外取引により取得した事など、政府の盲点をついた取引がいくつかなされた。
 これらのことが政府に与えた衝撃は非常に大きく、これが後にライブドアに対する国策捜査に繋がった、と私は思っている。






 
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