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  (3)関東大震災と日本経済

●第一世界大戦による日本経済の拡大と戦後不況
 第一次世界大戦は、日露戦争以降に殆ど国家破産の寸前にあった日本経済を一挙によみがえらせた。この大戦は遠く離れた戦争であったため、日本は直接的な戦禍を受けることもなくその成果を享受できた。
 そのため日本経済は大軍需景気にわき、一挙に経済大国の座を得ることに成功した。しかしその戦後の1920-22(大正9-11)年にかけてわが国は深刻な戦後恐慌を経験することになった。この間における日本経済の拡大の推移を図表-4に挙げる。

図表-4 大正期の国民総所得(総支出)の推移(単位:百万円)

 (出典) 内閣府「経済要覧」

  上表をみると、大戦が勃発する1914(大正3)年まで横ばいで推移してきた国民総支出が、第一次世界大戦によりそれまでの50億円から一挙に150億円という3倍の規模に拡大していったことが分かる。
 この間に日本企業の資本総額は、なんと2億円から10倍の20億円に拡大した。しかしこの日本経済の急成長により発生したバブルは、戦争終結と共に膨大な不良債権となり、それを残したままで大正末期の日本経済は長い戦後不況に突入していった。
 関東大震災は、その最中の1923年に発生した。上図においても少し国民支出が落ちていることが分かる。

●戦争終結により悪化した貿易収支が、大震災で加速した。
 大戦中に大幅な黒字を記録した日本の貿易収支は、戦争終結により再び明治以来の深刻な貿易赤字に転落しはじめていた。そこを関東大震災が直撃したため、貿易赤字は更に深刻化した。その状況を、図表-5に示す。

図表-5 大正期の貿易推移

(出典) 中外商業新報社「日本経済60年史」

 上表を見ると、明治期から続いていた貿易赤字は第一次世界大戦により、一挙に黒字に転じて5億円をこえる黒字になった。しかし、それが戦後になって、再び赤字になり始めたところを関東大震災が直撃したことが分かる。
 その結果は、震災後の輸出不振に加えて、復興資材の輸入増大により震災翌年の1924(大正13)年における貿易赤字は、過去最高の10億円に近づいている。

●流出する貴重な金正貨
 この当時の国際的な取引は、金本位制による正貨により決済されていた。そのために国が保有する正貨の量は非常に重要な意味をもっていた。
そこで大正期における正貨保有量の推移を図表-6に揚げる。


図表-6 大正期の正貨保有量の推移

 (出典)坂入長太郎「日本財政史」、530頁

 第一次世界大戦前の大正3年2月には、日銀の保有する正貨はわずか3億4千万円まで減少しており、もはや金本位制の維持が危険な状態であった。それが大戦により正貨保有量は一挙に20億円を超えるところまで増加した。

 しかし戦争の終結とともに貿易収支は赤字に転じ、再び金正貨は急速に減少していった。特に、内地の正貨は、日銀により維持されているものの、海外正貨は昭和初年には殆ど底を突く状態になっていた。
 関東大震災がこの正貨流出に大きく影響したことは上表からも分かる。

●それでも止まらない財政拡大
 第一次世界大戦で膨れ上がった国家財政の支出は、戦後不況の中でも膨張を続けた。国家財政の硬直性は、大正期も現在も全く変わっていない。

 震災直前の加藤友三郎内閣は、大正10年11月にアメリカのワシントンで行なわれた国際軍縮会議において、日米英の軍縮方針を協議した。その結果は、3国がそれぞれ保有する軍艦の総トン数をイギリス50万トン、アメリカ50万トン、日本は30万トンに制限することになった。

 このように日本だけが差別的に軍備を縮小される553体制に対しては、国内でごうごうたる非難が巻き起こり評判が悪かった。しかしこれにより加藤内閣は財政拡大にようやく歯止めがかけられる、と考えたと思われる。
しかし加藤首相が急死し、それに続く関東大震災の発生により、財政の縮小は再び吹き飛んでしまった。
 大正期の一般会計の歳入、歳出の状況を図表-7に挙げる。

図表-7 大正期における一般会計の歳入・歳出の推移(単位:億円)

 (出典)坂入長太郎「前掲書」522-523頁

 上表を見ると,第一次世界大戦時の日本経済の活況からくる税の自然増収により、毎年、歳入が歳出を大幅に上回っており、5億円を超える財政黒字が出ている。第一次大戦以前には年間歳入が5億円程度であるから、この財政黒字は日本にとっていかに大きいものであったかが分かるであろう。
 しかしこの黒字も昭和初年までには消えてしまった。

●大正期の公債の推移
 さて関東大震災の被害額は、100億円から150億円に上ったと思われる。これは1年分の国民総支出に匹敵する損失であり、20億円程度の年間予算の中から補填できる規模ではない。そこで戦争の場合と同様に、外債の募集によってそれを補填することになった。外債の発行は、当然、政府債務の増大になる。そこで大正期における政府債務残高の推移を図表-8に挙げる。

図表-8 大正期の国債残高の推移(単位:百万円)

 (出典)坂入長太郎「前掲書」、528頁、

 政府債務残高の内訳は内外国債である。そしてその半分以上は内国債が占めていた。しかし関東大震災については、必要物資を外国から輸入する必要から、資金は外貨で調達せざるをえない。そこで、1924(大正13)年2月に、6分半付米貨公債を1億5千万ドル、6分付英貨公債2千5百万ポンドを国外で調達することになった。
 日本経済や財政事情が切羽詰まっていることから、ドル公債は92ドル半、ポンド公債は87ポンドという低価格で売り出され、「国辱公債」と呼ばれた。

●東京・横浜大地震から日本と世界の経済の将来を考える
 次の東京・横浜大地震をどう生き延びるか?という話はいろいろな場において既に論じられている。そこでここでは視点を大きく変え、関東大震災が日本経済に与えた影響から、次にくる東京・横浜地震が日本と世界の経済にどのような影響をおよぼすかを考えてみたい。
 
 既に述べてきたように、大正期における関東大震災当時の日本経済の状況は、現在のそれと非常に似ている面がある。つまり第一次世界大戦による大バブル景気がはじけて、企業は多くの不良債権・債務を抱えたまま長い戦後不況を耐えてきた。そこを関東大震災が襲ったわけである。
 今、関東地方を大地震が襲ったとしたら、日本経済は80年代末の不良債権がまだかなり未処理のまま残されており、その状況は大正末期のそれと非常に似ている。

 それどころか国家財政の状態は、現在の方が大正期より遥かに悪い。現在の一般会計の歳入予算は50兆円に過ぎないのに、歳出予算は90兆円に近づいており、大幅な財政赤字は恒常化しているのが現状である。
 その赤字分は大量の国債発行により補われており、その国債残高は、既に700兆円を超えている。それはGNPを遥かに超える巨額であり、その他、広義の国家債務の残高は2005年の段階で、既に1400兆円という巨額に達している。
 その額はなんとGNPの3年分であり、もはや返済は不可能な数字である。

 この異常な国家財政の状態を、ゼロ金利というこれまた異常な金融政策を恒常化させることにより、無理やり異常事態の顕在化を遅らせているのが日本の国家財政の現状である。
 この日本の財政事情は、大正期より現在の方が遥かに悪く、その前の明治末期における日本の財政状態よりも更に危機的状況にあるといえる。

 現在は円高、ゼロ金利という異常事態が長く続いているためその異常さが表面化していない。しかし資本主義社会では当たり前の借金に金利がつく状態になった途端に現在の円レートは急落し、物価は上昇、財政、貿易の収支は赤字に転落するであろう。それは首都を襲う大地震などを契機に一挙に始まる可能性が高い。

 今の時点で関東大震災が起こったら、早速、日本は外国で資金を調達せざるをえないであろう。実は、現在の国際通貨の「ドル」を日本はアメリカ国債のかたちで大量に保有している。しかし日本が保有しているアメリカ国債を売りに出した途端にドル相場は暴落する。そのような恐ろしいことを現在の自民党政府は絶対にできないし、仮にやろうとしてもアメリカは許さない、と私は思う。

 しかし日本がアメリカ国債を売りに出さなくても、日本が大地震に見舞われたと同時にドルは暴落するであろう。そこへ更に日本がアメリカ国債を売りに出したら、国際投機資金は大挙してユーロや金に移動することは確実である。底なしのドル暴落が始まるおそれがある。
 仕方なく、日本は保有しているアメリカ国債を塩漬けにしたまま、ユーロ貨、ドル貨、更に中国の元などで日本国債を発行して震災後の再建資金を獲得せざるをえないであろう。
 大正期の「国辱国債」の現代版が再び登場するわけである。

 関東大震災による経済危機は、3段階で日本を襲ったと私は考えている。
 その第一段階は、第一次世界大戦の戦後恐慌である。この時の不良債権が未処理のまま、第二段階の関東大震災を迎え、戦後恐慌の際の不良債権は、被害救済の震災手形にかたちを変えた。
 それらの積み上がったマイナスの遺産は第三段階の昭和大恐慌の中で一斉に清算に迫られることになった。そこを更に世界大恐慌が襲った。
 それらの結果が日本を満州事変から太平洋戦争にいたる戦争への道にかりたてることになったと私は考えている。

 今、われわれはその時と極めて類似した道を歩みつつある。第一段階は長い間続いた高度成長政策が最終的に80年代後半の大バブルの崩壊である。
 その結果が、平成大不況となり、その中で高度成長期のマイナスの遺産である不良債権は巨額なものに膨れ上がった。それらは土地価格の下落により更に増殖していった。
 そしてその処理が終わらないうちに、近々、東京・横浜を大地震が襲う可能性が高くなってきている。これが第二段階になるであろう。

 現段階では、日本経済の規模は関東大震災の頃に比べて遥かに肥大化しており、逆にアメリカ経済の力は遥かに衰えている。そのため日本経済への打撃はアメリカ経済を直撃するであろう。
 現在のアメリカ経済は、巨額の財政赤字や貿易赤字を積み上げており、僅かな契機で大崩壊する可能性をもっている。その崩壊を支えているのは、「ドル」が国際通貨として通用しているという歴史的な事実に過ぎない。
 そのおかげでアメリカは国内経済の矛盾が清算されないまま、国際的な問題解決を先送りにして現在まできている。
 このアメリカ経済の問題点が、この段階で否応なしに世界経済の大問題として浮上せざるを得なくなるであろう。これが第三段階である。
 この最後の第三段階が1930年代と同じような世界恐慌のかたちになるかどうかは分からない。しかし21世紀の初頭において世界の国々は、アメリカ・ドルからの独立を迫られることになることは確かである。東京・横浜大地震は、21世紀の国際経済体制の構築へ向かうトリガーになるのではと私は考えている。




 
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